2024年4月14日日曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その4・ベルリオーズ『幻想交響曲』

僕が吉田秀和さんの『LP 300選』の曲を
そこに掲載されたレコード表を元に
レコードを買って聴いていたことは前回書いたけれども、
今回その表を見直して今更のように驚いたのが、
ベルリオーズの『幻想交響曲』については、
ミュンシュ指揮ボストン響が最初に、
そして次に小澤征爾指揮ボストン響が2番目に、
その2枚だけ選ばれていることだ。

『幻想交響曲』と言えば、同じミュンシュが1968年に
パリ管と録れたものが一般的な評価が高い。
吉田さんが挙げている1962年にボストン響と録れたものも
結構人気はあって、全体にバランスが取れているのがパリ管、
サウンド面で迫力があるのがボストン響のバージョンだというのが
これまた一般的な評価である。
ここで吉田さんはそのボストン響のバージョンを選びつつ、
次選として選んだのが同じボストン響の小澤さんの盤というのが
今となっては実に興味深い。
これってある意味師弟対決ではないですか!w

かく言う僕が高校生だか大学生の時に初めて買ったのは、
吉田さんの選に基づいてミュンシュ/ボストン響のもの。
確かに迫力のある演奏だったのは覚えているが、
その LP にはラヴェルの『ボレロ』も収録されていて、
『ボレロ』は吉田さんの300曲には入っていなかったこともあり、
自分としては得した気分になっていたものだ。
この曲は、当時クロード・ルルーシュ監督の映画
『愛と哀しみのボレロ』が公開されて初めてその存在を知り、
カッコイイ曲だ! と思い、レコードが欲しかったのだ。
そう、ミュンシュのこの『ボレロ』も迫力があったように思う。

その後 CD ではパリ管のものを買ったりしていたが、
今回小澤さんの演奏と聴き比べるために
今一度ミュンシュのボストン響版も手に入れた次第。
残念なことに、今手に入る CD は『幻想』しか入ってなくて、
LP には入っていた『ボレロ』も1962年のボストン響で
聴いてみたいと思っている。
というのも、僕が持っている小澤征爾/ボストン響の CD には
何と『ボレロ』が一緒に収録されているからだ。
『ボレロ』でも師弟対決をしてみたいではないか!

さてそこで、新たに買い直したミュンシュ/ボストン響の
『幻想交響曲』、久しぶりに聴いてみて
改めてその迫力に圧倒された。
第4楽章「断頭台への行進」と第5楽章「サバトの夜の夢」が
派手な管弦楽でこの曲のクライマックスであるが、
まぁ、素人耳にもすぐわかる急激なアッチェレランド、
殆どソロのように目立って響く、迫力あるティンパニ、
この曲も持っている「狂気」を見事に表現してて素晴らしい。
そう、この曲にはチーンとした楽譜通りの演奏など相応しくない。
何と言っても "Symphonie fantastique" なのだから。

因みにこの英語で言う "fantastic" とか "fantasy" という言葉だが、
日本語で「ファンタスティック」とか「幻想的」と言うと、
美しくて幸せな夢物語のようなイメージがあるけれども、
この "fan-" という語根は元々ギリシャ語で「現れ」を意味し、
妖怪や幽霊を表す "phantom" と同じ意味合いの言葉なのだ。
現実には存在しない筈のものが見えることから、
「想像の産物」を意味するようになり、
これが芸術の分野では、フーガなどの形式がかっちりしたものとの
対比として、音楽家が自由に、その時々のインスピレーションで
即興的に演奏する音楽も "fantasy" と呼ばれるようになる。
J・S・バッハの曲に「半音階的幻想曲とフーガ」とか
「ファンタジーとフーガ(大フーガ)」とかあるのは、
何れも前半で即興的な演奏を繰り広げられるのが、
後半のフーガの部分と対比を成す構成となっている。
例の、「月光」の名前で親しまれるベートーヴェンの
「ピアノソナタ第14番嬰ハ短調」も、
元のタイトルは "Sonata quasi una Fantasia" で、
これは「幻想曲風ソナタ」というものだ。
そう言えばあの月光をイメージさせるという第1楽章の
同じ音型がずっと続く感じは、バッハのファンタジーや
前奏曲を想起させるとは思いませんか?

話が逸れた。
そんなわけで、僕としてはこの『幻想交響曲』に関しては、
最後の「サバトの夜の夢」でどれだけ狂うかが楽しみなのだ。

240414a

指揮者ではなく、ボストン響の側から見るとこの曲は、
1954年にミュンシュと、1962年に再びミュンシュと、
そして1973年に小澤征爾さんと、というように
ほぼ10年の間隔で録音していることになる。
つまり長年ミュンシュの下にいたオケとしては、
この曲は勝手をよく知っている曲と言えるのではないだろうか。
だから、吉田さんの選んだ1962年のミュンシュ盤と
1973年の小澤盤との聞き比べは大変興味深いと言える。

小澤さんの CD を聴いて、まず第1楽章「夢、情熱」が始まり、
最初に感じたのは弦の美しさだ。
これが小澤さんの棒の成せる業なのか、とても繊細な響きで
見事にコントロールされているように感じられる。
それがはっきりするのは何と言っても第3楽章「舞踏会」で、
この楽章ではつまりワルツが展開されるのだが、
ここでミュンシュ盤では弦はより太く迫力ある演奏だが、
小澤さんの盤では優雅に典雅にしなやかな演奏になっている。
これを聴くとなるほど後に小澤さんがウィーンに呼ばれたのも
宜なるかな、と思う次第である。

