『聖書』に預言書と呼ばれるものがある。
最も有名なものは三大預言書、即ち「イザヤ書」、
「エレミヤ書」、そして「エゼキエル書」であり、
その他に十二小預言書と呼ばれる一群の短いものもある。
特に「エレミヤ書」や「エゼキエル書」は、
超自然的な記述がある点も魅力だが、
結局のところ歴史はこの預言者たちが言った通りに動いて行った、
という点に凄まじいものを覚えないではいられない。
そしてこれら『聖書』の預言者たちよりも日本で有名な予言者は
勿論ノストラダムスである。
これは亡くなられた五島勉さんが1973年に出した
『ノストラダムスの大予言』がブームになったことが大きい。
曰く、1999年7月に人類は滅亡するというのだ。
「一九九九の年、七の月
空から恐怖の大王が降ってくる
アンゴルモワの大王を復活させるために
その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配に乗りだすだろう」
この頃既に生まれていた僕はこの話に大変興味を持った。
同じ1973年に小松左京さんの SF『日本沈没』も出版され、
同じ年に映画化、翌1974年にテレビドラマ化された。
1975年には NHK で「なぞの転校生」が放送された、
そういう時代である。
当時はスモッグなどの公害問題がテレビのニュースで流れ
ーーそう言えば1971年には公害問題をテーマにしたヒーローものの
「スペクトルマン」もテレビで放映されていたーー、
1973年にはオイルショック、1974年の狂乱物価と、
1970年の大阪万博のテーマは「進歩と調和」であったが、
世の中には何とも言えない不安が取り巻いていた時代であった。
そんな時代に、遠くない将来人類が滅亡する、というメッセージは
多くの人の心に刺さったと言える。
1999年は疾に過ぎたが、そもそも五島さんは正確には
当時どのように書いていたのか、子供の頃読んだ筈だが、
フランス語原典を簡単に読めるようになった今、
改めて読み直してみてわかったことがあるので備忘も兼ねて
ここにまとめておくことにする。
* * *
原典を読んでわかったことは、ノストラダムスは
イザヤ、エレミヤ、エゼキエルといった聖書の預言者とは
タイプが違うということだ。
かれは天文学や西洋占星術の大家であって、
「暦」を発行していた人なのだ。
つまり、ニュートン力学的な天文学の世界では
何年後にどの星がどの位置にあるということを正確に予測できる。
だから暦を発行していたわけだし、その延長で何年も先のことを
予測できたというわけなのだ。
それをまとめたのが『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』で、
4行の詩を100篇ずつ集めたものを、10巻に著した書物であるが、
その形式から "Les Centuries" と呼ばれることがあり、
"century" という英語が今では「世紀」を表すので、
五島さんの本では『諸世紀』と訳されていたが、
この語は元々 "cent" =「100」から来ている言葉で、
ここでは詩が100篇集められているからの命名なので
現在の日本語では『詩百篇』などと言っているようである。
以下、元のタイトルを生かして『予言集』と呼ぶことにする。
さてその『予言集』の冒頭に、息子のセザールに宛てた手紙が
序文として掲載されているが、その冒頭でこの書の内容は
天文学によってもたらされたことが書かれている。
従ってこの書の内容を読み解くには天文学や西洋占星術の知識が、
そして古いフランス語やラテン語の知識が必須となるのであるが、
どうも五島さんはその辺りの検証はせずに、
恐らく誰かの英訳を読んで解釈していたように思われる。
これは天体が絡む詩で顕著である。
第2巻第48篇
La grand copie qui passera les monts.
Saturne en l'Arq tournant du poisson Mars:
Venins cachez soubs testes de saumons,
Leurs chief pendu à fil de polemars.
