2024年6月2日日曜日

【RL】 ノストラダムスの予言について

『聖書』に預言書と呼ばれるものがある。
最も有名なものは三大預言書、即ち「イザヤ書」、
「エレミヤ書」、そして「エゼキエル書」であり、
その他に十二小預言書と呼ばれる一群の短いものもある。
特に「エレミヤ書」や「エゼキエル書」は、
超自然的な記述がある点も魅力だが、
結局のところ歴史はこの預言者たちが言った通りに動いて行った、
という点に凄まじいものを覚えないではいられない。

そしてこれら『聖書』の預言者たちよりも日本で有名な予言者は
勿論ノストラダムスである。
これは亡くなられた五島勉さんが1973年に出した
『ノストラダムスの大予言』がブームになったことが大きい。
曰く、1999年7月に人類は滅亡するというのだ。

「一九九九の年、七の月
 空から恐怖の大王が降ってくる
 アンゴルモワの大王を復活させるために
 その前後の期間、マルスは幸福の名のもとに支配に乗りだすだろう」

この頃既に生まれていた僕はこの話に大変興味を持った。
同じ1973年に小松左京さんの SF『日本沈没』も出版され、
同じ年に映画化、翌1974年にテレビドラマ化された。
1975年には NHK で「なぞの転校生」が放送された、
そういう時代である。
当時はスモッグなどの公害問題がテレビのニュースで流れ
ーーそう言えば1971年には公害問題をテーマにしたヒーローものの
「スペクトルマン」もテレビで放映されていたーー、
1973年にはオイルショック、1974年の狂乱物価と、
1970年の大阪万博のテーマは「進歩と調和」であったが、
世の中には何とも言えない不安が取り巻いていた時代であった。
そんな時代に、遠くない将来人類が滅亡する、というメッセージは
多くの人の心に刺さったと言える。

1999年は疾に過ぎたが、そもそも五島さんは正確には
当時どのように書いていたのか、子供の頃読んだ筈だが、
フランス語原典を簡単に読めるようになった今、
改めて読み直してみてわかったことがあるので備忘も兼ねて
ここにまとめておくことにする。

     *   *   *

原典を読んでわかったことは、ノストラダムスは
イザヤ、エレミヤ、エゼキエルといった聖書の預言者とは
タイプが違うということだ。
かれは天文学や西洋占星術の大家であって、
「暦」を発行していた人なのだ。
つまり、ニュートン力学的な天文学の世界では
何年後にどの星がどの位置にあるということを正確に予測できる。
だから暦を発行していたわけだし、その延長で何年も先のことを
予測できたというわけなのだ。

それをまとめたのが『ミシェル・ノストラダムス師の予言集』で、
4行の詩を100篇ずつ集めたものを、10巻に著した書物であるが、
その形式から  "Les Centuries" と呼ばれることがあり、
"century" という英語が今では「世紀」を表すので、
五島さんの本では『諸世紀』と訳されていたが、
この語は元々 "cent" =「100」から来ている言葉で、
ここでは詩が100篇集められているからの命名なので
現在の日本語では『詩百篇』などと言っているようである。
以下、元のタイトルを生かして『予言集』と呼ぶことにする。

さてその『予言集』の冒頭に、息子のセザールに宛てた手紙が
序文として掲載されているが、その冒頭でこの書の内容は
天文学によってもたらされたことが書かれている。
従ってこの書の内容を読み解くには天文学や西洋占星術の知識が、
そして古いフランス語やラテン語の知識が必須となるのであるが、
どうも五島さんはその辺りの検証はせずに、
恐らく誰かの英訳を読んで解釈していたように思われる。
これは天体が絡む詩で顕著である。

第2巻第48篇
La grand copie qui passera les monts.  
Saturne en l'Arq tournant du poisson Mars:  
Venins cachez soubs testes de saumons,  
Leurs chief pendu à fil de polemars.

