2020年11月28日土曜日

「Burn2 VRC」の動画が公開されました!

ずっと日記も SL もお休みしていたヒロシです。
あ〜〜〜〜っと言う間に11月も終わっていよいよ年末ですね!
ということで慌てていろいろ書いていこうと思います。

まず最初に、もう2週間前のことになりますが、
8月末から9月の初めにかけて行われた、
オンラインの本家バーニングマンのイベントと連動して
セカンドライフ内で行われたイベント Burn2 VRC に
ナチュさんと2人で出演した釈の動画が公開されましたのでお知らせ。
この時も勿論、ケルパさんの演出、しんさんの撮影で、
あの時のステージを今また YouTube で楽しむことが出来ます。

■Hiroshi Kumaki @ Burn2 VRC2020
 

■naturalway Flow @ Burn2 VRC2020
 

僕のは1時間のイベントでたった3曲!www
「ビートレス組曲」という、実験的な曲をやったのですが、
今見直してみると、自分で言うのもなんだけど
これが結構面白いね。
いや、僕の音楽そのものより、それに対するみんなの反応の方が
面白いんだけどね。
「生命」を表すためにスーッ、ハーッ、って呼吸の音を入れたら
そこに「ダースベイダー」を感じてくれたり
キラキラサウンドに「スタートレック」を連想したり。。。
演奏してる本人はその意識がなかっただけに
「なるほど〜っ」って思いながら楽しませて戴きました。

というわけで、当日会場にいらした方もそうでない方も
是非是非これらの動画をお楽しみ頂ければと思います。
よろしくお願いします。^^

2020年11月3日火曜日

「第3回セカフェス」の動画が一挙公開されました!

 去る8月21日(金)〜23日(日)にかけて邪払さんの主催で行われた
「第3回セカンドライフ・フェスティバル」の動画が
ライブ中継と同じしんさんのチャンネルで一挙公開されました!

僕の動画は次の通りで、今見直してみると、
インストの曲と歌ものが半分ずつって感じで、
僕のライブにしてはバランスのいい選曲だったななんて感じてます。


いやもう、8月のことなんて遠い昔のようにも感じていて
我ながら、そうそう、こんなんやったねぇ、という感じで、
寧ろ新しい気持ちで観ることができました。

自分でもそうなので、実際に会場にいた人も
当日はご都合でリアルタイムには体験出来なかった方も、
是非これらの動画をお楽しみ頂けると嬉しいです。
いろいろと新しい発見があるかもしれませんよ。^^

というわけで、しんさん、ありがとうございました!

■第3回セカンドライフ・フェスティバル動画

<第1日目>

・花と夢ラジオさん
 

・Tomgirlさん
 

・Rulie Cisseさん
 

<第2日目>

・SoJuKaNoUさん
 

・Natulaxさん
 

<第3日目>

・Rizさん
 

・Piattoさん
 

・らり・るーラジオさん
 

・The Black Stripesさん
 

【RL】 映画「TENET」再び〜ファインマンの「陽電子は時間を遡る」について

 前に書いた映画の「TENET」、久しぶりの映画館での、
それも IMAX での体験だっただけに、とても面白かったのだが、
同じくこの映画を観たという同僚からさっぱりわからなかった、
と聞いて、前から書こうと思っていたこの映画の背景にある
物理学的な「理由付け」について書いておこうと思う。
大雑把な話は、前に熱力学の第二法則と量子力学の基礎知識が
必要だ、と書いたが、その量子力学的な部分を少し補っておきたい。

画面を食い入るように観ていた僕がなるほど、と思ったのは、
映画の前半で主人公とニールが語り合う場面。
ニールがファインマンの「陽電子は時間を遡る」発言に
言及するシーンだ。
この一言で、この映画のしくみが大体わかったのだ。

いわゆる「量子」は粒子と波の2つの性格を併せ持つ。
ファインマンはこのうち粒子としての運動に着目した人らしい。
そして、「運動」と言えば、僕らがイメージするのは、
この3次元空間を移動するイメージだ。
例えば、ある場所にある物体 a は、次のような x, y, z の
3本の軸が示す3次元座標で表すことができる。

