2022年9月3日土曜日

【翻訳記事】 今年の Burn2 は10月7日〜16日の10日間〜テーマは「夢に目覚める」?

さて、セカフェスも終わって月が変わり、9月となりました。
9月ともなるともう年の終わりが近づいて来た感じがします。
そして僕などは10月に行われる Burn2 に向けて
準備を始めることとなるのです。
Burn2 と言えば、RL のバーニングマンは丁度今やってるとこですね。
今年は久しぶりに RL のブラックロック・シティに戻って
8月28日(日)〜9月5日(月)の日程で行われています。
この RL のバーニングマン、是非いつか行ってみたいですね。^^

さて、そのバーニングマンの SL 版、Burn2 の方はと申しますと、
PDT で 10月7日(金)〜16日(日)の日程で行われます。
既にキャンプ地のセールやアーチストのブッキングが始まったので、
僕も毎年やってるセンターキャンプを早速予約しました。
センターキャンプでのライブは10月8日(土)22:00からになります。
ご都合つく方是非遊びにいらして下さいね!^^

昨年まではナチュさんがキャンプを運営してて
そこではミュージシャンや DJ の皆さんが大暴れ、
毎日のように音楽イベントで盛り上がりましたし、
センターキャンプもそのナチュさんやこじゃさんや僕が
3人連続日本人が演奏する時間を作ったりで、
かなりエネルギッシュな日々が続きましたが、
今年はそのこじゃさんもナチュさんも SL からは離れていますので
久しぶりに自分一人でのんびりやるかなと思っているところです。
日本人コミュニティにとっては、昨年までの狂騒に比べると
今年はちょっと物足りない、少し淋しいような Burn2 となるかもです。
まぁ、元々15年前は一人でフラ〜っと出かけて遊んでいたので、
原点に戻るような感じかもしれません。
原点に戻るという意味では、今年は自分でもキャンプ設営するかな〜
なんて考え始めてるところではあります。
とは言え、あまりもの作りとかする時間ないんですよね。。。
どうせキャンプやるなら何かおもしろいものを作りたいし。

僕の話はこれくらいにして、今年の Burn2 のテーマは
RL のバーニングマンと同じく「Waking Dreams」です。
目が覚めている時に見る夢、というニュアンスですが、
「夢に目覚める」とでも訳しておきましょうか。
今年の Burn2 にご参加になる皆さんのご参考まで
その趣意書を以下の通り訳しておきます。
原文をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。


     *   *   *

バーニングマン2022「夢に目覚める」

2022年のバーニングマンでは、夢というものが持つ、物事を変革するパワーを——文字通りの意味でも比喩的な意味でも——探究し、この強大なエネルギーのチャネルを目を見張るような、しばしば超現実主義的な、そして時に私たちの人生すら変えてしまうような方法で開いた夢想家たちを讃えたいと思うのです。というのも結局のところ、コミュニティの夢というものを一堂に集めて表現しなかったら、ブラックロック・シティの存在意義って何だ? ってことになるからです。

「荘周、夢に胡蝶と為る。栩栩(くく)然として胡蝶なり。自ら喩(たのし)みて志(こころ)に適う。
 俄然として覚むれば、則ち蘧蘧(きょきょ)然として周なり。
 知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか。」(『荘子』)

誰しも夢を見ます。にも拘わらず、何故夢を見るのか、誰にもわからないのです。いつの頃からか、それも早い時期に、ひとはこの不可解な事象を説明しようと努力を重ねて来ました。超自然の世界からのメッセージを受信するやり方で、或いは、精神世界の宇宙を旅することによって。また或いは自らの前世への扉の向こう側に入って行くことや、超現実の世界を垣間見ることによって。こうした経験をした人とっては、私たちが目覚めた状態で人生として認識しているものは、実は単なる夢に過ぎないのです。現代の科学は、この疑問をより機械論的なレンズを通して見るのです。即ち、睡眠というものはシステムのメンテナンスに於ける計画されたダウンタイムのようなものだと。そしてそのメンテナンスの中で、新しいデータが整理され、タグ付けされて、メモリの中に定着され、働き過ぎのミエリン鞘を再び活性化させるのだと。これはビデオモニターに映し出されるテストパターンと同じになるようなプロセスの中で私たちが経験するイメージと言えます。

フロイト学派やユング学派の人々はこうした映像が投影されるのは全くランダムに行われるのではなく、寧ろ意識の籠をガタガタと揺らす潜在意識を表しているのだ、と反論します。それは過去のトラウマを蘇らせるためであることも、目ざめている時の心が無視しようとしている考えを伝えようとするためでもあるのだと。どちらの場合でも、夢が私たちが目覚めている間に経験したことや、目にしたこと、或いは生まれた時から目が不自由で、夢を視覚的に見ない人の場合は耳にしたり感じたり、その他の感覚で経験したことから導かれているというのは確かなことのようです。

