2018年8月28日火曜日

【イベント】今年も Burn 2 の日程が決まりました!〜10/19〜28の10日間

今年も SL 年に一度のお祭り騒ぎ Burn 2 の日程が決まりました!
SLT で 2018年10月19日(金)〜28日(日)の10日間、
専用の SIM に様々な展示物が飾られ、
24時間体制で DJ やら音楽イベントやらが行われます。
その展示会場への出品や DJ やミュージシャンの募集も
始まったところですので、興味ある方は是非以下のリンク先の
Burn 2 の ホームページをチェックしてみて下さいね。
そうそう、展示会場は、普通はお金を払って買うのですが、
ただで 512㎡の土地がもらえるくじ Plottery もやってますよ!

Burn 2 公式ホームページ
ミュージシャン/DJ/パフォーマンス申し込みフォーム
展示会場申し込みフォーム
展示会場くじ (Plottery) 申し込みフォーム
 
さて、今年のテーマは RL バーニング・マンと同じく「I, Robot」。
そう、あのアイザック・アシモフの SF 小説「われはロボット」、
ロボットや AI を語る時に避けて通れないあの名作の
タイトルから取られているのです。
AI がどんどん家庭に入って来ている昨日今日、
これはとても時宜を得たテーマと言えます。
バーニング・マンの企画チームが何を考えてこのテーマを選んだのか、
バーニング・マンのホームページにありましたので
ちょっと長いですが訳してお伝えしますね。
原文はこちらです。

     *   *   *

何故私たちはロボットのオーバーロードを迎えるに値するのか?

もう何ヶ月も前、今年のバーニング・マンのテーマがまだ企画の途上にあった頃、ラリー・ハーヴィーは自動化されたシステムが自分を人間の女性だと思わせてラリーをハメようとするロボット通話を何度か受信しました。会話の中でそのシステムは、簡単な質問にすぐに答えられなかったり、その質問を理解できなかった時にヘッドセットの調子が悪いと言って言い逃れするのです。

その数週間後、2018年のテーマが発表された後に、サウジアラビア王国が「ソフィア」という AI に最初の市民権を与えたというニュースが放送されているのを見ました。それは、同国にハイテク企業を誘致するための取り組みの一環として行われたということでした。

こうしたことはごく最近、正に今の時代だからこそ起こっていることのように思えますが、その実、私達は「人間とは何か」ということを長いこと真剣には考えて来なかったのではないでしょうか。歴史的な最高裁の「シチズンズ・ユナイテッド」判決は、企業も表現の自由を有していると宣言し、抽象的な経済団体も一般の人間と同等の法的権利を有することを印象づけたのです。前世紀初頭には、知性には人種によって優劣があることを証明しようとする「科学的な」実験が行われましたが、これは実際には人種が異なっていても明らかに有しているはずの人間性を否定するために行われていたのです。

同様に「彼らは本当に人間なのか?」という疑問も何度となく投げかけられ、悲しいことに征服者たちが「新世界」で奴隷を必要としていた時に次のような答えに至ります。「否。」そこにいる人間たちを指して彼らはこう言ったのです。「こいつらが本当に人間であるはずがない。見ればわかるじゃないか!」

今こうして挙げて来たことは全て、何人かの哲学者や進学者たちは「人間とは何か」というこの最も基本的な疑問をこれまでも真剣に取り上げてきたかもしれませんが、肝腎な時に私たちが誰を人間と見做し、或いは見做さないかというのは、常に経済及び偏見を理由とするものが殆どだ、ということなのです。もし企業に基本的人権が与えられるのだとしたら、AI に与えてはいけないということもないでしょう? もし女性の所有権が否定され、国民全体が肌の色に基づいて所有物と見做されるのだとしたら、一体それ以外の人たちはそうでないとどうして言えるのでしょうか?

ロボットや AI は今や、目の前にあって明らかであるにも拘わらず私達が人類として決して答えることのできない問題を、もっとさりげない形で私たちに突き付けているのです。

私たちは人間性というものを不変のものであるかのように語りはするけれど、実際の行動としては、私たちは人間性というものが経済的に便利なものとして扱っているし、これまでもずっとそうして来たと言えるのです。あるウーバーの管理職の男は運転手たちとテキストベースのやりとりをする時に自分を女性だと見せかけていたのです。というのも、ウーバーに契約している人たちは女性に対しては反応がよく、言うことをよく聞いてくれる、というデータがあったからなのです。ここで注目すべきことは、このデータが明らかになった時に、ウーバーが選択したのはより多くの女性を雇うことではなく、男性従業員のプロフィールを変えようとしたということであり、それは即ち、企業がトランスジェンダーを命令した、ということなのです。もしあなたが、自分が自分であるために不可欠であるからこそ自分の性を変えるのだ、と言うなら、道徳主義者たちはあなたに向かって金切り声を上げて、恥を知れ、と罵るでしょう。が、もしあなたが働いている会社の役員が、その方が会社の業績に貢献するからという理由であなたの性を変えようとしても、誰も反対する人はいないのです。

AI は確かに世界を変えるでしょうし、同様に世界を滅ぼすことすらできるかもしれません。が、歴史に残された記録を見てみるとそれが示唆するのは、私たちが AI を怖れるのはそこに潜む非人間的な性格にあるのではなく、人間が他の人間に対して伝統的に行って来たような仕打ちを始めるかもしれない、という怖れなのです。

実際、私たちには、人間であるということや人の個性といったものは取引の対象とならないという理念の下に形成される社会というものがどのようなものなのか、想像すらすることができないのです。私たちは心の奥底で、個性を経済よりも下に見るということが知性の証だと思っているのです。そう、私たちは、知的なやりとりというものに対して他にどのようなアプローチが有効なのか、まだわかっていないのです。昨年、マイクロソフトが学習するチャットボットをツイッター上に放った時、わずか24時間の間に恐ろしく人種差別的、性差別的な結果に至ったことは決して偶然ではありません。他のユーザーがどのように行動するか、それのみが問題なのです。AI は具体的な例を通して学んでいきます。言葉遣いによってではありません。AI の行動は私たちの行動によって導かれているのです。もし AI に、私たちの事例をそのまま真似するように本当に教え込むなら、きっと大変な問題になることでしょう。が、私たちがまだ自分自身に行っていないようなこともきっとまた起こらないでしょう。

その一方で、もし私たちが AI というものがよい結果をもたらすもので、人間を価値のあるもの、更には聖なるものと見做し、私たち人間の利益を第一に追求してくれるような存在であってほしいと願うなら……それがそもそもどのようなものであるか、まず私たちが最初に示す必要があるのかもしれません。

人間の社会的知性が発達(或いは退化)するスピードは、技術的能力の進歩とあらゆる点で関係しています。AI のエンジニアが自分たちのところの清掃作業員をどのように扱っているかということが、どのようなタイプの機械知性が未来の力になっていくかということを決定づけるのです。

AI に関して私たちが答えるのに最も頭を悩ます問題は、私たちが私たち自身について満足に答えられていない問題なのです。機械が人間的かどうかを「決める」前に、私たち自身が人間的であるのかどうかを決める必要があります。理論的にはこのはとても簡単な問題のように見えます。しかし、私たちの歴史が示しているのは、実際は、もっともっと遥かに難問だ、ということです。私たちはロボットの領主(オーバーロード)を迎えるに値するのです。

以上がこのシリーズの中で私たちが検証していく問題です。その検証の過程で、AI の登場が私たち人間がお互いにもっとやさしくなっていくことにつながっていくのだと願いながら。

ジリアン・ジェラット

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