201103a

この3次元的な世界を我々は「空間」と呼び、
それとは別なものとして「時間」があると考えるのが普通だ。
しかし、どうも時間と空間は別のものではないらしい。
有名な本だが、若い頃に読んで衝撃を受けたのが
ホーキング博士の『ホーキング、宇宙を語る』だ。
この中で博士はこう書いている。

「相対論では、空間座標と時間座標との間には実際上の区別はない。
それは、どの二つの空間座標のあいだにも実際上の区別がないのと同じである。」
(早川書房刊・林一訳 P27)

そこで、博士は次のような2次元座標を提示される。
x軸方向に3次元空間の座標、y軸方向に時間の座標をとるのだ。
このようにすると、ある場所でじっと動かないでいるというのは、
実際は同じ3次元空間座標には止まっているものの、
時間軸方向には移動している、ということがわかる。

201103b

我々が移動などしていないと感じるのは、
同じ3次元空間でも、実際には地球が自転しているので
毎秒470m くらいは動いているのだがそんなことは感じない、
それと同じようなものなのかもしれない。

或いは、実際には我々の体は常に変化して、
その変化、つまり微細なレベルの運動そのものが
時間であると考えられると前に書いたが、
我々がただ単にその変化を捉えられていないだけなのかもしれない。

話を戻すと、このような時間と空間の2次元座標で考えると
宇宙で起こることの全てを表現することができる。
例えばある二人の人間が会うという場合には、
それぞれが時間をかけて移動(運動)してきた軌跡が
ある一点で交叉する、ということであるとわかる。

201103c

さて、準備は出来た。
これで、物事の「運動」を時間を含めた2次元座標で
表現できるようになったわけである。
で、結論を先に言うと、ファインマンが見つけたのは、
光子から電子と陽電子が対発生、つまり2つ揃って同時に発生する時、
陽電子は電子と反対の方向に向かって動く、ということである。
これを図示すると次のようになる。

201103d

①で示した電子は我々の常識に従って、
今から未来へと向かう方向に動いていくのに反して、
②で示した陽電子は、今から過去に向かって動いていくのだ!
これが「TENET」で表現されている「逆行」の正体である。
そこで、ここでは「TENET」ではわかりやすいように
色使いを変えてあるように、この図でも順行を赤、
そして逆行を青で示してみた。

ここでおもしろいのは、光子から飛び出した電子が
3日間かけてある場所に辿り着いたとすると、
陽電子の方も同じ時間をかけて同じ場所に、
つまり3日前のその場所に辿り着く、ということである。
これを応用した「TENET」が他のタイムトラベルものと違うのは、
殆どのタイムトラベルものが、現代から未来や過去のある一点に
瞬間移動しているのに対して、
「TENET」では同じ時間と場所移動を費やして
過去のその場所に行き着く、ということである。
もうここまで書けばおわかりと思うが、
時間と空間の2次元座標で考えれば、従来のタイムトラベルは、
3次元空間におけるテレポーテーションに他ならない。
そして、今の技術でテレポーテーションが不可能なのであれば、
従来の意味でのタイムトラベルも不可能ということになる。
(※テレポーテーションの可能性は見えてきていますが、
 これについてはまた別途。)

こうした背景があって、「TENET」の主人公の男は
14日間かけて過去のあの場所へと向かってそこで戦う、
ということになるわけです。

さて、今から過去に向かって飛ぶ陽電子ですが、
これに今から未来に向かって飛ぶ電子をぶつけると
今度は「対消滅」という現象が起こり、光子に変化して
この世から消えてしまいます。
回転扉の向こう側に自分が見えなければ帰って来れなくなる、とか、
順行の人間が逆行弾で打たれると致命傷になる、というのは、
実はこの対消滅という現象を下敷きにしたものと考えています。

201103e

この対消滅、対発生をまとめたのが最後の図になります。

201104f

実際には、この「時間を遡る」陽電子の動きは
あくまでも微細な量子世界の出来事であって、
人間の大きさのレベルではそのようなことは考えられないようです。
これについても、先に引用した著書の中でホーキング博士は、
エントロピーが増大する世界の後にはエントロピーが縮小する
そんな世界を想定することができるが、では何故、
私たちはたまたまとは言え、エントロピーが増大する世界に
生まれあわせているのか? という疑問を提示しています。
同書の中に書かれたその答えを読むと、どうも人間が
逆行の世界を生きるのはとても難しそうです。w

