2022年5月5日木曜日

【RL】 学び・志〜本居宣長からバーンスタイン、ハンス・ツィマーへ

FB やツィッターでは触れたのですが、
最近は『万葉集』や『ホツマツタヱ』に取り組んでいたりするので
自分の言語感覚をどっぷり漢字文化に染まったところから
純粋な和語の響きを取り戻すべく、
本居宣長の著作を読んだりしているのですが、
これが現代(いま)に通じる示唆に富んでいてなかなか面白いので
書き抜いてご紹介しておきます。

本居宣長の著作にもいろいろありますが、
学問を志す初学者のために書いた入門書に
『うひ山ふみ』というのがあります。
短いので誰でもすぐに読めると思いますが、
入門書のクセにあまり方法論的なことは書いてない本と言えます。
初学者は、最初に何を読めばいいですか?
どういう風にしたらいいですか? とすぐ方法論を求めるけれども、
と書いたあとにこう記しています。

「いかに初心なればとても、學問にもこゝろざすほどのものは、むげに小兒の心のやうにはあらねば、ほどほどにみづから思ひよれるすぢは必スあるものなり。又面々好むかたと、好まぬ方とも有リ、又生れつきて得たる事と、得ぬ事とも有ル物なるを、好まぬ事得ぬ事をしては、同じやうにつとめても、功を得ることすくなし。又いづれのしなにもせよ、學びやうの次第も一トわたりの理によりて、云々(シカシカ)してよろしと、さして教えんは、やすきことなれども、そのさして教へたるごとくにして、果たしてよきものならんや、又思ひの外にさてはあしき物ならんや、實にはしりがたきことなれば、これもしひては定めがたきわざにて、實はたゞ其人の心まかせにしてよき也。」

簡単にまとめると、初心者と言っても道に志す程の人なら、
誰でも自分はこうしたいというものがあるでしょう、
また、好きなこと嫌いなこと、得意なもの不得意なものもあり、
嫌いなことや不得意なものを同じようにやれといっても
その人にとっては効果を期待できないでしょう。
また、物事を理論的にこういう風にやるといいよ教えたところで、
その人がその通りにやって本当によいものなのかどうか、
或いは悪いものなのか、何とも言うことができない。
従って、やり方、というのは本人がやりたいようにやるしかない、
というのです。
そして、そのあとに、

「一人の生涯の力を以ては、ことごとくは、其奥までは究めがたきわざなれば、其中に主(ムネ)としてよるところを定めて、かならずその奥をきはめつくさんと、はじめより志を高く大にたてゝつとめ學ぶべき也。」

として、更にこの文章の注釈として、

「志を高く大きにたてゝ云々、すべて學問は、はじめよりその心ざしを、高く大きに立テて、その奥を究めつくさずはやまじとかたく思ひまうくべし。此志よわくては、學問すゝみがたく、倦怠(ウミオコタ)るもの也。」

なるほど。
「その奥を究めつくさずはやまじ」——これが大事なのですよね。
わかりやすく言うと、自分の決めたここというのが達成できないでは
食事も睡眠も要らない、その位の譲れないものがあるかどうか、
ということでしょう。
そして、その位の気概があれば、当然「どうしたらいいか」は
自ずと自分で切り開けるということでしょう。

本居宣長が入門書に敢えて方法論を書かずに、
自分の好きなようにやりなさい、と書いたのは、
方法というのは好きであれば見つかるものだからなのでしょう。
ある事をなすのに、一般的な方法というのはないのです。
にも拘わらず私たちは何事につけ「どうしたらいいでしょうか?」と
方法を求めたがるものなのです。

これを読んで思いだしたのが、1990年に指揮者のバーンスタインが
パシフィック・ミュージック・フェスティバルのため来日し、
NHK の番組の中でインタビューに応じていた時のことです。
このあと間もなくバーンスタインは亡くなってしまったので、
「最後のメッセージ」として何度か放映されていると思います。
その時の言葉に、

"It is a profession that you should follow 
only if you are driven to do it."

というのがあります。
「音楽家というのは、自分の内なる何かに駆り立てられることでしか
 実現できない職業なのですよ。」
ということでしょうか。
この "if you are driven to do it" という英語、
本居宣長の「究めつくさずはやまじ」という日本語と
対応しているように僕には感じられるのですね。
本居宣長という江戸時代の、当時からすると古い文献を研究していた
そんな人とバーンスタインという僕らと同時代の音楽家、
時代も職業も異なるのだけれど、道を究めるということ、
自分の天職とは何か、ということについては
時代や国や文化を問わない、普遍の真理があると感じます。

バーンスタインはこのすぐあとで言っています。

"If you even have to ask the question
“Should I be a musician?”, 
then the answer has to be “No”
because you asked the question.
It’s almost like a Zen rule of philosophy.
If you ask the question, the answer is no.
If you want to be a musician, you will be a musician.
And nobody can stop you."

