2022年9月28日水曜日

【RL】 う〜ん、素晴らしい!〜ヨハン・ヨハンソン監督の「最後にして最初の人類」

いや、前からその評判は聞いていたのだ。
だから Amazon Prime で配信が始まり、
「あなたが興味のありそうな映画」のトップに表示された時、
「おお!」と思って飛びついたのです。
いやぁ、これは素晴らしい。
とっても素晴らしい SF 映画です。

そして、最初に言っておくと、この映画のクレジットには
VFX とか CG とかいったスタッフは登場しません。
そう、全てが旧ユーゴスラヴィアでロケされたもので、
各地の建築物や記念碑がいろいろな角度で
白黒の映像で切り取られることで、或いは宇宙船だったり、
或いはコロニーだったり、或いは異形の生物だったりと
CG に慣らされた僕らには却ってイマジネーションを掻き立てられる、
そんな作品なのです。
そう、スターウォーズやマーベルのヒーローもののような
活劇はないものの、静的な映像が却って緊張感を高めるのです。
そして、如何にも古いフィルムのようにあちこちに現れるキズや
画面全体にノイズが乗っているのもすごく雰囲気あるし、
うん、正にシネマだね、これこそ映画、これぞ SF という感じです。
原作がステープルドンというのがまたいいんですよ。

そう、これまで何度か映画のレビューを書いていて、
その中で何度も繰り返しているように、
僕にとって最高の SF 映画は「2001年宇宙の旅」で、
2位は「インターステラー」か「TENET」か、というところですが、
この作品を観てしまったら、2位はこれか、
いや、もしかして1位か、というくらいの衝撃を受けているところ。
実際、あの辛口 Rotten Tomatoes で好評価100% っていうのも
頷けるというものです。
こんな数字、見たことないんですけどね。

残念なのは。。。映画のタイトルそのままだったか、
この作品、ヨハン・ヨハンソン監督の「最初にして最後の作品」に
なってしまったこと。
そう、この監督はもうこの世の人ではないんですよね、
僕より年下にも拘わらず。。。
そう考えると、この作品自体が監督からの
最後のメッセージのようにも思えてくるわけです。

とにかく、映像も、音楽も、ナレーションも素晴らしい、
オススメの SF 映画です!

2022年9月25日日曜日

【RL】 久しぶりに見直した張芸謀の「HERO」と「LOVERS」

中国の映画監督張芸謀(チャン・イーモウ)は
嘗て僕の好きな監督の一人だった。
その名前を知ったのはちょうど僕が大学で中国語を勉強していた頃、
陳凱歌(チェン・カイコー)監督の「黄色い大地」を手始めに
いろいろと中国映画を観ている中で、
やっぱり1987年の「紅いコーリャン」の映像美に魅せられ、
続く「菊豆(チュイトウ)」もテレビで観て、
折しも劇場公開された「紅夢」は映画館に足を運びましたよ。
とにかく色彩の使い方が綺麗なのと
これら3作品で主演を務める女優鞏俐(コン・リー)の美しさも
また魅力の一つだったですね〜。
その映像美に、とってもアートなものを、新しい中国を感じたんです。
そしてこの監督は、コン・リーという女優だけでなく、
1999年の「初恋の来た道」で章子怡(チャン・ツィイー)という
これまた美人の女優さんを見出すんですよね。

序でに触れると、チェン・カイコー監督の方は、やはり
コン・リーを起用した「さらば、わが愛/覇王別姫」を1993年に公開、
その後は夢枕獏さん原作による「始皇帝暗殺」を1998年に、
ドラマ化作品が日本でも話題になった「北京バイオリン」を2002年に、
そして最近ではやはり夢枕獏さん原作の
「空海-KU-KAI- 美しき王妃の謎」を 2017年に監督してますね。
何れも、日本人にも楽しめる素晴らしい作品と思っています。

さて、話を戻すとそんな個人的にアートを感じていた
チャン・イーモウ監督だったのですが、
2002年公開の「HERO」と2004年公開の「LOVERS」には
公開当初とってもガッカリしたんですね。
「紅いコーリャン」では、もう、青い空や紅い空を背景に
コーリャンの畑が映っている、そんなシーンだけで
アートを感じたものでしたが、
「HERO」では、香港映画特有のワイヤーアクションを使って
空中を剣を持った武人たちが飛び回るわけですよ、
いかにもあり得ないような動きで。
これを観て僕は、あ〜、チャン・イーモウも終わったな、
とか思っていたわけですが、それを決定的にしたのが、
つい最近、2017年に映画館に観に行った「グレート・ウォール」です。
もう、これは完全にハリウッド映画でしたね〜。
確か、別の映画を観に行った時にポスターを見かけて、
ほう、チャン・イーモウが万里の長城の映画か。。。
と気になって観に行ったのでしたが。。。

