2010年12月22日水曜日

「第九」を語る(3)〜第一楽章

「苦悩を突き抜けて歓喜に至れ!」
これこそが「第九」のテーマだと言っていいと思います。
この時期、ベートーヴェンの現実は甚だ厳しいものであり、
精神的にもかなり追い込まれていたようです。
この「第九」とほぼ同時期に
「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ)」の作曲が進められていたことは
偶然ではないと思います。
また、「第九」や「ミサ」の前の年には
最後のピアノ・ソナタが作曲されていますが、
そのテーマはかつて彼がテキストを書き込んだメロディ
「これでよいのか?」「これでよい」の
「これでよい」の方に基づいて作られています。
悩みに悩んだ挙げ句に「これでよい」
つまり、自分が今あるままでよいのだ! という結論に達した
この作曲家が、全ての悩める人に向けて放ったメッセージ
それが「第九」とも言えるのではないか、僕はそう思うのです。

それだけに。。。

そのオープニング、第一楽章は凄まじいものがあります。
まず最初、出だしは、第二バイオリンとチェロが低音で、
ピアニシモでトレモロを奏します。
その上のホルンがほわ〜んと鳴る。
まるでもやに包まれた森の中にでもいるよう。
或いは、この世のはじまりのカオスとでも言ったらいいのでしょうか。
不安定な空間の広がり。

そこへ、タターン、タターン、と
バイオリンやビオラが静かに降りて来て何かが動き出す。
背後ではクラリネットが、オーボエが、フルートが、
順に鳴り響いて辺りの空間を満たし、弦楽器もクレシェンドして来る。

そして!

全ての楽器が同時にダターンダターンと
まるで雷か滝が落ちるような激しいフレーズを叩き出すのです。
この激しさと言ったら第五番の「運命」のテーマどころではありません。
弱い存在である人間を徹底的に打ちのめすかのような
正に疾風怒濤、シュトルム・ウント・ドランクそのもののような
テーマなのです。

そして、もやから嵐への、この流れがもう一度あった後で、
今度は木管にやるやさしいフレーズが出て来ます。
これが第二主題。
怒濤の中に現れるこのやさしい存在は一体何なのでしょう?
音楽はこの二つの主題を巡って展開していきます。
曲の真ん中あたりで最初の主題が戻って来た時は
正に雷そのもののようにティンパニが鳴り響きます。
何とも凄まじい音楽です。

が、、、

その後の展開の中で、ふと気付くのです。
先ほど、人間を打ちのめすような、と書きましたけれど、
曲の後半、音楽が展開して行く中で、
これらのメロディが表しているのは、
実は、そのような疾風怒濤の中で
しっかりと大地に足をつけて立っている人間そのものではないかと。
何があろうと、自分はここにいる。
この楽章の力強い最後は、
そのような人間の生き方そのものを表しているように
僕は思うのです。

不安から怒濤へ、
そしてその怒濤を突き抜けて生き抜いていく人間、
今度の公演ではそんなことが表現できたらいいなと思っています。

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