2012年5月20日日曜日

【RL】大津より


今日は滋賀県の大津に来ています。
いつもお話ししているいだきしんさんと高麗恵子さんによる
「高句麗伝説」のイベントが当地のびわこホールで行われたからです。

今回は高速バスで早朝に京都に着いたので、
そこから大津に移動してまずはホールの場所を確認、
しかし、開演の18:00まではたっぷり時間があるので、
午前中は大津京のあとをのんびりと歩いて回りました。

大化の改新というのを必ず中学校以降の日本史で習うけれども、
一体これが何を意味するのかは十分には教わっていない。
しかも、大化の改新で習うのは、蘇我入鹿が討たれた、
という事件の方で、実際にはこの事件は乙巳の変と呼ばれていて、
その変の後の政治改革が大化の改新なのであるが、
どういう政治改革であったかは全くと言っていいほど習わない。

大化の改新そのものは、政治の運営を蘇我氏のような
有力豪族に任せるのではなく、大王(おおきみ)一族による
いわば天皇親政を行う一方、
戸籍制度と租税制度の改革を行ったことにあると私は考えています。

その延長線上で中大兄皇子は自らが大王となった時に(天智天皇)、
都を飛鳥からこの大津に遷すわけですが、
その天智天皇が崩御された後、
息子の大津皇子と弟の大海人皇子の間で戦が繰り広げられたことは
壬申の乱として知られていますね。
この戦いがかつてないほど最大の戦争となったのは、
天智天皇の自体に戸籍が整備されたことで、
大津皇子の側でも大海人皇子の側でもその戸籍を利用して、
各地で大規模な徴兵が行われたことにあります。

ご存じのように戦いは大海人皇子が勝って終わるのですが、
戦いに於いても、そしてそのあと再び飛鳥に都を建設したのも
超スピーディーであったことから、神業と畏れられ、
ここから天皇(すめらみこと)という呼び名が
スタートすることになるのです。

前置きが長くなりましたが、このようないきさつから、
大津に都があったのはわずか5年半ほど。
そしてその後、それからほどない持統天皇の頃、
ここを訪れた柿ノ本人麿が、

天皇(すめろぎ)の 神の命(みこと)の
大宮は ここと聞けども
大殿は ここと言へども
霞立つ 春日か霧(き)れる
夏草か 繁くなりぬる
ももしきの 大宮処
見れば悲しも

と詠っているくらいですから、
わずか数年で、もうその当時には荒れ果てていたのでしょうね。

その跡を今回訪ねてみたというわけです。
(前置き長!^^;)
最初のSSはその都大路だったはずの通りですが、
今は両側に住宅がぎっしりと並んでいる細い道で
とてもそんな風には見えませんね。^^;


120520a.JPG


そこで人麿を真似て一首。

古(いにしへ)の 大宮人の さざめきは
海の波 時の波にぞ 流れけるかも

そしてこの通りの脇にある、内裏正殿の柱の跡です。
ここを天智天皇や額田王や大津皇子が歩いていたのでしょうか。


120520b.JPG


近江なる 京の跡に 今立ちて
風吹く時ぞ 君し思ほゆ

こちらは勿論、額田王の次の歌が下敷きですね。^^;

君待つと 吾(あ)が恋ひ居れば
我が屋戸の 簾動かし
秋の風吹く

この大津京の跡は京阪の近江神宮前駅近くにあるのですが、
折角ここまで来たので、その近江神宮にも参拝します。
ここは、勿論、そのご祭神を天智天皇とする神社です。


120520c.JPG


このあとは、再び京阪で浜大津まで戻り、
そこで90分の琵琶湖クルーズを堪能。
食事をしたあと、予約してあるホテルにチェックインして、
今回の目的である「高句麗伝説」のイベントに参加しました。
先ほどの大津京の話と言い、また、源平にまつわる話と言い、
どうも僕はこの日本最大の湖にはどこか悲しいイメージがありますが、
いだきしんさんが奏でる琵琶の響きと
高麗恵子さんの詩の朗読に、
この地の歴史のすべてが癒され、新しい未来が拓かれたことを
感じていました。
素晴らしい、光に満ちたコンサートでした。

明日は京都に移動します。
おやすみなさい。^^

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