五島訳では、

「巨大な軍隊は山を越えて引きあげるだろう
 マルスの代わりにサチュルヌが魚たちを裏がえす
 シャケの頭にも毒がかくされるようになる
 だが彼らの大物は極地で輪のなかにくくられるだろう」

となっていて、「サチュルヌ」を「鉛」と解釈し、
鉛の毒で魚が汚染される予言だとしている。
が、天文学や西洋占星術を考慮してそのまま訳すと
次のようになろうかと思う。

「大きな軍隊が山々を越えて行く
 土星が射手座にあり、火星は魚座で逆行する
 毒が鮭の頭の下に隠される
 その頭は荷造り紐で吊される」

4行目の "Leurs chief”ーー「彼らの頭」とは、
「軍隊の頭」=「指導者」のことなのか
複数形になっている「鮭」の頭のことなのか不明であるが、
前者で訳す方が自然であるように思われる。
僕は寧ろ、「鮭」の原語 "saumon" には "psaume",
即ち『聖書』の「詩篇」の含みがあるように思われる。

この公害的な解釈に関連して、次のものを挙げておく。

第1巻第19篇
Lors que serpens viendront circuer l'arc,  
Le sang Troyen vexé par les Espaignes:  
Par eux grand nombre en sera faicte tarc,  
Chef fruict, caché aux marcs dans les saignes. 

五島さんは2行しか訳を載せていないが、

「蛇どもが空をおおってくる
 それによって無数の人びとが死ぬ」

として、

「あきらかに航空機の無法な爆撃を暗示していると見られる一篇」

と述べておられる。が、明らかではないだろう。w
僕には最初占星術的に "serpens" は蛇座に
"l'arc" は射手座に見えたのだが、実際に射手座とへび座は隣にいる。
が、この "l'arc" は "l'are" 即ち「祭壇」の誤植らしく、
従って全体の意味としては、

「蛇の群れが現れ祭壇を囲む時
 トロイアの血を受け継ぐ者たちはスペイン人に悩まされ
 彼らによってその数は激減する
 指導者は逃げ、葦茂る沼地に隠される」

「トロイアの地を受け継ぐ者」とはフランス人のことである。
そしてフランス人とスペイン人の間での戦いとなれば
仏西戦争というのが思い出されるが、
その前にも両者の間には何度か戦いがあり、
フランスが散々な負けを喫しているものがある。
航空機とは何の関係もない詩と言えるだろう。

また、

第2巻第75篇
La voix ouye de l'insolit oyseau,  
Sur le canon du respiral estage:  
Si haut viendra du froment le boisteau  
Que l'homme d'homme sera Antropophage.

「人が望まない奇怪な鳥の音が聞かれる
 もっとも重複した大砲の上に
 小麦の値段ははね上がり
 人間が人間を食う時代が訪れるだろう」

1行目の「奇怪な鳥」を軍用機か SST(超音速機)、
或いはロケット戦争、
2行目の「もっとも重複した大砲」という日本語は
意味がわからないが、これを多弾頭式ミサイルとしているが、
原文を割と普通に訳すと

「見たこともないびっくりするような鳥の鳴き声が聞こえる
 垂直に立つ換気用の煙突の上にそれはいる
 1ブッシェルの小麦の値段が高騰し
 人が人の肉を食べるようになる」

鳥が煙突の上にいるのは不吉な前兆だそうで、
それもただの鳥ではないものが現れ、飢饉が起こるということか。
次のものも、五島さんの訳では意味不明。

第9巻第44篇
Migrés, migrés de Geneue trestous.  
Saturne d'or en fer se changera,  
Le contre FAYPOZ exterminera tous,  
Auant l'aduent le ciel signes fera.

