2022年7月24日日曜日

【翻訳記事】『資本論』を読む(1)〜長い前置き

学生の頃から読まなければと思いつつも後回しになっている、
どなたにもそんな本がいくつかあると思います。
タイトルにあるカール・マルクスの『資本論』は大学生の時に、
経済原論の授業の中で山田克巳先生が次のように仰ったことが
きっかけとなっているのです。

「経済学を志す人が絶対読まなければならないのに、
 誰もちゃんと読んでないという本が2つある。
 アダム・スミスの『国富論』とカール・マルクスの『資本論』です。」

なるほど、確かに古典中の古典ですが、どちらも大部ですしね。。。
その時この2冊は絶対に読んでやろうと思ったわけなんですが、
今に至るまでどちらも途中になっています。

因みに、私の記憶に間違いがなければ、この山田克巳という先生は、
元々マルクス経済学をやっていて後に近代経済学に変わられた方で、
私が教わっていたのも当然近代経済学の原論だったのですが、
所々にマルクス経済学の観点から近代経済学の限界や誤りについて
触れられるのが自分にはとても新鮮で刺激になりました。
当時は私もミルトン・フリードマンの「小さな政府」に影響を受け、
巷では国鉄の分割民営化が進められている時代でしたので。

さて、『国富論』についてはある程度まで読み進めたものの、
『資本論』の方は何度か読みかけては全然頭に入って来ないので
その都度挫折しているのです。
で、2015年頃にトマ・ピケティの『21世紀の資本』という本が
話題になりましたが、その時いくつかの記事で
「ピケティは『資本論』をちゃんと読んでいるのか?」という
イジワルな記載があったことがきっかけになって、
そうだ、もう一度読んでみよう、と思ったのです。

が、手許にある岩波文庫版の向坂逸郎さんの訳は
やっぱりどうにも頭に入って来ない。
自分の頭が悪くて理解できないのか、それとも訳が悪いのか、
「一体元のドイツ語はどうなっているんだろう?」
そう思って2、3年前に Kindle でドイツ語版を購入、
早速ページを開いて見ると。。。
何と、とてもわかりやすい!@@
確かに、所々もって回ったどのように理解してよいか迷うところも
あるにはあるのですが、議論の進め方自体は明解なのです。
それで、通勤の電車の中でちょこちょこ読み進めていたのですが、
最近漸く冒頭の第1章第1節を読み終えたので、
自分自身の整理の意味も含めて、自分の理解した通りに
向坂さんの訳よりはもう少し普通の日本語でまとめたものを
この機会に公開することにしました。

『資本論』というと、共産主義の教科書的なイメージがありますが、
実際はこの本は徹底して資本主義を分析したものです。
(全体を通して「共産主義」という言葉は2回しか出てきません。)
そして、資本主義体制の国で生活し、仕事をしている私たちは
やはり資本主義というものがどういうものなのか、
どういう点で優れていて、どういう点がダメなのか、
ちゃんと理解しておく必要があると思うのです。
しかし、私自身がそうであったように、
この本に接してそれを理解する機会というのは
なかなかないのではないでしょうか。
そこでこの機会にこの日記を読んで下さっている皆さんにも
その片鱗だけでもお伝えできればと考えた次第です。

今回の訳では、極力マルクスが書いている文字通りに
私が受け止めた内容で日本語にしています。
この「文字通りに」というのは、共産主義の教科書として読むとか
或いは経済や歴史の本として読むとか、
或いはルイ・アルチュセールのように哲学の立場から読むとか、
そういう立場的なものを取り払って、という意味です。
そうは言っても、何かものを読む場合に、真に無心な、
完全に中立な読み方ができるものではありません。
どうしてもその人の経験や知識というフィルターを通して
読むことになるからです。
従って、どうしてもドイツ語の文字通りの論理で
日本語になりにくい場合は、思い切った言い換えもしています。
もっとよい表現を思い付いたら、誤訳しているところも含めて
この日記の原稿も修正するかもしれません。

さて、というわけで前置きが長くなりましたが、
次から2回に分けて『資本論』冒頭の1節をお届けします。
この膨大な『資本論』を全部訳すつもりはありません。
しかし、国語や古典の教科書で、
有名な作品の冒頭を暗記させられるように、
この有名な本の冒頭に触れておくのもよいでしょう。
併せて第1章の4節もこの本全体の方向を示しているようで
実に興味深いので、また時間のある時に訳出する予定です。

それでは!

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