ところが、最近、何か面白いアジア映画はないかと
Amazon, Hulu, Gyao などを見ていたら、
韓国映画を含めて結構伝奇的なものがいろいろ作られてる。
そんなんだったら、久しぶりに「HERO」とか「LOVERS」とか
観て見たいものだ、と思っていたら、最近 Amazon Prime で
配信が始まりましたので、思わず2作続けて観ましたよ。w

流石に、20年近くを経て観てみると、やはり見方が変わってましたね。
「HERO」の方は、例のわざとらしいワイヤーアクションや
1本の弓矢が弦を離れて宙を飛び、建物の中に入って
何かに刺さるまでを執拗に追うカメラワークとか、
そういうのは今となっては笑えるところもありながら、
一方でそういうわざとらしさもこの監督は追求したのではないか、
と思いました。
というのは、同時に、この監督の特徴である色彩美、映像美は
一層磨きがかかっているように今は思えるからですし、
ちょっとした1カット1カットに、嘗ての日本の名画に通ずる
東洋的な美、東洋的な価値観の素晴らしさが織り込まれているのです。
秦の始皇帝暗殺が背景なのはアニメ「キングダム」が放送中の今、
併せて観るのに興味深いものもあります。

続編とも言うべき「LOVERS」の方は、
これは個人的にはタイトルが気に入らなかったのですが
——中国映画らしくないので——、
中国語の原題は「十面埋伏」というのです。
今観て、あっ! と思いました。
「十面埋伏」は、私は何樹鳳(ホー・シューフォン)さんが演奏する
琵琶の名曲で知っているのですが、
これは項羽と劉邦の戦いを音楽で表現したもので、
項羽の軍を四方八方から攻めて打ち負かした時のことです。
きっと、主人公の二人が、どちらにとっても敵や味方から
襲われ続けながら旅を続ける状況を項羽のそれに擬えたのでしょう。

こちらの映画も、映像美や中国文化のよい部分が描かれているものの
しかし、正直この映画はチャン・ツィイーの美しい魅力が全て、
と言っていい、ズルイ作品だな、と思いました。w
チャン・ツィイーは、前の「HERO」にも出ているのですが、
比較的地味な脇役に徹していましたが、
ここでは、その魅力全開という感じです。
やぁ、こんな人と一緒に旅していたら、金城武でなくても
きっと骨抜きにされてしまいますね。w

というわけで、20年前に観た時は、つまらない、と思った
これらの2作品、今見直すと案外おもしろかったです。
この20年間の時代の変化で作品の位置付けが変わったのか、
或いは単に、僕が年齢を経て趣味や感じ方が変わったのか、
日本を含めアジアでたくさん作られる B 級映画を観るよりは、
今こそオススメできる作品たちだと思った次第です。^^

2022年9月11日日曜日

【Burn2】 やっぱり何かやるみたい。。。

前の日記で、今年はナチュさんのキャンプがないから淋しいなぁ、
自分で何かキャンプをやるかなぁ、なんて書いてましたが、
結局何かやることになりました。w
ケルパさんと共同で 64m × 64m という広〜い土地をゲット、
基本的にはケルパさんの展示会場になる予定ですが、
一応ステージっぽい場所も作って、僕のライブとかやれるようにと
考え中も考え中のところです。

220911a

まだ会場となる Burn2 の土地自体が来たばかり、
そしてキャンプ会場の割り当ても始まったばかりなので、
写真のようにまだな〜んにもない状態です。
ここから僕らのキャンプ会場がどんな感じになっていくのか、
そして周りにどんなキャンプ会場ができるのか
是非楽しみにしていて下さい。^^

※現在一般の方がアクセスできるのは前回紹介した
 Deep Hole という Welcome Area だけです。
 それ以外の会場はキャンプ地をゲットした人だけしか入れません。

2022年9月6日火曜日

【Burn2】 忠実に再現されてるバーニングマンへの道と風景

 先日、そもそも Burn2 って何? という記事を書きましたが、
その中で RL のバーニングマンのサンフランシスコから
ブラックロック・シティまでの会場のルートについて触れました。
その時思い出したのがこの会場への道のりと風景が
実は SL の Burn2 の SIM に忠実に再現されている
ということでした。