さて、問題の第4、第5楽章。
これはもう、狂い方としたらやはりミュンシュの方が上なのだが、
小澤さんも流石にミュンシュのような、
露骨なテンポの上げ方はしないけれども、
逆に安定しているように見えてじわじわと盛り立てて来る
その感じはある意味理想的とも言える。
事実、今回 CD の演奏時間を見比べて驚いたのだが、
第4楽章も第5楽章も、小澤さんの方が短い、つまり速いのだ。
これは魔法としか言いようがない。
変な言い方かもしれないが、同じミュンシュでも
パリ管のバージョンの方がこの三者の中では演奏時間が最も長い。
そして最も安定した演奏を聴かせてくれると言える。
小澤さんの演奏は2つのミュンシュの演奏の間にある
安定した演奏と狂ったような迫力ある演奏の
中間を行きながら、しかも演奏時間が最も短いという
実に不思議な魔法を見せてくれているのである。

先に、小澤さんの指揮になる弦の響きが
ミュンシュの時のものとは異なることについて書いたが、
反対に第5楽章で、あのソロを奏でるようなティンパニの響きは、
小澤さんの指揮の下でも健在だ。
それから、同じ第5楽章で鳴り響く鐘の音も、
ミュンシュ時代と同じ音色で素晴らしい。
実は僕は、ミュンシュ/パリ管のバージョンでは、
鐘の響きがどこか詰まったような感じがしてあまり好きでないのだ。
ボストン響では、ミュンシュの時も、小澤さんの時も
明るく澄み渡った響きなのが僕の好みに合っている。
つまり、小澤さんは、ボストン響にミュンシュが遺したものを
うまく生かしつつも、彼なりの新しい響きを引き出すことに
成功しているように僕には思える。

ただ、個人的な趣味の問題として1つ残念なのは、あれかな、
第5楽章の最後の方で、弦楽器に「コル・レーニョ」の指定が
されているところがある。
これは弦を弾く時に、弓の、馬の毛が張られている部分ではなく、
それを支える木の方、つまり竿の方を弦に当てて弾くもので、
当然のことながら、あの弦の豊かな艶のある響きではなくて
カサカサした、音量もあまりないノイズのような響きになるもので、
魔物やら妖怪やらが跋扈するこの第5楽章でベルリオーズは、
ガイコツがカラカラと音を立てながら踊る様子を
この奏法で表そうとしたらしい。
このガイコツがワチャワチャ踊ってる感が溢れるのは
やはりミュンシュの1962年のボストン響のバージョンだ。
小澤さんの指揮のバージョンではこのカサカサした音が
3枚の CD の中では一番大人しいと言える。

まぁ、小澤さんの場合は、ベルリオーズがおどろおどろしい感じを
出すために要所要所に仕掛けたギミック1つ1つに拘るより、
音楽全体の効果を考えて演出したんだろうな、と今は思えますね。
だから安定感ありながらも迫力のある演奏で、
演奏時間も短くなっているわけで。
このように考えて来ると、何故吉田さんが、
敢えてミュンシュと小澤さんのこの2枚を選んだのか、
今となってては納得が行くように思える。

2024年4月7日日曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その3・武満徹さんの『ノヴェンバー・ステップス』

小澤征爾さんは自分のヒーローだったと言いながら、
実のところ小澤さんのレコードや CD をそう大して買ったり
持ったりしているわけではない。
誰でも経験があることだろうとは思うけれども、
高校生や大学生の頃はレコードや CD はそれなりに値が張るもので
どれから先に手に入れるかというのは悩ましいものだったのだ。

そこで高校生の頃から読んで参考にしていたのが
吉田秀和さんの『LP 300選』である。
これはとんでもない本で、選ばれた300曲のうちの第1曲は
レコードにも CD にもなり得ない「宇宙の音楽」なのだ。w
しかし、そこから始めてあるだけあって、
グレゴリオ聖歌に始まる、所謂バッハ以前の音楽を聴く楽しみを、
いやそもそもその存在を教えてくれたのはこの本なのだ。

同時に、どういう音楽が優れたものなのか、
僕の音楽的な感覚を鍛えてくれたのもこの本で、
世間では「名曲」として盛んに耳にする曲たちを
吉田さんは採らないだけでなく、その切って捨てる感じの表現に
高校生の頃は参るやら笑ってしまうやらであった。
そのいくつかをご参考までにここに書き抜いておこう。

まず、ヴィヴァルディと『四季』について。

「日本では――日本ばかりでないかもしれない――もちろん、春夏秋冬の四曲からなる合奏協奏曲『四季』が、ひどく有名だ。日本盤のLPも数種あって、それぞれ、そう悪くないのは、周知の通りである。しかも、この『四季』は、また、作品八のヴァイオリンとオーケストラのための『和声法とインヴェンションの試み』中の一部でしかない。しかし、私はこの曲を好まない。何を好んで特に幼稚な標題楽的手法のために、音楽の本当の醍醐味(だいごみ)が稀薄になり、進行が乱されて いるような曲の流行の片棒をかつぐ必要があろう? 」

幼稚な標題音楽的手法。www
続いて僕の大好きなドヴォルザークの『交響曲第九番』。

「交響曲、ことに九番の『新世界より』は、通俗名曲の十八番の一つになっている。けれど、私は、ことに、この交響曲などとりたくない。なんといっても、安っぽい効果をねらいすぎている。」

安っぽい効果を狙い過ぎた通俗名曲。www
続いては、ロシアの「無敵の五人組」について、
ムソルグスキーの音楽性を讃えたあとで、
リムスキー=コルサコフについて触れる。

「器楽も『スペイン奇想曲』とか『シェエラザード』とか、どれもみな、色彩にとみ、愉快な曲だが、それ以上どういうこともない。こういうものは、ドヴォルジャークの『新世界』やなんかと同じように、西洋音楽をはじめてきく人には、よい入門だと思う。ちょうど、一昔前の『ウィリアム・テル』や『森のかじゃ』みたいに。しかし、ここにいつまでも足ぶみしているのは、どうかといえば、少し、きつすぎるかもしれないが、私はなにしろたいして買ってない。《五人組》はボロディンとムソルグスキーがいれば、私には十分なのだ。そのリムスキー=コルサコフがムソルグスキーのスコアに手を入れたりする。」