自らの夢にアクセスし、その夢に影響を与え、更には潜在意識の洞察力を覚醒している時の創造力に変えるチャネルを開こうと試みる人々がいて、その文化史は遠い昔に遡ります。これには、寺院に設えた特別製の夢を見るためのベッドで寝て神聖なインスピレーションをより強く得ることに始まり、夢日記を付けることや、その他様々な種類の夢に纏わる試みがあります。こうした手法はしばしば明晰夢——つまり、夢の中にいるにも拘わらず夢を見ていることを自覚している状態——を起こすように、或いは単にそうしなければ目が覚めた瞬間に跡形もなく消えてしまう考えや印象を覚えておけるように仕組まれているのです。

これまで、数え切れないほど多くの創造的、飛躍的発展が夢の力によってなされてきました。芸術の分野に於いても、科学の分野に於いても、です。元素の周期表や DNA の螺旋構造などは潜在意識が夢を見る人が覚醒している時には解くことのできなかったパズルを夢を見ている時に解いた事例のほんの2つに過ぎません。ですから、こうしたインスピレーションを求める過程で、ひとが夢の状態により簡単にアクセスし、それを思い起こそうとするテクニックを発展させて来たことは、別に何も驚くには値しないことなのです。例えば、発明家のトマス・エジソンは、自分の研究室で、片手に鋼鉄球を持ち、一対の金属版の上にかがみ込んだ状態で軽い睡眠をとることを習慣にしていました。眠りに落ちてしまうと、鋼鉄球が落ちてガシャンという大きな音がするので、すぐに目を覚まさないわけにはいかないのですが、その時彼はすぐさま覚えていることを書き留めていたというのです。芸術家にとって、或いは、創造的な自己表現の道を追い求める人にとっては、夢は果てしないインスピレーションの海となり得るでしょう。

勿論、夢はまた、芸術そのものにとって永遠のモチーフでもあるわけです。フィクションとしては世界最古の物語の中で、英雄ギルガメッシュは無敵の斧と降り来る星々の夢を見るのです。エドガー・アラン・ポーやルイス・キャロルの奇怪な夢の世界から、「オズの魔法使い」や「インセプション」といった映画に至るまで、主に、或いは完全に夢の風景で繰り広げられる物語を経験するのですが、そこでは目ざめている時の人生に対して死刑執行前の短い懺悔の時間が与えられ、通常の、意識している世界の秩序が覆されていくのです。更に、ヴィジュアル・アートの世界では、シュールレアリスムの運動がこの種の転換を明確な形で求め、夢の時間が目ざめている状態では忘れられてしまうことから救い出し、これを芸術活動の中心に据えたのです。この運動の創始者アンドレ・ブルトンは、「シュルレアリスム第一宣言」の中で次のように訴えました。「ふつうの観察者にとって、覚醒中の出来事と睡眠中の出来事とのあいだに極端な重要度、深刻度のちがいが見られることは、いつもわたしをおどろかすのにじゅうぶんだった」と。

[訳者注。以下「シュルレアリスム宣言」からの引用は何れも岩波文庫版巖谷國士訳による。]

ごく平均的な人間は人生のうちの十年またはそれ以上の時間を夢の国で過ごすことになるのですが、このことはある一つの疑問を投げかけずにはいられません。つまり、私たちが夢で経験することは、私たちが起きている間に経験することよりも少ないのだろうか、ということです。これに対してブルトンは強い口調で「ノー!」と答えるのです。それを彼は、「未知のものを既知のものに、分類可能のものにひきもどそうとする始末におえない狂癖」なのであると批判し、現実主義と合理主義とを「凡庸さと、憎しみと、つまらぬうぬぼれとの産物」であるとして拒絶するのです。その凡そ1世紀後、シュールレアリスムは現代芸術の強力な推進力となり、私たちが「バーニングマン・アート」と言えば思い出すものがシュールレアリスムの正典に収められているか、或いはそれに付随するものとなったのです。

こうしたシュールレアリスムに力を与える夢を見ている時と目が覚めている時の意識の再統合は、どれだけ多くの人々が自分のバーニングマンでの経験を、ドラッグなんか使用しなくてもサイケデリックな状態に近づける、覚醒した状態での夢として表現しているかということを大いに感じさせるものです。それは単にシュールレアリスム芸術を毎年プラヤに散らかして回るというだけでなく、環境そのものですらあるのです。あたかもサルバドール・ダリのカンバスからそのまま抜け出してきた荒涼とした異世界の風景にも似た。

「あなたの夢を凧を揚げるようにこの空間に向かって投げなさい。
その夢が何を連れて戻って来るか、そんなことはわかりません。
新しい人生、新しい友だち、新しい愛、新しい国なのかもしれません。」(アナイス・ニン)

