2009年9月2日水曜日

ジャンルということについて

手前味噌になるんだけれども、
先日のクマ温泉リゾート完成記念イベントをやってよかったな、
と思うことの一つは、
いろんな方々に来て頂いて、それぞれに
新しい経験をして頂いたことかな、と思ってます。

毎日たくさんのイベントがSLでは開催されているけれども、
大体自分の行くイベントの傾向って決まってますよね。
ましてや、自分はこういうのしか行かない、とか
決めてかかったりしてるかもしれない。

そんな中で先日のイベントは、
そもそもDJと楽器の演奏、というところから始まったんだけれども
横浜マーチングバンドによるパレードや
naturalway Flow さんによるミュージックスターマインに絡んで頂いたおかげで
ヴァリエーション豊かなイベントになったことは間違いないのです。
へぇー、こんなのがあるんだ!
そういう声をあちこちで聞くことができたのが
実は一番嬉しいことの一つなんです。
新しい経験ができるというのがSLのいいところですしね。

そんなことを改めて振り返るのも、
同時に最近よく「ジャンル」ということが
周りでやたらと取り沙汰されていて
正直イラついていたから、というのがあります。

一番わかりやすいのが、例えば音楽やってます、と言うと
必ずと言っていいほど、「ジャンルは?」と聞かれますが、
それを聞いて何がわかるというんだろう、って思うんですね。
聞いたことない音楽なのに。w
ジャズと答えてもクラシックと答えてもいいですけど、
そう答えた時に、結局はその人の中にある
ジャズなりクラシックのイメージでこちらを判断して
わかった気になるわけでしょう?
これってすごい失礼な話だと思いません?w
もっと言うと、今度は聴いてもらった後に、
「なるほど〜、ヒロシさんは○○系ですね。」
どこまでも型に、自分のデータベースに当てはめたがるんだな。w

「あらゆる芸術は音楽の状態にあこがれる。」
ウォルター・ペイターがその著『ルネサンス』で書いた表現ですが、
「音楽の状態」とは即ち表現と形式が一致していることであり、
何と言ってもその表現とは「今」を表現できるということにあります。
今この場で起こっていること、それを今、そこにいる人たちで
共有し、共感し合っているということ、
それこそが音楽が人の心を豊かにし、
人と人との結びつきを強くしていける理由なのです。

「ジャンル」で音楽を捉えようとすれば
結局はそのジャンルに対する自分の過去のデータベースを
参照することに他ならず、
つまりは自分の過去の知識で音楽を聴いてしまい、
わかった気になり、
「今」を見失ってしまう。
そうでなくても、日本人はお勉強が好きだ。
事前にいろいろお勉強してから音楽を聴きに行く。
(これは勿論クラシックにその傾向が強い。)
だけど、何の情報も持たずに
ただその瞬間、その音に身を委ねること
その方がどれだけ豊かな経験ができるかわからない。

「準邦楽」と言えば退屈、というイメージを持つかもしれない。
けれど実際に何の先入観も持たずに聴くなら
ロックギターのソロよりも緊張感のある三味線や琵琶の響きに
接することができるかもしれない。
或いはシンセサイザーも顔負けの極彩色のテクスチャーを
雅楽は聴かせてくれるかもしれない。

音楽とは正に音を楽しむのであって
知識や教養ではない。(勿論そういう側面もあるが。)
事前にいろいろと知識を詰め込みたがるのは
結局は音楽というものがわからないからだ。
でも、本当はわからないということはない。
外から入ってくる知識ではなくて
自分自身の感覚を信じればいいだけだ。
どんな評論家がすごいと言ってたって
自分が全然ピンと来なければそれまでだし、
逆に人がつまんないと言ってても
自分にとって情熱を掻き立てられるようなものであれば
それはそれでいい。
また、ある時はつまんないと思った音楽が
ある時にはとても感動させられたりすることもある。
要は、その音楽が自分にとってどう作用するか
そちらの方が大事なのだ。

音楽こそは自由の象徴であろうと思う。
常に今、今、であり、常に変化し続ける。
だからこそ、敢えてジャンルということを意識して
自分の感性を縛るようなことをして聴くのは、
或いは聴くのを拒否するのは、大変勿体ないことです。
SLはいろんな音楽に溢れてる。
できるだけ多くその一つ一つに出会い、
より豊かな経験をしたいと思うのです。

No response to “ジャンルということについて”

Leave a Reply