先のドヴォルザークの『第九』と合わせてあくまで入門用として、
しかも『ウィリアムテル序曲』や『森のかじや』と
同じレベルに置かれているのには参る。w
ムソルグスキー好きの私はこの最後の一文に、
つまりリムスキー=コルサコフがムソルグスキーのスコアを
変えてしまったことに憤りを覚えて、
ますます彼の曲を聴く気が失せて、ムソルグスキーのオリジナルが
どこかの学者の手で再現されていないか調べたりした位だ。
僕が『シェエラザード』を真面目に聴くようになったのは、
管弦楽法を勉強し始めたここ2、3年のことだ。

最後にサン=サーンス。w

「私は、この人の器楽は、もうやりきれない気がする。一体、これは本当の芸術家の仕事なのだろうか。彼の旋律――有名な『交響曲第三番』『ヴァイオリン協奏曲第三番』 『ピアノ協奏曲』第二、四、五番などの主題をきいてみたまえ。なんという安っぽさ、俗っぽさだろう! そのうえ、あとに出てくる発展は、もう常套(じょうとう)手段ばかり。ただ、気持よく響く音が器用にならべられてあるというだけの音楽は、ほかの芸術なら、本当の音楽とは別に、大衆的な何かというふうに、わけておかれ、画だったら、お菓子屋か百貨店の包み紙かチョコレートの箱、または少年少女雑誌の巻頭に印刷され、やがてそれがはがされて、女子学生の寄宿舎の壁にはられる――つまり、応用ないし娯楽美術に分類されるのだろう。」

ヒドイ。www

しかし、本当にこの本は僕の音楽感覚を鍛えるのに役立ったし、
今でも、あれ? この曲について吉田さんはどう書いていただろう?
と時折見返すことがある。
さて、更に新潮文庫版のこの本には「レコード表」が付いていて、
吉田さんがよいと感じる、謂わば推薦盤のリストがあって、
レコードや CD を買う際に大変参考にさせてもらった。
これもご参考までに書き抜いておくと、
その中で小澤征爾さんの演奏が選ばれているのは次の6曲だ。
(曲名の先頭の番号は300曲中の番号)

180 ベルリオーズ『幻想交響曲』
ミュンシュ指揮ボストンso. R-RX2353
小澤征爾指揮ボストン so. P-MG2409
ブレーズ指揮ロンドン so. CS-23AC593

250 参考盤 デ・ファリャ『三角帽子』
小澤征爾指揮ボストン so. ベルガンサ P-MG1079

269 オネゲル『火刑台上のジャンヌ・ダルク』
小澤征爾指揮ロンドン so., 合唱団, ゾリーナ, クリューンズほか CS-SOCO123〜4
ボド指揮チェコ po., 合唱団, ボルジョーほか C-OQ7389〜90

277 参考盤 シェーンベルク『グレの歌』
小澤征爾指揮ボストン so. Ph-25PC37〜8
ブレーズ指揮BBC so. CS-SOCO112〜3

288 メシアン『トゥランガリラ』
小澤征爾指揮トロント so., イヴォンヌ・ロリオ (p), ジャンヌ・ロリオ (オンド・マルトゥノ) R-SX2014〜5

297〜300 全て廃盤になったその代わりとして
武満徹『カトレーン』『鳥は星の庭に降りる』
小澤征爾指揮ボストン so. P-MG1272

お気づきだろうか?
ベルリオーズの『幻想交響曲』以外は、
何れも小澤さんの演奏が1番目に挙がっているのだ。
特に現代的な曲での小澤さんに対する吉田さんの評価が
高かったことがわかるというものである。

メチャメチャ長い前置きになったけれども、
吉田さんがこの最後の 297〜300 として挙げた曲のレコードが
何れも廃盤になったことに関して注記して、

「現在の作曲家を論じて武満徹をぬかすことはとても出来ない。」

と書かれている、その一文こそ、僕と武満徹さんの音楽の
出会いとなったものなのである。
この一文がきっかけとなって武満徹さんのレコードを
買うことになるのだが、その1枚が小澤さんの指揮、
トロント交響楽団の演奏になるこのディスク、
そしてもう1枚が当時ビクターが出していた
日本の現代音楽のシリーズの1枚であった。

240407a

もう随分昔のことなので正確な順番は覚えていないが、
多分、タイトル曲の『ノヴェンバー・ステップス』は、
どちらかというとメシアンの2枚組『トゥランガリーラ交響曲』の
最終面に入っていて先に聴いていたように思う。
そのあと、武満徹さんが小澤征爾さんとの対談集『音楽』で、
ストラヴィンスキーが『弦楽のためのレクイエム』を評価してくれ、
それが彼が世に出るきっかけとなったということを読んで、
『弦楽のためのレクイエム』とはどんな曲だろう? と、
確か若杉弘さん指揮、読売日本響の演奏になる
ビクター盤を買って聴いたのだと思う。
でもどこかピンと来ていなくて、
その後小澤さんのこのディスクを見つけて聴き直したように思う。

いや実際、ここでの小澤さんの演奏はやはり熱い。
『弦楽のためのレクイエム』に関して言えば、
淡々と響く若杉さんの演奏よりも、
小澤さんの演奏はとても説得力を持って僕の心に迫って来るのだ。
深い深い闇を表現したような音楽、
その闇の恐ろしさのようなものが迫って来るのである。

恐ろしいと言えば、高橋悠治さんがピアノ・ソロを執る
『アステリズム』も素晴らしい。
これは初演メンバーによるものだが、後半8:40くらいから
約2分近くかけてのクレシェンドの迫力、恐ろしさと言ったらない。
ビートルズの "A Day in the Life" でも
ノイジーなオーケストラのクレシェンドがあるが
あれはせいぜい30秒程度のものだ。
武満さんの曲の、小澤さんによるこの2分間の盛り上げ方は凄い。

