2007年11月1日木曜日

ミュージシャンと自由、平和

さて、セカンドライフでのコンサートを実行するに当って、私が是非参考にしたいと思っていたイベントがありました。9月の終わりから10月の初めにかけて約1週間にわたってセカンドライフ内で行なわれたバーニングライフという催しです。この催し自体についてはまた別の機会に詳しく書くことにしますが、まあ、とにかくセカンドライフやってるみんなで集まって交流し、大いに盛り上がろうというものです。いくつもの会場でライブステージが行なわれますので、セカンドライフの公式イベントに出てくるようなミュージシャンがどんなステージを展開しているのか、世界的なレベルを確認しておきたかったのです。

会場に行って驚いたのは、折しもミャンマーのデモが盛り上がっている頃であり、正にミャンマーの僧侶の出で立ちをした方や、"Free Burma" というグループに属している方が多くいらしたことですね。やはりこういう国際的イベントに参加するような人は、意識の高い人が多いと感じないではいられません。日本でも新潟中越地震にセカンドライフが敏感に反応していたということを以前書きましたけれども、そういう点を考えても、セカンドライフはインターネットゲームというよりも、意識の高い大人が創るコミュニティという感じがします。

そして、ミュージシャンです。イベントに登場するミュージシャンの方はどなたも、ミャンマーの問題に触れたり、平和とか自由とか、人と人との交流、内面、精神を充実させることなどをステージ上で語るのですね。ああ、いいなぁ、と思いました。自然、このイベントが、ウッドストックやライヴ・エイドなどの流れにあるものとして感じられるのでした。欧米の、特にアメリカのミュージシャンは自由とか平和ということに敏感ですね。自由や平和が脅かされるとすぐに立ち上がる、そういう伝統があるようです。ミュージシャンは、私もそのはしくれとしてよくわかるのですが、自分の裡に表現したいことがいっぱいある人間だということができると思います。表現しないではいられないのです。が、その表現も、生きるということも、自由があって、平和であって初めて実現できるものなのです。ですから、自由が奪われる、平和が脅かされるということに対して、とても敏感なんですね。音楽と言葉とで多くの民衆に語りかけ、共に戦おうとする、それが欧米のミュージシャンであるようです。

日本では、自由とか愛とかいうことが個人的にとらえられ過ぎていて、それが社会全体とは関係ないように思われがちで、従って音楽活動も同じで、純粋に個人的なものに、社会問題とは関係ないもののようになっているように感じます。しかし、実際は、私たちの個人的な生活は社会全体の動きの影響を受けていることは言うまでもありません。この辺りについては、我々日本のミュージシャンはもっと欧米にミュージシャンに学ぶべきところがあるように思うのです。

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