五島訳では、
「巨大な軍隊は山を越えて引きあげるだろう
マルスの代わりにサチュルヌが魚たちを裏がえす
シャケの頭にも毒がかくされるようになる
だが彼らの大物は極地で輪のなかにくくられるだろう」
となっていて、「サチュルヌ」を「鉛」と解釈し、
鉛の毒で魚が汚染される予言だとしている。
が、天文学や西洋占星術を考慮してそのまま訳すと
次のようになろうかと思う。
「大きな軍隊が山々を越えて行く
土星が射手座にあり、火星は魚座で逆行する
毒が鮭の頭の下に隠される
その頭は荷造り紐で吊される」
4行目の "Leurs chief”ーー「彼らの頭」とは、
「軍隊の頭」=「指導者」のことなのか
複数形になっている「鮭」の頭のことなのか不明であるが、
前者で訳す方が自然であるように思われる。
僕は寧ろ、「鮭」の原語 "saumon" には "psaume",
即ち『聖書』の「詩篇」の含みがあるように思われる。
この公害的な解釈に関連して、次のものを挙げておく。
第1巻第19篇
Lors que serpens viendront circuer l'arc,
Le sang Troyen vexé par les Espaignes:
Par eux grand nombre en sera faicte tarc,
Chef fruict, caché aux marcs dans les saignes.
五島さんは2行しか訳を載せていないが、
「蛇どもが空をおおってくる
それによって無数の人びとが死ぬ」
として、
「あきらかに航空機の無法な爆撃を暗示していると見られる一篇」
と述べておられる。が、明らかではないだろう。w
僕には最初占星術的に "serpens" は蛇座に
"l'arc" は射手座に見えたのだが、実際に射手座とへび座は隣にいる。
が、この "l'arc" は "l'are" 即ち「祭壇」の誤植らしく、
従って全体の意味としては、
「蛇の群れが現れ祭壇を囲む時
トロイアの血を受け継ぐ者たちはスペイン人に悩まされ
彼らによってその数は激減する
指導者は逃げ、葦茂る沼地に隠される」
「トロイアの地を受け継ぐ者」とはフランス人のことである。
そしてフランス人とスペイン人の間での戦いとなれば
仏西戦争というのが思い出されるが、
その前にも両者の間には何度か戦いがあり、
フランスが散々な負けを喫しているものがある。
航空機とは何の関係もない詩と言えるだろう。
また、
第2巻第75篇
La voix ouye de l'insolit oyseau,
Sur le canon du respiral estage:
Si haut viendra du froment le boisteau
Que l'homme d'homme sera Antropophage.
「人が望まない奇怪な鳥の音が聞かれる
もっとも重複した大砲の上に
小麦の値段ははね上がり
人間が人間を食う時代が訪れるだろう」
1行目の「奇怪な鳥」を軍用機か SST(超音速機)、
或いはロケット戦争、
2行目の「もっとも重複した大砲」という日本語は
意味がわからないが、これを多弾頭式ミサイルとしているが、
原文を割と普通に訳すと
「見たこともないびっくりするような鳥の鳴き声が聞こえる
垂直に立つ換気用の煙突の上にそれはいる
1ブッシェルの小麦の値段が高騰し
人が人の肉を食べるようになる」
鳥が煙突の上にいるのは不吉な前兆だそうで、
それもただの鳥ではないものが現れ、飢饉が起こるということか。
次のものも、五島さんの訳では意味不明。
第9巻第44篇
Migrés, migrés de Geneue trestous.
Saturne d'or en fer se changera,
Le contre FAYPOZ exterminera tous,
Auant l'aduent le ciel signes fera.
五島さんの訳では、
「逃げよ、逃げよ、すべてのジュネーブから逃げだせ
黄金のサチュルヌは鉄に変わるだろう
巨大な光の反対のものがすべてを絶滅する
その前に大いなる空は前兆を示すだろうけれども」
「すべてのジュネーブ」とは「世界の有名都市」のことであるとし、
「光の反対のもの」とは、
「太陽を完全にさえぎる超光化学スモッグのすさまじい雲」
としてるが、これは読み違え。
「すべての」の原語 "tretous" は「皆さん」と呼びかけの語、
"Le contre RAYPOZ" とは "RAYPOZ" の反対、
即ち "ZOPYAR" を表し、ほぼこれと同じ語 "Zopyra" を
銘にしていたというスペインのフェリペ2世を表す、
というのが現在では一般的な理解かと思われる。
わざわざ大文字にしてますからね。
「逃げよ、ジュネーヴから去れ、全ての人よ
サトゥルヌスの黄金の治世は鉄の時代へと変わる
RAYPOZ を逆から読んだものが全てを滅ぼすだろう
降誕節の前に天はそのしるしを示す」
といったところで、ジュネーヴのカルヴァン派が衰退し、
フェリペ2世がそこに攻め入って駆逐することを表したものらしい。
五島さんの解釈があまりにも現代に引き付け過ぎているので
ちょっと長くなったけれども、
さて、話を天文学、占星術絡みに戻すと、
次のものは五島さんの訳を読んで、原文が浮かんだものだ。
「日がタウルスの第二十番目に来るとき、大地は激しく揺らぐ
その巨大な劇場は一瞬に廃虚となるだろう
大気も空も地も暗く濁り
不信心な者たちは神や聖者の名を必死に唱えるにちがいない」
原文は次の通りで、
第9巻第83篇
Sol vingt de Taurus si fort de terre trembler,
Le grand theatre remply ruinera:
L'air, ciel & terre obscurcir & troubler,
Lors l'infidelle Dieu & saincts voguera.