同じく初演者、琵琶の鶴田錦史さん、尺八の横山勝也さん、
そして小澤さんの指揮による『ノヴェンバー・ステップス』は
オケが初演と異なることを差し引いてもやはり説得力がある。
が、僕はこのディスクに『地平線のドーリア』が入っていることに
最初は気づかなかった。

『地平線のドーリア』の初演者はビクター盤の若杉さんで、
これを最初聴いた時僕はとても驚いたのだけれども、
弦楽器だけで演奏されているにも拘わらず管楽器の響きがするのだ。
それも笙だったり篳篥だったり、そう、雅楽の響きがするのだ。
更には弦のピチカートから羯鼓の音まで聞こえて来たりする。
弦楽器だけでこんなことが出来るのか、と驚いものである。

が、残念ながら小澤さんの演奏からはその響きは聞こえてこない。
或いはこれは小澤さんの指揮というよりも、
オーケストラがその響きを理解できなかったせいかもしれない。
篳篥や笙の響きを西洋人は "awful"、
即ち「恐ろしい」と感じるということをどこかで読んだことがある。
トロントのオーケストラよりは日本のオーケストラ団員の方が
雅楽の響きに慣れていたからではないかと勝手に想像するのである。

しかし、それはあくまでも若杉さんの演奏を知っている
作曲家としての僕の捉え方、こうあってほしいという
願望にすぎないのかもしれない。
雅楽的な響きという点を忘れて、純粋にこの演奏に耳を傾けるなら、
小澤さんの演奏はやはり熱く、また別な説得力を持って
心に響いて来るのである。

2024年3月31日日曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その2・サイトウ・キネンのブラームス『交響曲第1番』

正直ブラームスは苦手である。
大体出会いがよくなかった。
中学の時の卒業式かなにかの式典の時に
例のベートーヴェンの『第九』の「歓喜に寄す」に似た
あのメロディーが BGM として流れていたのだ。
それを聞いた僕は、「何このベートーヴェンのパチもんみたいな
なよなよしたメロディーは?
こんなの流すのだったら『第九』を流せばいいのに」っと思ったのだ。
それがブラームスの『交響曲第1番』の最終楽章だと知ったのは
それからずっと後のことのようだったように思う。

後に、吉田秀和さんの『LP 300 選』に従って、
交響曲の『第4番』と『第2番』を聴いたのだが
あまりピンと来なかったように思う。
『第4番』に至っては、多分これを聴く前にその第3楽章を
イエスのリック・ウェイクマンが『こわれもの』の中で演っている
そちらの方が印象に残っているほどだ。w
第一、ヴァーグナーより20歳も年下なのに、
つまり、世界的に影響を与えた楽劇『トリスタンとイゾルデ』を
聴いているはずなのに、寧ろベートーヴェンよりも古典的な
古い感じのする響きでではないか。
因みに、ブラームスが40年掛かって仕上げたという
『交響曲第1番』が完成、初演されたのは1976年で、
この年は、ヴァーグナーの『ニーベルンクの指輪』四部作の
最後の作品『神々の黄昏』が初演された年である。
彼より9歳年上のブルックナーがヴァーグナーの響きを取り入れて
ベートーヴェンの交響曲を更に拡大したのと対照的だ。

そう、僕は管弦楽法を勉強した時に、
例のリムスキー=コルサコフの教科書も読んだが、
その「まえがき」で彼はこう書いている。
(以下、英語版からのヒロシによる自由訳)

「古典派の作曲家、そして近代の作曲家でも、想像力とパワーを駆使してオーケストレーションを行う能力に欠けている作曲家は一人や二人ではありません。音の色に関する秘密は長いことこうした作曲家たちの創造力を越えたところにあったのです。それでは、こうした作曲家たちは管弦楽法を知らなかったということになるのでしょうか? いいえ、彼らの中の多くは、単に色彩的な表現をする作曲家たちよりは寧ろより多くの管弦楽法の知識を身に付けていました。或いは、ブラームスは管弦楽法を知らなかったのでしょうか? そんなことは勿論ありませんが、にも拘わらず、彼の作品のどこにも、鮮やかな色調や絵画的イマジネーションを呼び起こすような表現を見つけることはできません。実際、ブラームスの音楽的思考は音の色の面には向けられなかったのです。彼の心は色彩的表現を必要としなかったのです。」

そんなブラームスなのであるが、
少し前に「レコード芸術」か何かの記事に出ていたのだが、
最近は「交響曲」の読者による人気投票を行うと、
ダントツ1位となるのは、かつてはベートーヴェンの『第5番』
だったのが、今はブラームスの『第1番』なのだそうだ。
悲壮感漂う重たい出だしに始まりつつ、最後は光と希望を感じさせ
力強く終わるのが人気の秘密らしいが、
ベートーヴェンの『第5番』だってそうではないか。
ただ、僕にしてもこの曲で最も印象的なのは
その第1楽章のティンパニの4ツ打ちに支えられた出だしと
第4楽章のエンディングのところはカッコイイと思うのだ。
そんなこともあって、ここまで散々書いて来たが、
実はこの出だしを真似て2011年に「Return to the Earth」
という曲を発表している。w


さて、前置きが長くなったけれども、
小澤征爾さん率いるサイトウ・キネン・オーケストラが
1987年の最初のヨーロッパ遠征の時に演奏したのが
このブラームスの『第1番』なのであって、
その時の遠征の模様はコンサートの舞台裏を含めて
NHK で放送されたので記憶されている人も多いことと思う。
僕もこの番組で演奏風景を見てスゲーと思ったものである。
何とも分厚く、熱い響きを奏でる弦楽器群が凄い。
幸い、この番組を YouTube にアップしてくれている人がいるので
ご存じない方はご覧になられるとよいと思う。