しかしだからこそ、そのあり得ない逆行の世界を描いた
この映画はとてもおもしろい思考実験だと僕は思うのです。
SF が単なる "Science Fiction" でなく、 "Speculative Fiction"、
つまり「思弁小説」と言われる所以です。

2020年11月1日日曜日

ガルシア・ロルカとニーチェの引用について

 お約束ですので。。。昨晩のライブで朗読した
ガルシア・ロルカとニーチェからの引用について
原文と訳を掲げておくことにします。
訳は、自分でやってもいいのですが、僕が読んで感銘を受けた
いずれも岩波文庫の翻訳を掲載させて戴きます。
番号は、昨晩の演奏順、そして曲のタイトルになります。

3. Esa Luna(おお、月よ)

Esa luna se va, y ellos se acercan. De aquí no pasan. El rumor del río apagará con el rumor de troncos el desgarrado vuelo de los gritos. Aquí ha de ser, y pronto. Estoy cansado. Abren los cofres, y los blancos hilos aguardan por el suelo de la alcoba cuerpos pesados con el cuello herido. No se despierte un pájaro y la brisa, recogiendo en su falda los gemidos, huya con ellos por las negras copas o los entierre por el blanco limo. ¡Esa luna, esa luna! (Impaciente.)

追っ手が迫ったのに 月が隠れた。
でも二人は ここから動くまい。
川と木々のささめきとが相まって
おどろしい叫喚(さけび)をかき消すだろう。
ここで起こるんだ 今すぐに。
あたしは もう待ちくたびれた。
棺(ひつぎ)のふたは開けられ 白いシーツが
寝室の床で 待ちうけている
喉びこを切られた 重い体を。
小鳥よ目ざめるな そして風よ
二人の死の呻(うめ)きをスカートに包み
暗き梢(こずえ)をふき渡れ さもなくば
呻きをぬかるみに埋めるのだ
(もどかしそうに)
月よ、おお月よ!
(岩波文庫・牛島信明訳、以下同)

ガルシア・ロルカの戯曲『血の婚礼』の第3幕からの引用です。
この劇のストーリーは、若い男と女が結婚式を迎えるはずでしたが、
結婚式の当日、花嫁がかつて付き合っていた男が
花嫁を略奪して馬で逃亡、怒った花婿が二人を追いかけ決闘になる、
というもので、第3幕は、結婚式の夜、逃げた二人は山へ入り、
それを花婿が追いかける、というシーンです。
冒頭、次のト書きがあります。

「森。夜である。数本の湿気をおびた太い樹幹。あたりは闇につつまれている。二台のバイオリンを奏でる音が聞こえる。」

二台のバイオリンの音は、この第3幕の第1場の間ずっと聞こえ、
二人の男の悲鳴が聞こえたところで途絶えます。
僕の曲は、このシーンに作曲したもので、
故にバイオリン2本の線が絡むのが曲の中心ですが、
僕自身はキーボーディストなので、それにピアノの音を入れてます。
そして、原作は老婆のセリフですので、「待ちくたびれた」のところ、
"Estoy cansada." と女性形になっていますが、僕が喋ってるので
"Estoy cansado." と男性形に直しています。


4. An Arrow of Longing I(あこがれの矢・パート1)

Ich lehre euch den Übermenschen. Der
Mensch ist Etwas, das überwunden werden soll. 

わたしはあなたがたに超人を教えよう。人間は克服されなければならない或物なのだ。
(岩波文庫・氷上英廣訳、以下同)

これは、学生時代の僕に、そして社会人になってからも
かなり影響を与えた一文です。
ニーチェの『ツァラトストラかく語りき』の冒頭、
「ツァラトゥストラの序説(Zarathustras Vorrede)」の第3節
その冒頭にある言葉ですが、僕がこれを読んだきっかけは
やはり映画「2001年宇宙の旅」から来ていて、
あの、冒頭に流れるリヒャルト・シュトラウスの音楽、
その原典に接してみたいという思いからでした。
そしてわかったのはあの映画の原作は、アーサー・C・クラークより
寧ろニーチェのこの本ではないか、ということでした。
この本を読んで初めてあの映画がわかった気になったからです。
「人間は克服されなければならない何か」って、
それが正にあの映画で描かれていたことだって思いません?