占星術的に訳せば次のようになる。
「太陽が牡牛座の20度にある時大地が強く揺れる
満員の大劇場は崩壊する
大気と空と大地は黒く濁り
時にこれまで信じなかった者たちも神と聖人に祈るだろう」
「タウルスの第二十番目とはなんじゃ〜」と思ったのだが、
五島さんはこれを牡牛座の20日目と解釈、
その番号を合わせて1983年5月10日としているが、
その考え方自体は結果的に合っている。
次が1983年5月10日のホロスコープで、太陽は牡牛座の19度にいる。
ノストラダムスの予言をややこしくしているのは、
この世界が紀元前5200年に始まり、
土星、金星、木星、水星、火星、月、太陽の7つの天体が
それぞれ354年と4ヶ月の周期でこの世界を支配するという
考え方を下敷きにしている点だ。
354年と4ヶ月とは何とも中途半端な数に見えるが、
これは太陰暦の1年をベースに考えられたもので、
太陰暦の1年は354日であるが、そうすると太陽暦の365日と
だんだんズレが生じてくるので、大体3年に一度
閏月というものを設けて1年を13ヶ月とする。
これを考慮すると1年は354.3333...日となり、
その1年と同じ数の年数を重ねると354年4ヶ月となるのだ。
これを踏まえたのが次の詩で、
第1巻第48篇
Vingt ans du regne de la Lune passez,
Sept mil ans autre tiendra sa monarchie:
Quand le Soleil prendra ses iours lassez:
Lors accomplir & mine ma prophetie.
五島さんはこれを次のように訳していて、
「月の支配の二十年間は過ぎ去った
七千年には、別のものがその王国をきずくだろう
太陽はそのとき日々の運行をやめ
そこでわたしの予言もすべて終わりになるのだ」
月は滅び行くものの象徴で、人間はあと二十数年で滅びる
といったように解釈しているようだが、
この紀元前5200年を起点とする考え方では
3回目の月の支配が始まるのが1535年であり、
ノストラダムスが『予言集』をまとめている1555年は、
正に月の支配の20年が過ぎた年なのである。
従って、僕の訳では、
「月の支配が始まって20年が過ぎた
7千年を超えるまでその王国は続くだろう
太陽が残された日々を受け取る時
私の予言は成就し、終わる」
月の支配が終わり、3回目の太陽の支配が始まるのは
7086年目の8の月からで、西暦1887年に当たる。
そこから2行目が導かれるわけで、
月の支配は7000年を越えるまで続くわけである。
西暦7000年に人類が滅亡したり
人類とは別の生き物が支配することを言っているわけではない。
尚、「別のもの」は原文 "autre" から来ているのだろうが、
この言葉はどちらかというと「7000年」にかかっているように
僕には思われる。
因みに、「太陽が残された日々を受け取る時」とは
太陽の支配が終わる時、と考えると
それは西暦2242年に当たり、これこそ世界の終わりと
考える人たちがいるが、このことはまた最後に触れる。
さて、これは五島さんに限らないが、
次の詩はヒトラーの台頭を予言したものとしてよく引用される。
第2巻第24篇
Bestes farouches de faim fleuues tranner;
Plus part du champ encontre Hister sera,
En cage de fer le grand fera treisner,
Quand rien enfant de Germain obseruera.