五島さんの訳では、

「逃げよ、逃げよ、すべてのジュネーブから逃げだせ
 黄金のサチュルヌは鉄に変わるだろう
 巨大な光の反対のものがすべてを絶滅する
 その前に大いなる空は前兆を示すだろうけれども」

「すべてのジュネーブ」とは「世界の有名都市」のことであるとし、
「光の反対のもの」とは、
「太陽を完全にさえぎる超光化学スモッグのすさまじい雲」
としてるが、これは読み違え。
「すべての」の原語 "tretous" は「皆さん」と呼びかけの語、
"Le contre RAYPOZ" とは "RAYPOZ" の反対、
即ち "ZOPYAR" を表し、ほぼこれと同じ語 "Zopyra" を
銘にしていたというスペインのフェリペ2世を表す、
というのが現在では一般的な理解かと思われる。
わざわざ大文字にしてますからね。

「逃げよ、ジュネーヴから去れ、全ての人よ
 サトゥルヌスの黄金の治世は鉄の時代へと変わる
 RAYPOZ を逆から読んだものが全てを滅ぼすだろう
 降誕節の前に天はそのしるしを示す」

といったところで、ジュネーヴのカルヴァン派が衰退し、
フェリペ2世がそこに攻め入って駆逐することを表したものらしい。

五島さんの解釈があまりにも現代に引き付け過ぎているので
ちょっと長くなったけれども、
さて、話を天文学、占星術絡みに戻すと、
次のものは五島さんの訳を読んで、原文が浮かんだものだ。

「日がタウルスの第二十番目に来るとき、大地は激しく揺らぐ
 その巨大な劇場は一瞬に廃虚となるだろう
 大気も空も地も暗く濁り
 不信心な者たちは神や聖者の名を必死に唱えるにちがいない」

原文は次の通りで、

第9巻第83篇
Sol vingt de Taurus si fort de terre trembler,  
Le grand theatre remply ruinera:  
L'air, ciel & terre obscurcir & troubler,  
Lors l'infidelle Dieu & saincts voguera.

占星術的に訳せば次のようになる。

「太陽が牡牛座の20度にある時大地が強く揺れる
 満員の大劇場は崩壊する
 大気と空と大地は黒く濁り
 時にこれまで信じなかった者たちも神と聖人に祈るだろう」

「タウルスの第二十番目とはなんじゃ〜」と思ったのだが、
五島さんはこれを牡牛座の20日目と解釈、
その番号を合わせて1983年5月10日としているが、
その考え方自体は結果的に合っている。
次が1983年5月10日のホロスコープで、太陽は牡牛座の19度にいる。

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ノストラダムスの予言をややこしくしているのは、
この世界が紀元前5200年に始まり、
土星、金星、木星、水星、火星、月、太陽の7つの天体が
それぞれ354年と4ヶ月の周期でこの世界を支配するという
考え方を下敷きにしている点だ。
354年と4ヶ月とは何とも中途半端な数に見えるが、
これは太陰暦の1年をベースに考えられたもので、
太陰暦の1年は354日であるが、そうすると太陽暦の365日と
だんだんズレが生じてくるので、大体3年に一度
閏月というものを設けて1年を13ヶ月とする。
これを考慮すると1年は354.3333...日となり、
その1年と同じ数の年数を重ねると354年4ヶ月となるのだ。

これを踏まえたのが次の詩で、

第1巻第48篇
Vingt ans du regne de la Lune passez,  
Sept mil ans autre tiendra sa monarchie:  
Quand le Soleil prendra ses iours lassez:  
Lors accomplir & mine ma prophetie. 

