2010年12月24日金曜日

「第九」を語る(6)〜第四楽章

やっぱり「第九」と言えば、何と言っても、あの
「Freude shoener goetter funken...」という歌ですよね。
僕がこれまでこの曲に手をつけなかったのは、
この歌をどうするか、という点でかなり迷った、というのがあります。
最終的にどうなったか、は、当日のお楽しみ。^^;

それにしても、最初に書きましたように、
「交響曲」というのは器楽の最高の形式、
最高に複雑で高度な形式の曲のこと。
ということは、本来、歌が入るものではない。。。
だから、後の作曲家たちは、ベートーヴェンによって
交響曲は行くところまで行った、
ベートーヴェンをもってして、歌を導入しないといけないところまで
交響曲はその極みに達した、と解釈したわけです。
これによって、ブラームスは常にあれ以上のものは書けない
という強迫観念の下に交響曲を書いていくのだし、
マーラーは合唱つきの交響曲をいくつも書くことになる。

当のベートーヴェンも、どうやって交響曲に歌を入れるか、
かなり迷ったはずである。
とりあえずは一番最後の第四楽章で導入することを考えたわけだけど、
それにしてもすぐには入ってこない。
曲全体の一貫性を保つために、第四楽章はかくてかなり複雑な形をとる。

まずは、全ての楽器を使った、とんでもない不協和音からはじまる。
と、すぐに、ぶつぶつ文句を言うようなフレーズが
チェロとコントラバスによって奏でられる。
あとで同じフレーズをバリトンが歌うので、
このフレーズの意味は、「おお、友よ、
このような響きでなく、もっと喜びに満ちた響きを!」
であることがわかる。
これを受けて、第一楽章の出だしが回想される。
音楽でこの回想という発想がおもしろい。
あの、不安に始まり、一人で厳しい世の中に向かって
立ち向かっていく、あの音だ。
これはチェロとコントラバスによって否定される。
こんな音ではない、と。
そこで、次に第二楽章のメロディが回想される。
それは、力と若さに満ちた元気な響きだ。
が、これもチェロとコントラバスは否定。
そのような元気はいつまでも続かない、ということだろうか。
そして次に第三楽章の甘いメロディが奏でられる。
ん〜、という感じのチェロとバイオリン、
素敵な世界、いつまでもそこにいたいような優しい世界、
でも、でも、これもまた違うんだよね、と否定する。

そうして、ようやく、木管楽器によって、
あの「フロイデ」のメロディがちらっと演奏される。
うん! いい! そんな感じの響きをチェロとコントラバスは奏でる。
これこれ、この響きだよ、求めていたのは!
そこで、例のメロディをチェロとコントラバス自らが奏でるのだ。
それにビオラとバイオリンが加わり、
最後には菅も全て加わって、全員で演奏する。
と、再び、出だしの不協和音となり。。。

いよいよ合唱のはじまりである。
まずバリトンが歌い出し、
それは合唱に引き継がれ、大いに盛り上がっていく。
この盛り上がりには、僕はこだわりがある。
最初に聴いた時、最初のコーラスの終わり、
「steht vor Gott!(神の前に!)」のところで
あまりの美しさに鳥肌が立ってしまったのだ。
その感動を再現したくて、ここの部分、
音符にも休符にも、僕は思いきりフェルマータをかけて
長く伸ばします。w
歌手にとっては厳しいところだろうな。^^;

そのあとはマーチとなり、
やがて、再び楽器だけで音楽は展開し、
「百万の人々よ、共に抱き合え!
 全世界からのキスを受けるのだ!」
という幻想的な部分に入っていきます。
「兄弟よ、あの星の彼方に、
 我らが愛する父なる神はいませり!
 その父を、星の彼方に求めよ!」
ここは宇宙的な響きが展開していきます。

そのあと、今度はマエストーソ、
あのメロディが再び戻ってくるのですが、
雄大な、そして天空へと飛翔するようなメロディで展開していきます。
そして最後は。。。

ベートーヴェンの指定はプレスティシモ=めちゃめちゃ速く。
このテンポこそがそれまでの長い長い曲の感動を高めるのです。
というわけで!

あとは、いらしてからのお楽しみ。
日曜日、出演者一同、皆様のお越しをお待ちしています。^^

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