あ、この曲ではその次の第4節からも引用してました。

Der Mensch ist ein Seil, geknüpft zwischen Thier und Übermensch, — ein Seil über einem Abgrunde.

Ein gefährliches Hinüber, ein gefährliches Auf-dem-Wege, ein gefährliches Zurückblicken, ein gefährliches Schaudern und Stehenbleiben.

Was gross ist am Menschen, das ist, dass er eine Brücke und kein Zweck ist: was geliebt werden kann am Menschen, das ist, dass er ein Übergang und ein Untergang ist.

Ich liebe Die, welche nicht zu leben wissen, es sei denn als Untergehende, denn es sind die Hinübergehenden.

Ich liebe die grossen Verachtenden, weil sie die grossen Verehrenden sind und Pfeile der Sehnsucht nach dem andern Ufer.

Ich liebe Die, welche nicht erst hinter den Sternen einen Grund suchen, unterzugehen und Opfer zu sein:
sondern die sich der Erde opfern, dass die Erde einst des Übermenschen werde.

 人間は、動物と超人とのあいだに張りわたされた一本の綱なのだ、——深遠のうえにかかる綱なのだ。
 渡るのも危険であり、途中にあるのも危険であり、ふりかえるのも危険であり、身震いして足をとめるのも危険である。
 人間において偉大なところ、それはかれが橋であって、自己目的ではないということだ。人間において愛さるべきところ、それは、かれが移りゆきであり、没落であるということである。
 わたしが愛するのは、没落する者として以外には生きるすべを知らない者たちである。かれらはかなたへ移りゆく者たちであるからだ。
 わたしが愛するのは大いなる軽蔑者たちである。なぜならかれらは大いなる尊敬者でもあり、かなたの岸へのあこがれの矢であるからだ。
 わたしが愛するのは、おのれの没落し、犠牲となる理由を、星空のかなたに求めることをしないで、いつか大地が超人のものとなるように大地に身を捧げる人たちである。

「かなたの岸へのあこがれの矢
 (Pfeile der Sehnsucht nach dem andern Ufer)」
これこそがこの曲のテーマになっています。


7. An Arrow of Longing II(あこがれの矢・パート2)

ここでは、4. と同じく「克服されなければならない何か」の台詞を
繰り返しつつ、次の「古い石の板と新しい石の板
(Von alten und neuen Tafeln)」の第30節を読んでいます。

— bereit zu mir selber und zu meinem verborgensten Willen: ein Bogen brünstig nach seinem Pfeile, ein Pfeil brünstig nach seinem Sterne: —

— ein Stern bereit und reif in seinem Mittage,
glühend, durchbohrt, selig vor vernichtenden Sonnen-Pfeilen: —

— eine Sonne selber und ein unerbittlicher Sonnen-Wille, zum Vernichten bereit im Siegen!

——わたし自身とわたしの最も深く隠れた意志を、すこしもためらわず迎えるように。——おのれの矢をはげしく恋い慕う弓となり、おのれの星をはげしく恋い慕う矢となるように。——
——その星は、おのれの正午をいまはためらわず迎える星。燃えかがやき、射ぬかれた星、破壊する太陽の矢に亡ぼされて恍惚となる星。
——さらに太陽そのもの、そして勝利をおさめつつ、ためらわず破壊する、きびしく仮借ない太陽の意志!

矢を恋い慕う弓、星を恋い慕う矢、
弓は英語では "Bow" で、「2001年」の主人公の名前は
ボウマン(Bowman)=弓を射る人、でしたね。
そう考えて宇宙船ディスカバリー号を思い出してみると
あれは「矢」の形をしていないでしょうか?
そしてそのディスカバリー号は星の彼方に向かって
飛んでいったのではないでしょうか?
こうしたこと全てが、僕が『ツァラトゥストラ』を
「2001年」の原作だと考える次第なのです。
そうであれば、あのテーマ曲は最初から決まっていたようなもの、
そう思いませんか?

