2020年8月17日月曜日

【翻訳記事】バーニング・マン今年のアートテーマ「多元宇宙」

 2020年のバーニング・マンは、仮想世界のイベントと連動して
同じく仮想空間で開催、参加できることとなった旨、
前のブログで書きました。
その今年のバーニング・マンのアートテーマである「多元宇宙」、
その趣旨を以下ヒロシの責任で翻訳掲載致します。
毎年このアートテーマの趣意書を読んでいて思うのは、
これ書いている人は、歴史、哲学、文学、美術、物理学と
かなり広い知識を持った方だなぁ、と感じます。
今回は「量子もつれ」とか「量子の重ね合わせ」という
量子力学でもなかなか理解しづらい話がさらっと出て来ていることに
むむぅ、と唸りながら訳した次第です。
原文をご覧になりたい方はこちら。


     *   *   *

2020年のアートテーマ:多元宇宙


「僕が矛盾してるって? そうともさ、僕は矛盾してるよ。
 僕は大きくて、すごくたくさんのもので出来てるんだから」
(ウォルト・ホイットマン)

2020年のブラック・ロック・シティでのイベント・テーマは、量子力学の可能性という望遠鏡を覗いて、多元宇宙が示す無限の現実とこの宇宙の共鳴する弦の耳障りな音の中で演者でもあり、観察者でもある自分たちの重ね合わせられた状態を探検するものになります。それは、現実、超現実そして形而超というものに改めて思いを馳せることへの招待であり、様々なブラック・ロック・シティの現実に向かって皆さんが辿ったかもしれない、或いは今辿りつつある、或いはこれから辿るであろう異なる意志決定を行った時のもう一人の自分と出会う機会であると言えます。ようこそ、多元宇宙へ!

シュレジンガーの猫がバーに入ります。でも同時にその猫はバーに入ってはいないのです。量子力学の「不思議の国」では、私たち全ての存在を形づくっている小さな粒子は、不思議で、奇妙な行動をするのです。「量子もつれ」というのは、1930年代に初めてそのように呼ばれるようになりましたが、2つのもつれ合った粒子は、どんなに離れた場所にあっても全く同じように振る舞う能力のことを言います。しかも、その一方にある刺激を与えると、その刺激は他方にも適用されるのです。アインシュタインが「不気味な遠隔作用」と呼んだのがこれです。しかし、「量子の重ね合わせ」という考えははもっと不気味です。即ち、それはあらゆるものは、それが観察されるまではそれが取り得る可能な全ての状態で存在し、それが正に観察された瞬間にあれかこれか、ここかかしこか、生きているか死んでいるかが決まるというのです。正に、次のジョークが示している通りです。「シュレジンガーの猫がバーに入るが、でも同時にその猫はバーに入ってはいない。」この現象についてはいろいろと書かれていますが、しかし、実際にその現象がどのように起こるかについては、想像を逞しくする余地の残されているテーマです。ある解釈では、観察という行為が一つの現実に可能性の波となって押し寄せ、その瞬間にもう一つの現実は消えてなくなると言います。しかしまた別の解釈、即ち「多元宇宙論」では、枝分かれした現実同時に、他の枝分かれしたのも等しく現実として存在し続けるというのです。

「これらの平行宇宙というのは、はかない幽霊のような存在の世界ではないのです。それぞれの宇宙の中で、私たちはしっかりとした固体の形を、そして具体的な出来事を、他の世界のそれと同様に現実のものであり、客観的な存在として捉えることができるのです。」
(賀来道雄)