なので、サイトウ・キネンの CD となると
やはりブラームスの『第1番」は聴いておきたい。

240331a

1990年の録音と言うから、最初のヨーロッパ遠征から3年後で
暑くて熱いストリングスは健在だが、テレビで観たものよりは
ずっと落ち着いた感じの響きではないかと思う。
まぁ、小澤さんが振ってる絵があるのとないので
こちらの聴き方が影響しているのかもしれないけれども。w

ブラームスの『第1番』の人気に火を付けたのは、
ミュンシュがパリ管を率いて1968年に録れたEMI 盤ではないか、
と僕は思っている。
何を隠そう、僕が『第1番』の CD を買ったのはこれが最初で、
その色彩的表現に驚いたものだ。
これがブラームス? と。
第4楽章なんかどんどんアッチェランドして
否応もなく盛り上がって感動するのだ。

ミュンシュの弟子でもある小澤さんの演奏は
もっとどっしりしていて別の行き方だけれども
そもそもウィーンのブラームス演奏がどういうものか
僕にはわからない。
ただ、上で紹介した NHK の番組ではウィーンとベルリンの
観客の感想に「解釈の違い」について触れている人たちがいるのが
興味深いと言える。

「解釈」とは何か?
これは、バーンスタインが Young People's Concerts の5回目
「What is Classical Music?」で触れているのが参考になる。
即ち、所謂「クラシック」とジャズやロック、ポップスの違いは
クラシックは楽譜通りに演奏することが期待されるということだ。
しかし楽譜通りと言っても、楽譜に全てが書いてあるわけではない。
僕等はベートーヴェンが指揮した『第九』がどんな響きだったか、
バッハが自ら演奏したオルガン曲がどんな響きだったか
録音が残っていない以上正確には知り得ないのである。
従って、楽譜には書いてない細かいテンポやデュナーミク、
各楽器のアーティキュレーション、楽器間の音量バランス、
こうしたものは全て演奏家に委ねられているのだ。
そう、楽譜という紙に書かれている情報を
具体的な音として現実のものにすること、それが「解釈」なのだ。

上に紹介した NHK の番組の中で、小澤さんと秋山さんが
コンマスの安芸晶子さんと弦の弓使いの確認をするシーンがある。
安芸さんがバイオリンを弾くと、小澤さんも秋山さんも
それを真似つつ、そうそう、そうだった、と相槌を打つのだ。
してみると、このディスクにも聞かれる
サイトウ・キネンのあの分厚い弦の響きというのは
小澤さんがそういう音作りをしているというよりも、
齋藤秀雄さんが示した弓使いの再現から来ているのではなかろうか。
そう、このオーケストラはあくまでも「サイトウ・キネン」
なのである。
齋藤秀雄さんは指揮法の先生として有名だけれども、
ご本人はチェロ奏者であったから
弦楽器の弓使いについては明確なヴィジョンがあったに違いない。

だからそう、それはウィーンの伝統とは異なるかもしれないが、
やはり素晴らしいブラームスなのだ。
2010年3月の「グラモフォン」の記事、
世界のオーケストラベスト20で、このオーケストラが
19位にランキングしているのはその演奏の素晴らしさが
世界的にも認められていることの証左に他ならない、

1987年に初めてこのオケのことを知った時に、
何故そのヨーロッパデビューがブラームスなのか
不思議に思ったことがある。
もしかすると『第1番』は小澤さんを含めた
サイトウ・キネンのメンバーにとって思い出のある曲なのか、とも
小澤さんが弟子入りしたいと感じたミュンシュの演奏を
初めて観た時に演奏していたのがブラームスだったからか、とも
僕は想像するのだが、何れにしても小澤さんにとっては
特別な曲だったのかもしれない。

[2024.04.14 追記]
「何故ヨーロッパデビューがブラームスなのか」について、
その後読んだ村上春樹さんとの対談集
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』の中で
そのことが触れられていたので、ご参考までここに引用しておく。

「それはね、斎藤先生の味が出るのはやはりブラームスだって、僕らは思ったんです。……(中略)……みんなにも聞いて、それで決めたと思うんだけど……。斎藤先生の 考える『しゃべる弦楽器』には、ベートーヴェンよりもブラームスの方が向いているんじゃないかと。 エスプレシーヴォの強い、つまり表情豊かな弦楽器には、 ブラームスが向いているだろうということです。で、とにかくまずブラームスを全部やろうよということで始めたのが、ヨーロッパの旅行だったんです。」

2024年3月30日土曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その1・サイトウ・キネンのベートヴェン『第九』

RL でいろいろなことがあってこの日記も随分間が空いてしまった。
最後に書いたのがパイプオルガンのプラグインに関する記事で、
その前は小澤征爾さんの追悼記事だった。
前にも書いたが小澤征爾さんはずっと僕の中ではヒーローだったので
やはり旅立たれたことはとても残念でならない。
そこで何枚か手許にある小澤さんが指揮したディスクを聴きながら
つらつら心の中に浮かんで来ることなどを書いて行ってみようと思う。

まず最初に、僕が小澤さんのことを知るきっかけになったのが
ベートーヴェンの『第九』だったし、
皆さんもご存じのように僕は毎年『第九』に関わっているので
この辺りから書いて行ってみよう。

小澤さんはこのベートーヴェンの『第九』を
確か3回録音しているはずだ。即ち、

・1974年録音、ニュー・フィルハーモニア管(Philips)
・2002年録音、サイトウ・キネン・オーケストラ(Philips)
・2017年録音、水戸室内管(Decca)

1974年のニュー・フィルハーモニア盤が、
僕が初めて小澤さんの指揮を観た時に時期的には近いので
いつか聴いてみたいと思ってはいるけれども、
今回は手許にあるサイトウ・キネン盤について書いてみる。
これは、何と50万枚以上売れたという、
クラシックの CD としては驚異的なベストセラーになったものだ。