以上が昨日のライブのタネ明かしになります。
ガルシア・ロルカもニーチェもおもしろいので、
まだという方、是非お勧めしますよ!^^

13周年記念ライブありがとうございました!

 昨晩の SL ミュージシャンデビュー13周年のライブには
たくさんの方々に来て頂き、ありがとうございました。
予想通り、アートなコミュニティへも告知されただけあって
欧州からのお客さんもいらっしゃいましたね。
彼らにも楽しんで頂けたかどうかは不安なところもありますが。。。

簡単にレポートしておくと、会場はケルパさんがこんな素晴らしい
巨大な、それでいて非常に美しい宇宙船のようなステージを
作って下さいました。

<201101a

今回の僕のライブのテーマは「An Endless Journey」で、
宇宙の旅をテーマにしたものでしたので、
ケルパさんのステージが僕にはお客さんもみんな乗せて飛び立つ
巨大な宇宙船のように感じられていたのです。
立方体の枠を、しなやかな羽根のようなものが取り囲んでいて
きっとこれは太陽風を受けて飛ぶんだなぁとか想像してました。w

そして、今回のライブのポスター、僕が映っていなくて
代わりに火星と木星がクローズアップされていましたが、
実はこれ、今年の5月の Roland Cloud のバージョンアップで、
かつてのローランドの名機が手軽に DAW で使えるようになったので、
Jupiter-8、Juno-106 に加えて、Promars という、
Jupiter-4 のモノフォニック版のようなシンセを導入して
これら惑星(と衛星)の名前が付いたシンセの音をフィーチャーした
そういうステージだったのです。
特に Promars は分厚い音と音作りのしやすさが大変気に入っていて
自分が弾くリード音はもちろんですが、様々な効果音を出すのに
沢山重ねて使っています。w
で、これに合わせて、これも初お披露目でしたが、
前から SL 内で探していた Jupiter-8 も、自分で作っちゃったワケ。

201101b

全体は、海辺からの旅立ちの曲をイントロにして、
軌道エレベータで宇宙に上がり、そこで月を目の当たりにしたあと、
火星へと向かい、火星の沙漠に降り立ち、再び木星へ。
そして木星で何かが起こり、異空間へ。。。という、
もう「2001年宇宙の旅」そのまんまな流れなのでした。w

このステージはシンセの即興をメインにしたものでしたので、
歌もの担当のヒロコの出演はありませんでしたが、
代わりに僕自身による朗読を混ぜての展開となりました。
ガルシア・ロルカの戯曲『血の婚礼』の1シーンをスペイン語で、
ニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』の一節をドイツ語で、
それぞれ読ませて戴きました。
ヨーロッパのお客さんがいらしたのでちょうどよかったと思いつつ、
日本の皆さんには何を言っているかわからなかったと思いますので、
この部分については別の日記で歌詞をお伝えするようにします。

MC を混ぜながら、全体は1時間を少し超える内容でしたが、
忙しい中これほどまで大掛かりなステージを演出して下さった
ケルパさんに感謝して、以前「龍の巣」展示の時にやった
「Time to Love - Dragon Mix」をアンコール代わりに演奏して
幕とさせて戴きました。

本当にお忙しい中集まって頂いた皆さん、
ケルパさん、しんさん、ありがとうございました。
またこれからもどうぞよろしくお願いします!

■Hiroshi Kumaki デビュー13周年記念ライブ "An Endless Journey"
・日時:2020年10月31日(土)22:00〜23:00
・会場:YMB パーク特設ステージ
・曲目:
    1. An Endless Journey(終わりなき旅)
    2. Space Elevator(軌道エレベータ)
    3. Esa Luna(この月)
    4. An Arrow of Longing I(あこがれの矢・パート1)
    5. Piano Improvisation "Alone in Space"
    6. Sea of Jupiter(木星の海)
    7. An Arrow of Longing II(あこがれの矢・パート2)
    8. Pipe Organ Improvisation "Paradise"
    <アンコール>
    9. Time to Love - Dragon Mix