「もしあなたが、『自分は音楽家に向いてるだろうか?』と
 そう質問したならばその答えは決まって『ノー』です。
 何故ならあなたはその質問をしたからです。
 禅問答のようですが、あなたが質問をしたから『ノー』なのです。
 音楽家になりたいなら音楽家になるのです。
 だれもそんなあなたを止めることはできないのです。」

バーンスタインのこれらの言葉はこのインタビューを
テレビで観た時からずっと心の中にあります。
ここには上手いとか下手とか、それで飯食っていけるとかいけないとか
そんな話は一切ありません。
問題なのは自分が音楽家であるかどうか、"be a musician"
ただそれだけなのです。
そこに必要なのは好きで好きでたまらなくて
自分を裡から突き動かす何かのために生きている、
そういう状態でしょう。

それでまた思い出したのが、アメリカの「Keyboard」誌
2015年2月号で、映画「インターステラー」が公開された直後、
音楽を担当したハンス・ツィマーのインタビュー記事での発言です。
(日本では「ジマー」と表記するのが一般的なようですが、
 「Ji」の音ではなくて「Zi」の音でどうも感覚が合わないので
 「ズィマー」と書いてもいいのだけれど、ますます混乱するので
 敢えてドイツ語表記で「ツィマー」と書いておきます。)
このインタビューの最後にこのような会話が交わされています。
(元は英語ですが、ヒロシによる自由訳です。)

     *   *   *

KM: 今はツールがとてもよくなって、価格も安くなって来てますが、ミュージシャンとして生きるということは以前にも増して厳しくなってきています。この問題についてどのようにお考えですか?

HZ: えっと、音楽というものがダウンロードして手に入れたり、ただで配られるものだというような考えはとてもバカバカしいように思うんです。どうも人には理解できないようなのですが、音楽はそれ自体に価値があるものだどいうこと、そして、ミュージシャンの時間もみなさんの時間と同じように1秒1秒過ぎ去っていくものだということをです。ですから、あるミュージシャンが時間をかけて何かを創ったとしたら、それに対してお金が払われるのは当然ですし、そのミュージシャンがごく普通の生活を続けられるようであるべきなのです。こうした音楽活動を支えるべき人々というのはこれまではレコード会社でしたが、レコード会社には最早その力はないのです。そこで、新しいアイデアを大きな規模で試すのを支えてくれるような、最後に残された唯一の場がハリウッドというわけなんです。

KM: その点についてですが、あなたのような仕事を目指す人たち、音楽で生計を立てていきたいと考えている人たちに、何かアドバイスがありますか? ご自身が日頃していることをお伝え頂けませんか?

HZ: 僕がやっていることを全部お伝えするとね、まず朝起きて音楽のことを考えるんだ。そして夜、一日の終わりにも音楽のことを考えるんだ。ではその間の時間は何をしているかって? 音楽を創ってるのさ。
 実際、何年か前に実験したことがあるんだよ。ある時僕は言ったんですよ。「よしみんな、12月20日から1月2日までこのスタジオは閉鎖だ。みんな、クリスマスの休暇を楽しんでくれ」ってね。で、クリスマスの日に僕は家にいて電話の短縮ボタンを押したんだ。するとすぐに誰かがスタジオでその電話を受けてくれたんだよ。そこにいるみんな言うんだよね、「ええ、わかってますが、いいアイデアが浮かんだのでどうしてもこれを試したくって」とか何とかね。それを聞いて笑ってしまったよ。あそこのみんなにとってクリスマスの一番のプレゼントはスタジオに入って音楽を創ることだったわけだからね。本当に好きだからこそ、こういうことを日頃からやってるわけなんだね。僕にとってはこういう生き方こそ悔いのない充実した人生なんですよ。

     *   *   *

最後の部分の元の英語は、
"We do this because we love this. 
And to me, it’s a life really well lived."
です。
本当にみんな言っていることは同じですね。

「志」というと何だかえらく高尚なもののように思えますが、
実はそれは、自分はどう生きるか、どういう存在でありたいのか、
そういう、誰にでも突き付けられた、
自分自身でしか答えられない問いなのかもしれません。

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