240330a

結論から言ってしまうと、なかなか標準的な第九演奏と言える。
演奏時間は CD 全体で 69分、楽章と楽章の間を除いた
本体の演奏時間は 67分21秒なのでやや速いかもしれない。
2002年、元旦のウィーン・フィルのニューイヤーコンサートに登場、
同年にウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任したその小澤さんが
同じ年のサイトウ・キネンフェスティバル松本で振った時の
ライブ録音ということで、サイトウ・キネンらしい
分厚いストリングスが醸し出す熱く緊張感に溢れた演奏だ。
前に書いた第1楽章再現部の手前、雪崩れ込むような感じの部分、
子供の頃の僕に印象深く刻まれたあの感じは
今この演奏にも生きているようだ。

今「標準的な演奏」と書いたが、実は標準的でないところがある。
第2楽章だ。
普段は第3楽章に置くスケルツォをベートーヴェンはこの曲では
第2楽章に置いて、反対に通常は第2楽章に置く緩徐楽章を
3番目に持って来た。
そしてこの第2楽章のスケルツォには問題があって、
388章節目から399章節目にかけて
1番かっこの繰り返し記号がある。
20世紀の『第九』演奏のスタンダードを築いたと言われる
ヴァインガルトナーはこの繰り返しをしないよう指示したとか。
なので、僕がいつも聴いて参考にしている
フルトヴェングラー指揮バイロイト祝祭管の演奏でも
ここは繰り返さずに最初から2番かっこに飛んでいる。
そのことを知ってか知らずか忘れてしまったが、
かつて横浜マーチングバンドで『第九』の全曲演奏をやった時は
僕もこの1番かっこは飛ばして演奏している。
ところが、小澤さんのこの録音では
1番かっこをちゃんと演奏して繰り返しているのだ。

繰り返す場合と繰り返さない場合は指揮者のテンポにもよるが
3〜4分くらい演奏時間に差が出て来ると思う。
調べて見ると第2楽章の演奏時間はフルトヴェングラーが11分52秒、
バーンスタイン指揮ウィーンフィルが11分11秒、
ご参考までヒロシの YMB 版が11分41秒なのに対して
小澤さんのは13分27秒だ。
つまり、繰り返してこの差ということは結構速い演奏と言える。

速いと感じるのは第3楽章もそうだ。
これは僕がベートーヴェンが書いた最も美しい音楽と思っているが、
フルトヴェングラーのあの眠くなりそうなくらいゆったりとした
テンポの演奏が好きなのである。
天上の音楽。
そう思ってこれも演奏時間を調べてみたら、
フルトヴェングラーが19分27秒、僕のは更に遅くて19分46秒。
だから14分1秒の小澤さんのは、それは速く感じるよね。w

そして第4楽章。
ここで僕がその演奏の特徴を見極めるのが、1つには
Allegro assai の94章節目、「歓喜に寄す」の大合唱が、
"vor Gott(神の前に)" とフェルマータの付いた全音符になり、
次の小節からは Alla Marcia と書かれたマーチになる所だ。
初めて『第九』を聴いた時はこの部分でゾクっとした。
このえも言われぬ恍惚とした感動を覚えるには、
"Gott" のフェルマータをどれだけ延ばすか、
そしてマーチを開始するまでにどれだけ間を取るか、なのである。
因みにフルトヴェングラーのバイロイト盤ではどちらも8秒。
僕もフルトヴェングラー目指して延ばしてみたが、
フェルマータが6秒、その後の間が4秒で、
小澤さんのサイトウ・キネン盤ではそれぞれ6秒、3秒だ。
僕がこの演奏を良い演奏と感じるのはこういう所にもあるかも。

もう1つ、僕が必ずチェックするのが、最後のエンディング、
"Prestissimo" と書かれた部分のテンポだ。
これは「極めて速く、この上なく速く」という意味なので、
とっても速く弾かなければならないのだけれど、
この前にこの標語が出て来る所には BPM = 264 の指定があるので
もう、メチャメチャ速く弾く必要があるわけだ。
で、これをやっているのがフルトヴェングラーで
バーンスタインもウィーン・フィルとの全集版で速く弾いている。
フルトヴェングラーに至っては、もうオケが付いて来れなくて
音がズレまくったりしてるけれど、
それだけに終わった時の感動が凄いのだ。
で、僕も YMB の『第九』演奏会ではそれを真似てやってます。w
一方、この小澤さんのはそこまで速くなくて、
まぁ、現実的にはこの位で、多分僕が子供の頃観た時も
この位のテンポだったんじゃないかと思う。

というわけで、いろいろ書いたけれども、
全体としては小澤さんの熱気が伝わる聴きやすい演奏だ。
どうしてもフルトヴェングラーで聴くことが多いのだけれども、
この演奏ももっと聴いてみようかな。
次回はサイトウ・キネンのブラームスについて書きます。

2024年2月12日月曜日

【技術情報】 パイプオルガン・プラグイン「The Leeds Town Hall Organ」のこと

僕の SL ライブにお越しの皆さんならご存じでしょうが、
SL では僕は結構パイプオルガンを弾きます。
勿論本物のパイプオルガンを弾いているわけではなくて、
シンセの音源を鳴らしているわけですが、
実はなかなか「これだ!」という音源には出会っていません。
というのも、パイプオルガンというものはたくさんあるパイプを
自分のイメージする音にするために組み合わせて弾くわけで、
シンセの音源の場合は固定した音しか出せないので
こういう音を出したい時は使えるけど、
こういう音は出ないねぇ、ということがあるわけです。

そういう需要は音楽をやっている人なら気づくはずで、
はい、確かにあるのです。
たくさんの組み合わせをサンプリングしたものから
物理モデルで再現するものまで。
しかし、得てして自由度が高く、品質の良い物は
お値段もそれなりにしますし、PC のストレージも結構使います。
そこで、できるだけ安く手に入って、しかも容量の少ないもの、
と探していった時に見つけたのが、
Samplephonics 社の無料プラグイン
「The Leeds Town Hall Organ」なのです。