自分たちの夢を現実の世界に於ける行動へと昇華させるのはバーニングマン文化の特徴的な側面と言えます。自らの持つビジョンを内面で変化させるだけでなく、外面に、具体的な形にして表現するのです。現実の世界が描く弧を空想的な方向へと大きく曲げて、そこに世界を導くのです。

こうした意味で夢を語る時、勿論私たちは REM 睡眠の時にピクピクと痙攣する瞼の裏で起こっていることを話しているわけではなく、もっと大きな、未来というものに対する私たちの希望やあこがれという意味で語っているのです。ひとが「夢を生きる」ことを語る時、大抵はおしゃべりカラスと会話するとか、素っ裸でスピーチを行うことを言っているわけではありません。そうではなく、自分たちの心の底からの願いや要求を実現していける方向で人生の選択をしていくことを言っているのです。人生の選択というものを単に状況任せに受け入れるのではなく。

私たち皆が知っているように、これは実際には言うよりも遥かに難しいことです。メディアや広告が偽物の欲求を駆り立てたり、ソーシャルメディアが絶え間なくつぶやき続ける世界では、自分が本当に求めているのが何なのかを知り、社会的統制、或いはもしかすると自分自身の意識が引いたチョークの線の外側に生きようとする、自分の内なる真の声、本音に気づき、その声に従うことさえ難しいと多くの人が感じているのです。

「自己変革の経験」というタマネギの皮を一枚ずつめくってバーニングマンの参加者である「バーナー」たちに具体的にはどのように変わったのですか? と聞けば、その答えの殆どはそれほど驚くべきものではないでしょう。仕事を変えた人、住所を変えた人、好ましくない腐れ縁を切った人等々。そしてこうした人たちの多くはその後に創造的な探究を始めるか、或いはそうした探究の道に戻るかしているのです。読みかけになったままの小説の埃を払い、楽器を取り出し、絵を描き始めるのです。それは必ずしもそうしたことを新しい仕事として始めるというのではなく、自分自身のために行うのです。

バーニングマンの「十か条の根本理念」にある「Radical Self-expression(本来のあなたを表現する)」の “radical” という言葉は、何も「極端に」とか「急進的に」ということを言っているのではありません。そうではなく、ひとの内面の奥深いところにある自己、文字通り皆さん自身の存在の根から湧き上がって来るもののことを言っているのです。この理念は創造的な表現というものを、マーケットのトレンドや流行で美しいとされている価値観に従うのでなく、その人独自の二つとない世界観に基づいて行うことを示唆するものなのです。繰り返しになりますが、自分の内面の真実というものを見つけることはたやすいことではありませんし、それを具体的な形にして世界に示すのも同様ですが、バーニングマンを経験することには、こうしたことが現実になるのを助ける触媒のような側面があるのです。

[訳者注。日本語では普通 “radical” を「根本的に」とか「徹底的に」と訳しますが、英語の元の意味は「根っこ」のことを指します。根っこから覆すので「根本的」、「徹底的」、「過激」という訳語になるのです。]

そうしたものの一つが、ブラックロック・シティにある非商業エリアで、ここで多くの人が生まれて初めてブランドのロゴや、商売目的の営業や、経済的な地位を示すマークなどが溢れていない世界に接することになるのです。通常の生活では常に背景で動いているこうしたものがトーンダウンされることによって、自分自身の気持ちというものがより直接的に感じられるようになり得るのです。

二番目にお伝えしたいのがバーニングマンの文化にある、「パーミッション・エンジン」と呼ぶ人たちがいるもので、これは、とてもあり得ないようなアイデアに対して「イエス!」という反応が熱狂的な形で返って来るのを耳にすると思いますが、この熱狂的な「イエス!」こそ、支援と協力の大きなうねりとなっていくものなのです。

「世界は夢想家を必要とし、世界は実行家を必要とする。
 しかし、世界が何より必要とするのは実行する夢想家である。」(サラ・バン・ブラナック)

パンデミックという不眠がもたらした長い長い霧の中で、この間錨を下ろすことなく睡眠と覚醒の間を漂流し続けて来ましたが、そろそろ再び未来を想像し始める時が来たようです。2022年にブラックロック・シティに戻る時、3年という月日が経っているでしょう。それは希望と願いとが抑圧され続けた千を超える昼と千を超える夜であり、今やこうした希望や願いが私たちの深奥にある魂の中でとぐろを巻き、ブラックロック沙漠のまっ白なカンバスの上に躍り出ようとしているのです。たとえそれが芸術的表現の夢であろうと、断絶した社会で他の誰かとつながろうとする憧れの気持ちであろうと、或いは単により意味のある、より本物の人生を生きようとする願望であろうと、バーニングマンは夢が実現し得る、いえ、実現する場なのです。

     *   *   *

さぁ、この起きて見る夢を、音楽でどう表現しましょう。
楽しみにしていて下さいね!^^

No response to “【翻訳記事】 今年の Burn2 は10月7日〜16日の10日間〜テーマは「夢に目覚める」?”

Leave a Reply