220906d

毎年 Burn2 の Welcome Area として案内されている場所に
降り立つと大体こんな風景です。
ここは Burning Man- Deep Hole という SIM の南東部に当たり、
この SIM だけが一年を通してグリッドに存在していて
それ以外の SIM はイベントが開催される時だけ現れるのです。
そしてこの Welcome Area、写真の僕の背中の方に
Burn2 の会場ゲートがあって、大抵はみんなここに着地すると
とっととそちらの方に歩いて行ってしまうのですが、
実はこの写真に写っている会場とは反対の方向、
この 100 メートルばかり伸びている道こそ、
RL のバーニングマンの道のりを再現したものになっているのです。
分かりやすく言うと、この道の突き当たりから
こちらに向かって来るのが本来のバーニングマンへの道、
ということになるわけです。

220906e

その突き当たりにあるのがこの看板、
サンフランシスコからルート 80 に乗って通過するリノ市にある
リノ・アーチというゲートなのですが、
「世界で一番大きな小さな街」というキャッチフレーズがいいですね。
本物はこちら。(以下、RL の写真は何れも Google から)


by Trachemysta on Google

おんなじでしょ?w
因みに、SL の方は、このゲートの向こうに道が延びていますが、
実はここが SIM の限界なのでここから先には進めません。w

そして、実際にはリノからバーニングマンの玄関町
ガーラックまではかなり距離があるのだけれど、
SL では隣接しています。w
でもそのガーラックの再現力はすごいです。
まずは町に入るところの Welcome の看板。

220906f


by William Parker on Google

続いて、どうも歴史ある給水塔。

220906g


by january161992 on Google

そして何と言っても、バーニングマンの現地事務所。

220906h


by Diana Wei on Google

そしてそのバーニングマン事務所の隣にある
「ブラックロック・ハイロック」の看板のあるお店?

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by Michelle Cartwright on Google

いかがでしょう?
結構よく出来ていると思いません?
Burn2 の目玉は勿論様々なイベントや展示物なのですが、
普段は通り過ぎてしまう Welcome Area ガーラックの町も
探索してみるとおもしろいですよ?
バーニングマンや Burn2 の歴史なども学べる学校、
University ならぬ Burniversity なんて所もありますし。
是非一度訪れてみて下さい。^^

乗り物の撮影は難しい〜久しぶりのヨット

殆どレアキャラ化していてイベント以外ではあまり見かけない
そんなヒロシだと自分でも認識していますが、
昨晩はイベントでもないのに2時間以上、もしかして3時間近く
SL にインしていたヒロシです。
もしかして友だちの皆さんの中には、あれ〜、珍しくいるな〜、と
そう思っておられた方もいらっしゃるかもしれません。

何をしていたかと言うと、先日のセカフェスで
新しいアルバムのことを話したと思いますが、
そのセカフェスで久しぶりに「Sailing」という
SL でのヨット体験を元に作った曲をやったのですが、
そうだ! アルバムのジャケットこの曲に因んでヨットにしよう!
と思い立ったのはいいけれど、いざ撮影するとなると
やっぱり動いているものを撮るのは難しい。
加えて、折角だから気球も背景に入れたいとか思って
ヒロコに気球を操縦してもらったのはいいけれど、
動いているヨットと気球を撮影するのは更に難しい。
更に! 僕の家の近くの海岸も以前に比べると建て込んで来てて
海が狭くなって来ているので、撮影に集中してると
ヨットがどなたかの土地に乗り上げたり。www

ヨットは SL を始めた時からいろいろ拘って買ったので
いくつか持っているわけですが、今回撮影に使ったのは
Flying Fizz という RL で言うディンギータイプのヨットです。
これのいい所は、ディンギーなので軽いのが一つ、
あと、純粋に風と波で動くので本物のヨットみたいな体感があること。
そして。。。

軽い分、帆をいっぱいに張った状態である方向から強風を受けると
本物のヨット同様、簡単に転覆してしまうこと。w
なんですが、おもしろいのは、転覆するとそれを自分で立て直して
乗り込み直すアニメが付いているところですね。w

220906b

220906c<

そうなんです。
何度も同じ場所で撮り直しをしているので、
何度もヨットを反転させて同じルートをクルージングするのですが、
その反転する時に横風を受けるとあっさりと転覆。w
そんなことを繰り返しているうちにあっという間に
時間が経ってしまったというわけなのです。