五島さんはこれを次のように訳していて、

「月の支配の二十年間は過ぎ去った
 七千年には、別のものがその王国をきずくだろう
 太陽はそのとき日々の運行をやめ
 そこでわたしの予言もすべて終わりになるのだ」

月は滅び行くものの象徴で、人間はあと二十数年で滅びる
といったように解釈しているようだが、
この紀元前5200年を起点とする考え方では
3回目の月の支配が始まるのが1535年であり、
ノストラダムスが『予言集』をまとめている1555年は、
正に月の支配の20年が過ぎた年なのである。
従って、僕の訳では、

「月の支配が始まって20年が過ぎた
 7千年を超えるまでその王国は続くだろう
 太陽が残された日々を受け取る時
 私の予言は成就し、終わる」

月の支配が終わり、3回目の太陽の支配が始まるのは
7086年目の8の月からで、西暦1887年に当たる。
そこから2行目が導かれるわけで、
月の支配は7000年を越えるまで続くわけである。
西暦7000年に人類が滅亡したり
人類とは別の生き物が支配することを言っているわけではない。
尚、「別のもの」は原文 "autre" から来ているのだろうが、
この言葉はどちらかというと「7000年」にかかっているように
僕には思われる。

因みに、「太陽が残された日々を受け取る時」とは
太陽の支配が終わる時、と考えると
それは西暦2242年に当たり、これこそ世界の終わりと
考える人たちがいるが、このことはまた最後に触れる。

さて、これは五島さんに限らないが、
次の詩はヒトラーの台頭を予言したものとしてよく引用される。

第2巻第24篇
Bestes farouches de faim fleuues tranner;  
Plus part du champ encontre Hister sera,  
En cage de fer le grand fera treisner,  
Quand rien enfant de Germain obseruera.

2行目の "Hister" が "Hitler" を400年前に予言しているというのだ。
五島さんの訳では、

「飢えた残虐なけものどもが、川のなかでもがく
 多くの兵営はイスターにそむき
 鉄のカゴのなかでその大いなる奴はウロウロするだろう
 ゲルマンの子は何も認めようとはしなくなる」

となっているが、 "Hister" とはラテン語でドナウ川下流のことだ。
更に、"Germain" は勿論「ゲルマン」や「ドイツ」の意味はあるが、
普通にフランス語では「兄弟」を意味する言葉でもある。
どちらかというと、20世紀ではなく、
ドナウ川下流からハンガリーやオーストリアを襲った
スレイマン大帝率いるオスマン帝国のことではなかろうか。
4行目の "rien" は文字通りには英語の "nothing" に当たる語だが、
どうも初版では "rin"、即ち「ライン川」になっていたらしい。
となると、

「野獣どもが空腹に駆られて川を泳いで渡る
 軍隊の大部分はドナウ川に向かって対峙する
 鉄の檻の中に偉大なる者が閉じ込められる
 兄弟の国の子たちがライン川を見守っている時に」

兄弟、即ちドイツがライン川の向こうに見守っているのは
勿論長い間敵対しているフランスのことであろう。

う〜む。
今読み直してみると五島さんの解釈があまりに突飛すぎるので、
ついついあれもこれも伝えたいと長くなってしまった。
最後に皆さんが興味あるであろう
問題の「一九九九の年、七の月」の詩を見てみよう。

第10巻第72篇
L'an mil neuf cens nonante neuf sept mois,  
Du ciel viendra vn grand Roy d'effrayeur:  
Resusciter le grand Roy d'Angolmois,  
Auant apres Mars regner par bon-heur. 

先の、紀元前5200年を天地創造とする世界観を踏まえれば
この詩の謎は解ける。
また、息子セザールに宛てた序文では、
ノストラダムスは自分たちは第7の千年紀にいると書きつつ、
彼の『予言書』は3797年までの予言だとも書いている。
更に僕の見るところ、「年」を表すのに "an" と "annee" の
2つの言葉を使い分けているように思える。
即ち、前者が一般的な「年」で後者が特定の年のように。
そう考えると、1999の年とは西暦1999年ではなく、
次の2千年紀が終わる前の年のことではないか?
次の2千年紀とは即ち第9の千年紀のことで、
もうその次は1万年紀に入ってしまう。
そう、第9の千年紀でこの世は終わり、と
ノストラダムスは考えたのではなかったか。