これはその名の通り、イギリスのリーズ市の市民会館にある
パイプオルガンをサンプリングした音源で、
Native Instruments の KONTAKT 正規版、
Apple の EXS24、サウンドフォントなどに対応したプラグインです。
お、これは! と思ってダウンロードして、
自分は KONTAKT はフリーのプレーヤーしか持っていないので、
サウンドフォント対応の Sforzando でためしたのですが、
どういうわけかプリセットの1番は音が時々出なくなるし、
2番は何やらエラーメッセージが出る。

240212f

いい音してるのにこれじゃあ使えないなぁ、と思ってましたが、
これは絶対設定に誤りがある! と思っていろいろ試していたら
修正する方法がわかりましたので備忘を兼ねてここに書いておきます。
但し、この修正の仕方は HTML や XML、そして
MIDI ファイルをいじった経験がない方にはお勧めしません。
ファイルを壊してしまうと永久に使えなくなる危険性がありますので、
何をやっているかわかっている方のみ自己責任でお願いします。

ダウンロードしたファイルを解凍すると、
「Sampler Instruments」というフォルダに
「SFZ」というフォルダが入っています。
そこに6つの拡張子「.sfz」のファイルが入っています。
ファイル名がプリセットを表しています。
これらのファイルの実体は、WAV や MID などと違って
ただのテキストファイルです。
そこで、テキストエディタを使ってこれらのファイルを修正しますが、
失敗することも考えて、コピーを取ってそのコピーで作業します。
今回1番と2番のファイルを修正しますが、
僕の場合はそれぞれ「Preset 1a.sfz」、「Preset 2a.sfz」という
コピーファイルを作って作業しました。

まず、1番の方ですが、これをテキストエディタで開くと
こんな感じです。

240212a

11行目以降続く <region> のタグのところにある
「seq_length=0 seq_position=1 」がどうも不要です。
ちゃんと動く3番以降のファイルにこの記述はありません。
そこでこの記述を消すわけですが、この <region> は
全体で170箇所ありますので、一つ一つ消すわけにはいきません。
そこで、図のように「検索と置換」の機能を使って一気に消します。

240212b

但し、全体は2つのグループに分かれていて、
今消したのはグループ1の方、2の方はこんな感じで
少し記述が異なります。

240212c

「seq_position=」の次の数字が違うので、これはこれでまとめて
検索と置換をして一気に消します。

次は2番のファイルです。
これは上に示した通り、2番のファイルを指定すると
エラーメッセージが出るのですが、
このメッセージをよく読むとわかります。
どうも111番以降の region の loopend の値がおかしいらしい。

240212d

確かに、109番までは loopend の値が
その前の行にある end より1つ小さい値なのに
111番以降は何故か end より倍くらい大きい値になってる。
なので、これを修正します。
111番は end が 541190 なので、loopend は 541189 に。
以下同様。

これも、グループ1とグループ2に分かれているので、
グループ2は112番以降を修正。

240212e

こうして修正したファイルを読み込むと、
おーおー、気持ちよく演奏できるようになりました。
実際の音については、 YouTube にデモを上げておきましたので
こちらをご参考にしてみて下さい。


簡単に説明しておくと、6つのプリセットの内容は次のようです。

PRE6: 8'(基音)
PRE1: 4'(オクターブ上)
PRE2: 4' + 2 2/3'(オクターブ上と12度)
PRE3: 4' + 2 2/3' + 2'(PRE2 + 2オクターブ上)
PRE4: 4' + 2 2/3' + 2' +1 3/5'(PRE3 + 17度)
PRE5: 8' + 4' + 2 2/3 + 2' + 1 3/5'(所謂コルネ)

YouTube でも紹介していますが、これをそのまま使うのでなく、
組み合わせて使うと更に充実した音になりますのでお試し下さい。
ダウンロードは次の Samplephonics 社のサイトからになります。


多分、次のライブでパイプオルガン演る時は
このプラグインを使うだろうな。^^

2024年2月11日日曜日

実はヤバかった昨年末の『第九』コンサート

来年の事を言うと鬼が笑うと言いますが、
昨年の事を言うとやはり笑う人がいるのでしょうか?

前回指揮者の小澤征爾さんのことを書きながら、
小澤さんの演奏を聴いたのが僕がベートーヴェンの『第九』を
初めて聴いた時だったことを思い出しました。
それをきっかけにしていろんな指揮者の第九を聴いて、
大学生になって東京へ出て来てからは生で聴けるからと
今年は NHK ホール、今年は東京文化会館と通ったものです。
一方 CD では結局一番よく聴いているのは
例のフルトヴェングラーのバイロイトライブと
バーンスタインの全集版の録音ですね。

そんな『第九』の演奏をセカンドライフを始めた年の12月に
あれはきっとフォンタナだったと思うのですが、
やっているのを見かけて、いいねぇ! と思ったのですが、
まさか自分がその伝統を受け継ぐことになるとは思わなかった。w
そう、フォンタナは解散しましたが、
その後を受けて YMB で毎年『第九』演奏会を
年末に続けているわけなのです。

昨年の『第九』演奏会は、見事元日の0時0分0秒に
スダダダダン! と最後の1音を決めることができて
大変喜んでいるヒロシでしたが、実は気が気でなかったのです。
演奏会の1週間前から、グループへの告知やら
メンバーへの連絡やらしなけきゃと思ってインしたところが、
3分もしないうちに Firestorm どころか、Mac 本体が落ちるのです。
10月にデビュー15周年ライブをやってから
何も環境変わってないのに、何で〜〜? という感じです。

そうか、Firestorm がダメなんだな、と思って
公式最新版をダウンロードしてインしてみたところ、
お、行けそう! と思った瞬間にやはり強制シャットダウン。><
このままでは年末の『第九』は中止か!? いや、それはできない!
と、思い出したのが、株式投資関連のツールを使うためだけに
2万円という安値で購入した Windows のノート。
そう、Mac では動かないソフトがあるので、
それを動かすためだけに買ったものなので、
スペック的には全く期待できない、グラボも入っていないもの。
これに Firestorm をインストールしてみたら、
おー、おー、ちゃんと動くではないか!
おし、最悪当日はこの Windows マシンで行こう! 