そうやって撮った新しいアルバムのジャケット、
どんなものになるか、楽しみにしてて下さいね!^^

220906a

あ、この写真ではないですよ。w

2022年9月4日日曜日

【イベント】 そもそも Burn2 って何なの?〜メタバースの原点を考える場として

僕のこの日記を何年かずっと見続けてくれている人は
このあまり更新されない日記が毎年9月頃から急に更新が増え、
10月に入ると殆ど毎日のように「Burn2」の見出しの記事が
連続で投稿されていることにお気づきかもしれません。
それほど僕や僕の周りの友人たちの間では毎年盛り上がっている
Burn2 なのですが、そもそも Burn2 って何なの? という方も
特に比較的最近セカンドライフを始められた方にはいらっしゃるかも。
先ほどケルパさんと会話していた時も
日本人のコミュニティでは知らない人多いんだよね〜、
なんて仰ってました。
その発言を聞いて、そうか! と気づいたのです。
毎年 Burn2 の情報を発信して来たつもりでしたが、
そもそも Burn2 とは何か、ということについては
あまりちゃんと説明して来なかったかもです。
そこで、今回はその Burn2 とはそもそも何なのか、
ということについて話してみたいと思います。

     *   *   *

僕が Burn2。。。
というか当時 Burning Life と呼ばれていたものを知ったのは、
三淵先生のデジタルハリウッド大学大学院
セカンドライフ研究室監訳の『セカンドライフ公式ガイド』なんです。
2007年に SL の日本語版がリリースされたタイミングで出版された
この頃から参加している日本の住民のみなさんは
大抵お持ちなのでは? というガイドブックです。
どこかでも書いたと思いますが、僕はこの世界に生まれてきてから
最初のころは一人でフラフラと放浪していましたので、
このガイドブックが頼りで隅から隅までよく読みましたよ。^^

そのガイドブックの 303 ページに
「コミュニティの構築:Burning Life」という短い記事があって、
そのまま転載すると次のように書いてあるのです。

「毎年、労働者の日の週末に開かれる有名な Burning Man フェスティバルになぞらえて、リンデンラボが主催している Burning Life は、SL が最も自由な空間になる瞬間です。期間中、何もない未整備のアイランドは、いわば幻覚を共有する場になります。巨大な手のひらと虫めがねの彫刻が空を飛び、人間大の乗って遊べるパックマンが用意され、エドヴァルド・ムンクの「叫び」を 3D で再現した作品が登場します。最初の Burning Life は 2003 年に開催され、年々その規模を増しています。イベントは巨大な木製の人形を燃やしたところで最高潮に達し(図12.7)、開始時と同じくらいすみやかに撤収します。」

この文章を読んでそれが何かイメージできた方は
ここから先の僕の記事を読む必要はないかもです。
その「図12.7」というのが今見ると燃えている人形の前で
踊り狂ってる人たちが写っている写真なのですが、
文章を読んでも写真を見ても、僕は一体どんなイベントなのか
全く想像がつかなかったのですよ。^^;
当時はそもそもバーニングマンのことも知らなかったですからね。
それより何より、
「巨大な手のひらと虫めがねの彫刻が空を飛」ぶ、って一体???
「人間大の乗って遊べるパックマン」???
頭の中は「?」でいっぱいでした。www

ただ、この文章にある「SL が最も自由な空間になる瞬間」
「幻覚を共有する場」というキーワードに最も興味を惹かれました。
「リンデンラボが主催」という言葉と相俟って、
「これは絶対に参加して経験しないといけないイベントだ」
そう感じられたのです。
そしてこの年の9月の終わりに初めて観に行って
とてもディープな体験をすることになったわけなのです。
そして翌 2008 年には観る側ではなく演る側として参加、
それ以来ほぼ毎年参加してきています。
この時このイベントにやはり関心を寄せていたのがナチュさんで、
その時からずっとナチュさんとは一緒に参加・活動してきたわけです。
(その意味でも今年は彼がいないのが淋しい。。。)

     *   *   *

バーニングマンについては、最近ではニュースにもなるので
ご存じの方も結構いらっしゃると思います。
1986年、失恋だったか何だったか正確なことは忘れましたが、
心を病んでいたラリー・ハーヴィーは、
友だちのジェリー・ジェイムズを誘って
サンフランシスコの海岸で木の人形を作って燃やしました。
人形を燃やすことで、心を痛めたきっかけとなった人との関係を
すっきりとさせたかったんでしょうかね。
ところがこの時海岸には他にも人がいて、二人の周りに集まってきて
自然と歌ったり踊ったりし始め、
中には燃える人形に手を差し伸べたりする人まで現れ、
後のバーニングマンのイベントにつながることが
殆ど自然発生的に起こったわけなんです。

そこでラリーとジェリーは翌年以降もこの人形を燃やす行事を
行うようになるのですが、
1989年には当初2.5メートル程度だった人形も12メートルほどに、
イベントに集まる人も300人と増えましたので、
とうとう警察が出動する事態に。
もうサンフランシスコの海岸ではこのイベントを行うことが
できなくなると思われたその時、このイベントをネバダ州の
ブラックロック沙漠で行うことを引き受けてくれた人たちがいて
1990年以降はこのプラヤと呼ばれる干上がった湖の底で
開催されることになったわけです。

ブラックロック沙漠なんて地名はは普通の日本人は知りませんよね。
でも、サンフランシスコのような人口の多いところではなくて、
12メートルの巨大な人形を燃やすなんて危険なイベントをやっても
住民への影響もなさそうな人里離れた僻地だろうということは
大体想像できますよね?