ある特定の観察者には、これら複数の道筋のうちの1つだけが現実であると感じられることでしょう。しかし、そもそも「現実」とは何でしょうか? 何をもって私たちは何が現実だと知ることができるのでしょうか? プラトンの時代から私たちが知っているのは、私達の感覚が与えてくれるものは、現実の不完全な模倣だということです。例えば視覚を例にとってみるとこうです。光のスペクトルのうち、ある限られた一部分だけが1組のアナログな処理装置に取り込まれて電気信号を発生させるのですが、その電気信号はフィルターにかけられ、反転され、三次元に変換されて脳内に投影されるのです。しかも、この投影システムは、私たちが目をつぶっている時、REM 睡眠下で夢を見ている時も有効に機能するのです。眠っている時こそが現実の世界で、目が覚めている時の人生は実は現実ではないのだと信じている人たちもいます。この考えは、古代インドの大いなる宇宙に咲く白蓮の花の夢に共鳴するものです。この夢の中で、ブラフマンは眠り、私たち全ての存在を夢見るのです。また、現代の理論物理学では、ブラックホールの研究は一部の学者たちをホログラフィック宇宙理論へと導きました。これは、私達が物質として認識する全てのもの——勿論この中には私たち自身も含まれるのですが——は二次元現実の三次元的投影に過ぎないのかもしれない、というのです。そこでは、情報だけが唯一「現実的な」質量なのであり、その他のものは全て宇宙の「ディープフェイク」だというのです。

「ええ、あたしなんて朝ごはんの前に六つもあり得ないことを信じたことだってあるわよ。」
(『不思議の国のアリス』)

物理学というものは時にお手上げして責任を形而上学の方にパスする。何故、どのようにしてあり得ないはずのことが起こりえるかを説明するためです。そして形而上学は提示された回答に頭を掻くのです。自由意志によるものか、予め定められた運命なのか? その通り! 現実なのか非現実なのか? その通り! ピンのてっぺんで何人の天使が踊ることができるか? 全ての天使だ! 無限か、無限に近い数のピンのてっぺんで! 夢を見ているのか夢見られているのか? シミュレーションしている側かシミュレーションされたものなのか? 波なのか粒子なのか? 時間そのものでさえ、量子レベルでは懐疑の対象です。ちょうどその友人である未来と過去が、それらがたまたま観察された時点で凍結された可能性の重ね合わせであるかもしれないように。「多元宇宙」では、起こり得る全ての事は起こるのです、しかも全て同時に、一斉に。

そして、物理学と形而上学が出した答えが尽きてしまうと、これらに代わって私達が取り得る手で最上のものは、物理学や形而上学の回答を無視して、よりよい質問を投げかけてみることかもしれません。それはシュールレアリスムやパタフィジック(形而超学)の道具を使って、論理の結ばれた紐を断ち切ることです。シュールレアリスムの作家たちが、これを行うのに夢の力をもって描いたのは有名な話で、それらはやがて「自動書記」や「優美なる屍骸」へと発展していき、これらは目が覚めている時の人生において夢の論理に近づこうとするものでした。彼らより一世代前、フランスの作家アルフレッド・ジャリは「パタフィジック」を夢見ました。これは、「詩や科学や愛の最も高揚したビジョンに垣間見られるような物事の仮想的或いは空想的な性質ははっきりと捉えることができ、現実のものとして存在することができる」ことを提議する空想解決の科学です。量子論のレンズを通して見れば、これらいずれの思潮も、通路を挟んだ向こう側の枝の現実を見ることの——或いは旅行することの——可能性を、そして自分自身の存在のもう一つのバージョンを経験する可能性を示しているように思えます。

「分かれ道に来たら、どっちでもいいからとにかく進め」
(ヨギ・ベラ)

皆さんは、バーニングマン2020の多元宇宙でどのようになるのでしょうか? 皆さんの現実は拡張されるのでしょうか、分岐するのでしょうか、それとも全次元的になるのでしょうか? どの「夢の世界」へ入って行き、そこに着いた時皆さんはどんな人間になっているのでしょうか? それは時だけがいつか教えてくれることです。いえ、もしかしたらもう教えてくれたのかも、或いは今正に教えてくれているのかもしれません。アーティストやクリエイターチームの皆さん、もし多元宇宙のテーマを追求することにご関心がある皆さんは、是非謝礼金の獲得に応募してみて下さい。申込の手続はこのサイトで行い、2019年10月15日の PST 正午から受付開始となります。

そしていつものように、ブラック・ロック・シティのイベントでは、アート・テーマに拘わらず、皆さんのアートな作品を募集しています。もしファイアー・アートを持ち込みたいとか、アートワークを広いプラヤに設置したいというご希望がございましたら、詳しくは「プラヤ・アート・ガイドライン」をお読み下さい。

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