一日日記が空きましたが、一昨日は大津に宿泊したので、
昨日は会社を休んで引き続き大津でゆっくりと過ごし、
そのあと京都に移動して、京都での「高句麗伝説」を堪能しました。
終演後、最終の新幹線で東京に戻って来た、という次第です。
さて、大津に来るまでは、『万葉集』から伺い知る
大津京をめぐる歴史と、
『平家物語』に描かれた竹生島詣の話、
その源平でも大きな役割を果たした堅田衆のことなど、
数多くの歴史の舞台となったこの土地のあちこちを訪ねてみたいと
そう思っていたのですが、
大津での「高句麗伝説」の公演で歴史が解放されたからでしょうか、
昨日は朝目が覚めると、どこに行きたい、というような気持ちは
すっかりと消え失せていたのでした。
とは言え、よくよく考えてみると、この地はこれまで
何度も通過はしているものの、その大地を踏みしめたのは初めて。
せっかくなのだから、と思い直して、
足の赴くままに散歩してから京都に戻ることにしました。
まず、泊まっていたホテルは大津京の駅の近くだったのですが、
その大津京の隣が唐崎と知って、
ああ、それならそこに行ってみよう、と思い立ったのです。
唐崎と言えば、『万葉集』好きにはすぐに
柿ノ本人麿の次の歌が思い出されるでしょう。
楽浪(さざなみ)の 志賀の辛崎 幸(さき)くあれど
大宮人(ひと)の 船待ちかねつ
辛崎というこの地名、「さき」が「辛」に似た
「幸せ」を意味する「幸(さき)はふ」にも通じることから、
何ておもしろい歌なんだろう、と、
中学生の時、初めてこの歌に出会った時からそう思ったんですね。
しかも、唐崎と言えば松で有名で、
勿論、「松」は「待つ」に通じるわけです。
![120522a.JPG](http://farm9.staticflickr.com/8162/7249213818_ff5eb66a30.jpg)
そんなこんなで、僕もこの場所から琵琶湖を望みながら、
辛崎に 生ふる松の木
万代(よろづよ)に 人の幸(さき)はふ
世を乞ひ待つらむ
世界中の人が皆、健康で幸せに生きていけるような
そんな真に平和な世界が、社会が訪れることを願うのでした。
さて、唐崎まで来ると、坂本、堅田と、
歴史好きには有名な地名が湖西線に沿って並びます。
堅田はもと比叡山の荘園として発達したところですが、
水軍の民として独立した生活を営み、
彼らを味方につけることができるかどうかが
戦いの勝敗を分けた、そんな存在でした。
その堅田の地を何となく歩いてみたくて、
ふらふらと散歩しながら満月寺の浮御堂を訪れました。
琵琶湖に浮かぶその姿は、もう墨絵そのもののようです。
![120522b.JPG](http://farm8.staticflickr.com/7225/7249213968_dc7d922ea7.jpg)
そして坂本。
ここは比叡山の入口であり、
従って、数多くの戦の拠点ともなったところです。
比叡山か。。。
思い返してみれば、京都には何度も足を運んでいるのに、
比叡山に登ったのも、そこから琵琶湖を望んだのも一度きり、
中学校の修学旅行以来です。
ここから登って。。。そこから京都に戻るか。。。
![120522c.JPG](http://farm8.staticflickr.com/7072/7249214078_6924b91bb7.jpg)
写真は坂本からケーブルカーで登って行ったところで
琵琶湖を望んだもの。
このあと根本中堂など見てまわり、
バスで京都に戻ることにしたのですが。。。
何と、そこで友達に会ってしまったのです。
お互い、「え〜〜〜、何でこんなとこいるの〜〜〜?@@」
というわけで、偶然の出会いに二人ともえらく盛り上がり、
楽しくおしゃべりしてるうちにあっと言う間に京都に着いたのでした。
淡海(あふみ)とぞ 人は呼ぶなり
あな嬉し 君に逢ふ身と
思はぬものを
そして夕刻、「高句麗伝説」の会場へ。
前日にもまして素晴らしい、内から力と喜びが溢れてくる
とても充実したひとときでした。
そのエネルギーは今なお自分の中に漲っています。
この素晴らしい経験を、一人でも多くの方にして頂きたい、
そう願って、時々この日記でも紹介させて戴いてるのです。
また、近々開催される折にはご案内させて戴きますね。
というわけで、とってもとっても充実した二日間でした。
それでは、また。^^