220904a

写真はリンデンの本社があるサンフランシスコからのルートですが、
距離にして約 510 km と言いますから、
東京駅から大阪か神戸辺りまで行く感じでしょうか。
ルート 80 に沿ってサクラメントを抜けて更にその先レノも抜けて
ワズワースの手前あたりでルート 477 に入って、
そこから何にもない谷間を 125 キロくらい進むと
漸くブラックロック沙漠の入口、ガーラックという町に着きます。
グーグルマップで調べると車で約6時間半くらいと出ます。
そんな僻地に8万人近い人が世界から集まって来るというのは
本当にすごいことだと思います。

     *   *   *

1999年に、あるサンフランシスコに住む若者が
このイベントを初めて訪れることになります。
彼がそこで目にしたのは、たくさんの人たちが集まって、
自主的に統制のとれた街を築き、商業主義とは無縁のところで
真に自分たちの創造性を表現し合い、互いに協力し合う姿でした。
この若者はここで目にしたことに強い衝撃を受け、
当時取り組んでいたプロジェクトの方向性を
大きく変えることを決心しました。
この若者こそセカンドライフの創始者フィリップ・ローズデールであり、
彼が取り組んでいたプロジェクトというのが
セカンドライフのアルファ版と呼ばれる
「リンデン・ワールド」だったのです。
こうした経緯から、リンデン・ワールドがスタートした頃は
社員は皆 RL のバーニングマンに参加することになっていたそうです。

しかし、2003年にセカンドライフがスタートすると
リンデンのスタッフも皆忙しくなり、
なかなか1週間もそんな僻地のイベントに参加することが難しくなり、
バーニングマンの主催者に仮想空間でバーニングマンのイベントを
開催してもよいか相談したところ、快諾を得て始まったのが
僕も経験した Burning Life というわけなのです。
つまり Burning Life とは、バーニングマンのイベントを
ただ形だけでなく、その精神を含めて SL 内で実現するもの
ということができます。

こうして Burning Life はリンデン主催のイベントとして
始まったわけなのですが、その間いろいろな事情もあって、
本家バーニングマンがコミュニティ主体で行われているように
SL 版もコミュニティ主体のイベントとして、
また、本件バーニングマンの正式な地域イベントとして
位置づけが変わり、名前も Burn2 と変わったわけなのです。

     *   *   *

名前は変わりましたが、バーニングマンの持つ創造性や自由、自主性、
コミュニティの連帯・連携、商業主義の廃止といった
精神そのものは受け継がれ続けています。
なので、Burn2 に参加する方は、バーニングマンの理念である
「10か条の根本理念」をよく理解することが大事です。
そして、実はこうした理念や精神こそ
創始者のフィリップがセカンドライフという
仮想空間=メタバースをこの世に届けるに当たって
重要視したことなのだと僕は理解しています。
なので、昨今は「メタバース」でお金を儲けることが
やたらと経済ニュースに出てきますけれど、
何故セカンドライフが「失敗した」とか言われながらも
20年も続いていて、今も新しい人たちが参加しているのか、
その最も大きな理由はこの精神にあるのではないかと考えています。
メタバースというものをお金を稼ぐ場と考えるか、
精神を豊かにする場と考えるかの違いと言っていいでしょうか。

その意味で、Burn2 はセカンドライフというものをよりよく知り、
そして自分の創造性をコミュニティの中で磨き、
より豊かな自由と平和と互助の精神に触れる場なのです。
これまでご存じなかった方も、今年は是非参加してみて下さい。
会場でお会いして、共に豊かな経験ができることを願います。^^

※Burn2 の詳しい情報は次の公式ホームページをどうぞ。

今年 2022年のイベントに関する情報はこちらから。

2022年9月3日土曜日

【翻訳記事】 今年の Burn2 は10月7日〜16日の10日間〜テーマは「夢に目覚める」?