2行目の "Hister" が "Hitler" を400年前に予言しているというのだ。
五島さんの訳では、
「飢えた残虐なけものどもが、川のなかでもがく
多くの兵営はイスターにそむき
鉄のカゴのなかでその大いなる奴はウロウロするだろう
ゲルマンの子は何も認めようとはしなくなる」
となっているが、 "Hister" とはラテン語でドナウ川下流のことだ。
更に、"Germain" は勿論「ゲルマン」や「ドイツ」の意味はあるが、
普通にフランス語では「兄弟」を意味する言葉でもある。
どちらかというと、20世紀ではなく、
ドナウ川下流からハンガリーやオーストリアを襲った
スレイマン大帝率いるオスマン帝国のことではなかろうか。
4行目の "rien" は文字通りには英語の "nothing" に当たる語だが、
どうも初版では "rin"、即ち「ライン川」になっていたらしい。
となると、
「野獣どもが空腹に駆られて川を泳いで渡る
軍隊の大部分はドナウ川に向かって対峙する
鉄の檻の中に偉大なる者が閉じ込められる
兄弟の国の子たちがライン川を見守っている時に」
兄弟、即ちドイツがライン川の向こうに見守っているのは
勿論長い間敵対しているフランスのことであろう。
う〜む。
今読み直してみると五島さんの解釈があまりに突飛すぎるので、
ついついあれもこれも伝えたいと長くなってしまった。
最後に皆さんが興味あるであろう
問題の「一九九九の年、七の月」の詩を見てみよう。
第10巻第72篇
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,
Du ciel viendra vn grand Roy d'effrayeur:
Resusciter le grand Roy d'Angolmois,
Auant apres Mars regner par bon-heur.
先の、紀元前5200年を天地創造とする世界観を踏まえれば
この詩の謎は解ける。
また、息子セザールに宛てた序文では、
ノストラダムスは自分たちは第7の千年紀にいると書きつつ、
彼の『予言書』は3797年までの予言だとも書いている。
更に僕の見るところ、「年」を表すのに "an" と "annee" の
2つの言葉を使い分けているように思える。
即ち、前者が一般的な「年」で後者が特定の年のように。
そう考えると、1999の年とは西暦1999年ではなく、
次の2千年紀が終わる前の年のことではないか?
次の2千年紀とは即ち第9の千年紀のことで、
もうその次は1万年紀に入ってしまう。
そう、第9の千年紀でこの世は終わり、と
ノストラダムスは考えたのではなかったか。
それでは、第10の千年紀が始まるのはいつか?
それは西暦3800年である。
1999年の7の月とはその4ヶ月前を指し、
序文にある3797年とはその3年前のことではないか?
そうすると辻褄が合ってくる。
僕の解釈では、この詩は、
「1999年の7番目の月に
失われたものを立て替える偉大な王が空から現れる
アングレームの偉大な王を蘇らせるために
その前後に運良く火星が支配する」
そう、西暦3800年は火星が支配する時代に当たる。
「恐怖の大王」と訳されていた "vn grand Roy d'effrayeur" だが、
最後の単語は "deffraieur"、即ち、失われた費用などを
立て替えてくれる人を意味する単語で解釈する方が自然だ。
そして「アンゴルモワ」、もしかして「モンゴリア」か?
と言われていた "Angolmois" はアングームア、
即ち、ヴァロア朝アングレーム家の出身の地のことであろう。
ノストラダムスの時代の王は正にこのアングレーム家であり、
その衰退は既に目に見えていた。
この詩は、西暦3799年の7の月にそのアングレーム王家を
再興してくれる新たな王が現れることを表しているように思える。
しかし、世界は3800年に終わるのだ。
つまり、アングレーム王家の復活はもうあり得ないということを
ノストラダムスは遠回しに表現したのではないだろうか。
ノストラダムスは十六世紀とか二十世紀とか
そういう短い単位ではなく、千年単位で世界を見ていたのだ。
この詩は確かに世界の終わりを表したものではある。
しかしそれはまだ1800年近い未来のことなのだろう。