しかし、やっぱり心許ないですよね。
なので、Windows マシンはバックアップの位置付けにして、
もしや、と思い、メインマシンの Mac の OS アップデートを実行。
更に Firestorm のクリーンインストールを実行。
どうせ Windows マシンの方はクリーンインストール状態なのと、
よくよく考えるとそれほどバックアップが必要なものもない。
大抵は環境設定だけで、それはすぐ戻せるからね。
そんな対応をして恐る恐る Firestorm を立ち上げると
何とか動くみたい。
3分経過。。。5分経過。。。10分経過。。。
30分くらいは落ちないで動くので、何とかなりそう。。。

というわけで、2時間保つかどうかわからないけれど、
当日は、まずは Mac で行ってみることに決めました。

んで、当日。
集合時間に YMB のメンバーが揃ったところで、
やー、もしかしたら今日は演奏中に落ちるかも。。。と
自分の心配をみんなに告げると、
「きゃはは、指揮者がいなくても音が鳴ってる」
「SL あるあるだー。」
と、早速ネタにされてしまう始末。。。ぐぬぬ。。。

まぁ、実際には最後までちゃんと落ちないで指揮できましたけどね。
中の人としてはホントヒヤヒヤの、実にヤバかった演奏会なのでした。

2024年2月10日土曜日

【RL】 R.I.P. 小澤征爾さんのこと

指揮者の小澤征爾さんが亡くなられた。
ここ数年はあまり体調が優れないようにお見受けしていたが、
もう小澤さんが指揮する姿を見られなくなるのは残念なことだ。
それは、小澤さんは世界的に有名な指揮者の中でも
僕にとってはヒーローだったからだ。
実は、つい最近あることがあって急に思い出し、
武満徹さんの「カトレーン」と「鳥は星の庭に降りる」を
タッシやボストン響を指揮して収めたCD を買って
ここ数日聴いていたばかりなのだ。

240210a

僕が小澤さんのことを知ったのは中学1年生の冬だったと思う。
冬休みに入る前の音楽の授業で、先生は夏休みや冬休みには
クラシックの曲の鑑賞文の宿題を出すのだが、
この時は宿題の曲を指定したのだ。

「皆さんにはこの冬休みに是非聴いてほしい曲があります。
 ベートーヴェンの『第九交響曲』です。
 テレビやラジオでたくさん流れると思うので
 是非聴いてみて下さい。」

その場で先生が紹介したのか、それとも
自分で新聞のテレビ欄をチェックしていて見つけたのか忘れたが、
小澤征爾さんが手勢の新日本フィルを率いて演奏する
『第九』の演奏会と、そのゲネプロの様子を追いかけた
ドキュメンタリーの2部構成の番組があったのだ。

演奏会は、この時初めて第九を聴いてとても感動したのだが、
面白かったのはドキュメンタリーの部分で、
指揮者というと何だかとっても偉い人のような感じなのに、
インタビューを見ているととても気さくな感じの喋りで、
ゲネプロでは全身を震って指揮するその情熱的な姿に魅せられた。
第1楽章の再現部の手前、全ての楽器が力強く雪崩れ込んで来る、
その部分を思い切り棒を振りながら自ら歌うのだ。

240210c

この時の小澤さんの声は今でも僕の耳には聞こえるようだ。

凄い人だと思った。そして面白い人だと思った。
それから小澤さんが出て来るテレビ番組は
必ずチェックするようになったのだ。

今僕の iPhone に入っている小澤さんの指揮になる音楽は、
最初に書いた武満徹さんのものやメシアンのもの、
それからレスピーギのものなどがあるが、
案外面白いと思っているのが小澤さんがナレーションをしている
「ピーターと狼」、「動物の謝肉祭」、
そして「青少年のための管弦楽入門」を収めた CD だ。
小澤さんが指揮している管弦楽曲は普通に聴くけれども、
声が入っているものは貴重だと思う。
それも、あの気さくな語り口で、とても親しみがあっていいのだ。

240210b

これら3つの曲は何れもオーケストラの楽器紹介のためのもので、
ベンジャミン・ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」は
LP 時代はマルケヴィッチの指揮、栗原小巻さんのナレーションで
聴いていましたが、小澤さんのは出だしからちょっと面白い。

「オーケストラの演奏を生で聴いたことがあるかな?
 もう何回も聴いたことがある、っていう人もいるだろうし、
 オレはまだ一度も聴いたことがない、なんていう人もいるかもね。
 ラジオやレコードで聴くのも勿論いいんだけども、
 生のコンサートで聴くと、
 オーケストラにはいろんな楽器があるってことがわかって
 なかなか面白いんだよ。

 じゃあこれからオーケストラにはどんな楽器があるのかを
 わかりやすく紹介した曲を聴いて下さい。
 イギリスのベンジャミン・ブリッテンという人が書いた
 『青少年のための管弦楽入門』、難しい名前だけども、
 まぁ、要するに
 君たちのためにオーケストラをご案内しましょう!
 という曲です。」

何だか楽しいことが始まる感じがしませんか?
この CD に入っている曲は何れも入門向けの曲で
管弦楽法とか勉強している自分には今更の内容だけれども、
この小澤さんの喋りが好きで何度も聴き返しています。

そう、きっと小澤さんが指揮した音楽の CD は
きっとこれからもずっと聴き続けていくことでしょう。
素晴らしい音楽の贈り物をありがとうございます。
今はただご冥福をお祈りします。