さて、セカフェスも終わって月が変わり、9月となりました。
9月ともなるともう年の終わりが近づいて来た感じがします。
そして僕などは10月に行われる Burn2 に向けて
準備を始めることとなるのです。
Burn2 と言えば、RL のバーニングマンは丁度今やってるとこですね。
今年は久しぶりに RL のブラックロック・シティに戻って
8月28日(日)〜9月5日(月)の日程で行われています。
この RL のバーニングマン、是非いつか行ってみたいですね。^^

さて、そのバーニングマンの SL 版、Burn2 の方はと申しますと、
PDT で 10月7日(金)〜16日(日)の日程で行われます。
既にキャンプ地のセールやアーチストのブッキングが始まったので、
僕も毎年やってるセンターキャンプを早速予約しました。
センターキャンプでのライブは10月8日(土)22:00からになります。
ご都合つく方是非遊びにいらして下さいね!^^

昨年まではナチュさんがキャンプを運営してて
そこではミュージシャンや DJ の皆さんが大暴れ、
毎日のように音楽イベントで盛り上がりましたし、
センターキャンプもそのナチュさんやこじゃさんや僕が
3人連続日本人が演奏する時間を作ったりで、
かなりエネルギッシュな日々が続きましたが、
今年はそのこじゃさんもナチュさんも SL からは離れていますので
久しぶりに自分一人でのんびりやるかなと思っているところです。
日本人コミュニティにとっては、昨年までの狂騒に比べると
今年はちょっと物足りない、少し淋しいような Burn2 となるかもです。
まぁ、元々15年前は一人でフラ〜っと出かけて遊んでいたので、
原点に戻るような感じかもしれません。
原点に戻るという意味では、今年は自分でもキャンプ設営するかな〜
なんて考え始めてるところではあります。
とは言え、あまりもの作りとかする時間ないんですよね。。。
どうせキャンプやるなら何かおもしろいものを作りたいし。

僕の話はこれくらいにして、今年の Burn2 のテーマは
RL のバーニングマンと同じく「Waking Dreams」です。
目が覚めている時に見る夢、というニュアンスですが、
「夢に目覚める」とでも訳しておきましょうか。
今年の Burn2 にご参加になる皆さんのご参考まで
その趣意書を以下の通り訳しておきます。
原文をご覧になりたい方はこちらをどうぞ。


     *   *   *

バーニングマン2022「夢に目覚める」

2022年のバーニングマンでは、夢というものが持つ、物事を変革するパワーを——文字通りの意味でも比喩的な意味でも——探究し、この強大なエネルギーのチャネルを目を見張るような、しばしば超現実主義的な、そして時に私たちの人生すら変えてしまうような方法で開いた夢想家たちを讃えたいと思うのです。というのも結局のところ、コミュニティの夢というものを一堂に集めて表現しなかったら、ブラックロック・シティの存在意義って何だ? ってことになるからです。

「荘周、夢に胡蝶と為る。栩栩(くく)然として胡蝶なり。自ら喩(たのし)みて志(こころ)に適う。
 俄然として覚むれば、則ち蘧蘧(きょきょ)然として周なり。
 知らず、周の夢に胡蝶と為るか、胡蝶の夢に周と為るか。」(『荘子』)

誰しも夢を見ます。にも拘わらず、何故夢を見るのか、誰にもわからないのです。いつの頃からか、それも早い時期に、ひとはこの不可解な事象を説明しようと努力を重ねて来ました。超自然の世界からのメッセージを受信するやり方で、或いは、精神世界の宇宙を旅することによって。また或いは自らの前世への扉の向こう側に入って行くことや、超現実の世界を垣間見ることによって。こうした経験をした人とっては、私たちが目覚めた状態で人生として認識しているものは、実は単なる夢に過ぎないのです。現代の科学は、この疑問をより機械論的なレンズを通して見るのです。即ち、睡眠というものはシステムのメンテナンスに於ける計画されたダウンタイムのようなものだと。そしてそのメンテナンスの中で、新しいデータが整理され、タグ付けされて、メモリの中に定着され、働き過ぎのミエリン鞘を再び活性化させるのだと。これはビデオモニターに映し出されるテストパターンと同じになるようなプロセスの中で私たちが経験するイメージと言えます。

フロイト学派やユング学派の人々はこうした映像が投影されるのは全くランダムに行われるのではなく、寧ろ意識の籠をガタガタと揺らす潜在意識を表しているのだ、と反論します。それは過去のトラウマを蘇らせるためであることも、目ざめている時の心が無視しようとしている考えを伝えようとするためでもあるのだと。どちらの場合でも、夢が私たちが目覚めている間に経験したことや、目にしたこと、或いは生まれた時から目が不自由で、夢を視覚的に見ない人の場合は耳にしたり感じたり、その他の感覚で経験したことから導かれているというのは確かなことのようです。

自らの夢にアクセスし、その夢に影響を与え、更には潜在意識の洞察力を覚醒している時の創造力に変えるチャネルを開こうと試みる人々がいて、その文化史は遠い昔に遡ります。これには、寺院に設えた特別製の夢を見るためのベッドで寝て神聖なインスピレーションをより強く得ることに始まり、夢日記を付けることや、その他様々な種類の夢に纏わる試みがあります。こうした手法はしばしば明晰夢——つまり、夢の中にいるにも拘わらず夢を見ていることを自覚している状態——を起こすように、或いは単にそうしなければ目が覚めた瞬間に跡形もなく消えてしまう考えや印象を覚えておけるように仕組まれているのです。

これまで、数え切れないほど多くの創造的、飛躍的発展が夢の力によってなされてきました。芸術の分野に於いても、科学の分野に於いても、です。元素の周期表や DNA の螺旋構造などは潜在意識が夢を見る人が覚醒している時には解くことのできなかったパズルを夢を見ている時に解いた事例のほんの2つに過ぎません。ですから、こうしたインスピレーションを求める過程で、ひとが夢の状態により簡単にアクセスし、それを思い起こそうとするテクニックを発展させて来たことは、別に何も驚くには値しないことなのです。例えば、発明家のトマス・エジソンは、自分の研究室で、片手に鋼鉄球を持ち、一対の金属版の上にかがみ込んだ状態で軽い睡眠をとることを習慣にしていました。眠りに落ちてしまうと、鋼鉄球が落ちてガシャンという大きな音がするので、すぐに目を覚まさないわけにはいかないのですが、その時彼はすぐさま覚えていることを書き留めていたというのです。芸術家にとって、或いは、創造的な自己表現の道を追い求める人にとっては、夢は果てしないインスピレーションの海となり得るでしょう。

勿論、夢はまた、芸術そのものにとって永遠のモチーフでもあるわけです。フィクションとしては世界最古の物語の中で、英雄ギルガメッシュは無敵の斧と降り来る星々の夢を見るのです。エドガー・アラン・ポーやルイス・キャロルの奇怪な夢の世界から、「オズの魔法使い」や「インセプション」といった映画に至るまで、主に、或いは完全に夢の風景で繰り広げられる物語を経験するのですが、そこでは目ざめている時の人生に対して死刑執行前の短い懺悔の時間が与えられ、通常の、意識している世界の秩序が覆されていくのです。更に、ヴィジュアル・アートの世界では、シュールレアリスムの運動がこの種の転換を明確な形で求め、夢の時間が目ざめている状態では忘れられてしまうことから救い出し、これを芸術活動の中心に据えたのです。この運動の創始者アンドレ・ブルトンは、「シュルレアリスム第一宣言」の中で次のように訴えました。「ふつうの観察者にとって、覚醒中の出来事と睡眠中の出来事とのあいだに極端な重要度、深刻度のちがいが見られることは、いつもわたしをおどろかすのにじゅうぶんだった」と。

[訳者注。以下「シュルレアリスム宣言」からの引用は何れも岩波文庫版巖谷國士訳による。]

ごく平均的な人間は人生のうちの十年またはそれ以上の時間を夢の国で過ごすことになるのですが、このことはある一つの疑問を投げかけずにはいられません。つまり、私たちが夢で経験することは、私たちが起きている間に経験することよりも少ないのだろうか、ということです。これに対してブルトンは強い口調で「ノー!」と答えるのです。それを彼は、「未知のものを既知のものに、分類可能のものにひきもどそうとする始末におえない狂癖」なのであると批判し、現実主義と合理主義とを「凡庸さと、憎しみと、つまらぬうぬぼれとの産物」であるとして拒絶するのです。その凡そ1世紀後、シュールレアリスムは現代芸術の強力な推進力となり、私たちが「バーニングマン・アート」と言えば思い出すものがシュールレアリスムの正典に収められているか、或いはそれに付随するものとなったのです。

こうしたシュールレアリスムに力を与える夢を見ている時と目が覚めている時の意識の再統合は、どれだけ多くの人々が自分のバーニングマンでの経験を、ドラッグなんか使用しなくてもサイケデリックな状態に近づける、覚醒した状態での夢として表現しているかということを大いに感じさせるものです。それは単にシュールレアリスム芸術を毎年プラヤに散らかして回るというだけでなく、環境そのものですらあるのです。あたかもサルバドール・ダリのカンバスからそのまま抜け出してきた荒涼とした異世界の風景にも似た。

「あなたの夢を凧を揚げるようにこの空間に向かって投げなさい。
その夢が何を連れて戻って来るか、そんなことはわかりません。
新しい人生、新しい友だち、新しい愛、新しい国なのかもしれません。」(アナイス・ニン)

自分たちの夢を現実の世界に於ける行動へと昇華させるのはバーニングマン文化の特徴的な側面と言えます。自らの持つビジョンを内面で変化させるだけでなく、外面に、具体的な形にして表現するのです。現実の世界が描く弧を空想的な方向へと大きく曲げて、そこに世界を導くのです。

こうした意味で夢を語る時、勿論私たちは REM 睡眠の時にピクピクと痙攣する瞼の裏で起こっていることを話しているわけではなく、もっと大きな、未来というものに対する私たちの希望やあこがれという意味で語っているのです。ひとが「夢を生きる」ことを語る時、大抵はおしゃべりカラスと会話するとか、素っ裸でスピーチを行うことを言っているわけではありません。そうではなく、自分たちの心の底からの願いや要求を実現していける方向で人生の選択をしていくことを言っているのです。人生の選択というものを単に状況任せに受け入れるのではなく。

私たち皆が知っているように、これは実際には言うよりも遥かに難しいことです。メディアや広告が偽物の欲求を駆り立てたり、ソーシャルメディアが絶え間なくつぶやき続ける世界では、自分が本当に求めているのが何なのかを知り、社会的統制、或いはもしかすると自分自身の意識が引いたチョークの線の外側に生きようとする、自分の内なる真の声、本音に気づき、その声に従うことさえ難しいと多くの人が感じているのです。

「自己変革の経験」というタマネギの皮を一枚ずつめくってバーニングマンの参加者である「バーナー」たちに具体的にはどのように変わったのですか? と聞けば、その答えの殆どはそれほど驚くべきものではないでしょう。仕事を変えた人、住所を変えた人、好ましくない腐れ縁を切った人等々。そしてこうした人たちの多くはその後に創造的な探究を始めるか、或いはそうした探究の道に戻るかしているのです。読みかけになったままの小説の埃を払い、楽器を取り出し、絵を描き始めるのです。それは必ずしもそうしたことを新しい仕事として始めるというのではなく、自分自身のために行うのです。

バーニングマンの「十か条の根本理念」にある「Radical Self-expression(本来のあなたを表現する)」の “radical” という言葉は、何も「極端に」とか「急進的に」ということを言っているのではありません。そうではなく、ひとの内面の奥深いところにある自己、文字通り皆さん自身の存在の根から湧き上がって来るもののことを言っているのです。この理念は創造的な表現というものを、マーケットのトレンドや流行で美しいとされている価値観に従うのでなく、その人独自の二つとない世界観に基づいて行うことを示唆するものなのです。繰り返しになりますが、自分の内面の真実というものを見つけることはたやすいことではありませんし、それを具体的な形にして世界に示すのも同様ですが、バーニングマンを経験することには、こうしたことが現実になるのを助ける触媒のような側面があるのです。

[訳者注。日本語では普通 “radical” を「根本的に」とか「徹底的に」と訳しますが、英語の元の意味は「根っこ」のことを指します。根っこから覆すので「根本的」、「徹底的」、「過激」という訳語になるのです。]

そうしたものの一つが、ブラックロック・シティにある非商業エリアで、ここで多くの人が生まれて初めてブランドのロゴや、商売目的の営業や、経済的な地位を示すマークなどが溢れていない世界に接することになるのです。通常の生活では常に背景で動いているこうしたものがトーンダウンされることによって、自分自身の気持ちというものがより直接的に感じられるようになり得るのです。

二番目にお伝えしたいのがバーニングマンの文化にある、「パーミッション・エンジン」と呼ぶ人たちがいるもので、これは、とてもあり得ないようなアイデアに対して「イエス!」という反応が熱狂的な形で返って来るのを耳にすると思いますが、この熱狂的な「イエス!」こそ、支援と協力の大きなうねりとなっていくものなのです。

「世界は夢想家を必要とし、世界は実行家を必要とする。
 しかし、世界が何より必要とするのは実行する夢想家である。」(サラ・バン・ブラナック)

パンデミックという不眠がもたらした長い長い霧の中で、この間錨を下ろすことなく睡眠と覚醒の間を漂流し続けて来ましたが、そろそろ再び未来を想像し始める時が来たようです。2022年にブラックロック・シティに戻る時、3年という月日が経っているでしょう。それは希望と願いとが抑圧され続けた千を超える昼と千を超える夜であり、今やこうした希望や願いが私たちの深奥にある魂の中でとぐろを巻き、ブラックロック沙漠のまっ白なカンバスの上に躍り出ようとしているのです。たとえそれが芸術的表現の夢であろうと、断絶した社会で他の誰かとつながろうとする憧れの気持ちであろうと、或いは単により意味のある、より本物の人生を生きようとする願望であろうと、バーニングマンは夢が実現し得る、いえ、実現する場なのです。

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さぁ、この起きて見る夢を、音楽でどう表現しましょう。
楽しみにしていて下さいね!^^