それでは、第10の千年紀が始まるのはいつか?
それは西暦3800年である。
1999年の7の月とはその4ヶ月前を指し、
序文にある3797年とはその3年前のことではないか?
そうすると辻褄が合ってくる。
僕の解釈では、この詩は、

「1999年の7番目の月に
 失われたものを立て替える偉大な王が空から現れる
 アングレームの偉大な王を蘇らせるために
 その前後に運良く火星が支配する」

そう、西暦3800年は火星が支配する時代に当たる。
「恐怖の大王」と訳されていた "vn grand Roy d'effrayeur" だが、
最後の単語は "deffraieur"、即ち、失われた費用などを
立て替えてくれる人を意味する単語で解釈する方が自然だ。
そして「アンゴルモワ」、もしかして「モンゴリア」か?
と言われていた "Angolmois" はアングームア、
即ち、ヴァロア朝アングレーム家の出身の地のことであろう。

ノストラダムスの時代の王は正にこのアングレーム家であり、
その衰退は既に目に見えていた。
この詩は、西暦3799年の7の月にそのアングレーム王家を
再興してくれる新たな王が現れることを表しているように思える。
しかし、世界は3800年に終わるのだ。
つまり、アングレーム王家の復活はもうあり得ないということを
ノストラダムスは遠回しに表現したのではないだろうか。

ノストラダムスは十六世紀とか二十世紀とか
そういう短い単位ではなく、千年単位で世界を見ていたのだ。
この詩は確かに世界の終わりを表したものではある。
しかしそれはまだ1800年近い未来のことなのだろう。

2024年5月12日日曜日

【イベント】 SL の誕生祭、SL21B は6/21(金)〜7/21(日)開催です!

さて、このところずっと SL から離れていて(裏ではやってましたが)
RL の小澤征爾に関する記事ばかり書いてきましたが、
もう5月になりましたので、そろそろ戻るタイミングですね。
そう、セカンドライフ 21 歳の誕生日、SL21B の開催が
発表になりました!


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セカンドライフの誕生日そのものは 6月23日で、
SL19B まではこの日を中心にした1週間で行われて来ましたが、
20周年となった昨年の SL20B で会期が大幅に拡張され、
今年も 6月21日(金)〜 7月21日(日)までの
何と1ヶ月間に渡って行われることになりました!

テーマは "Elements"。
「要素」とか「元素」とか「成分」とか「基礎」とか
いろんな意味があって、ディズニー・アニメの
「マイ・エレメント」が関係あるのかないのかわかりませんが、
上のリンク先の公式サイトによると次のような説明になっています。

「今年の誕生日のテーマは「要素」になります。 このテーマは、私たちの広大な仮想世界の風景と、その中に暮らす皆さんの多種多様なコミュニティとを形づくっている、基本的な構成要素を探求する旅へと私たちを誘います。 クリエイターやアーティストの燃えるような情熱がそうでしょうし、私たちの社会環境が常に流動的に変化し、適応していることもそうした要素の一つでしょう。また、コミュニティ内に於ける住民の皆さん同士の力強い絆もそうでしょうし、セカンドライフが更に未来に向かって前進することを可能にする、技術革新という新鮮で爽やかな風もまたそうでしょう。今回のこの「要素」というテーマは、私たち一人一人がセカンドライフで築き上げていく経験一つ一つの核となる力を讃えるものなのです。」

う〜ん、「要素」と関わりのないものは何もありませんので、
どんなことでも表現できそうで、却って難しいですね。
僕も、最初は全くイメージが湧きませんでしたが、
そこはやはり一人で考えるものではないですね。
盟友ケルパさんと会話しているうちに自分が何をやればよいか
だんだん見えて来ましたので、お楽しみにしていて下さい。

あ、そうそう!
最後に大事なこと!
私のように Performer(ライブ、DJ)で参加したい人の
応募の締切は 5月31日(金)なのですが、
展示会場、物品販売、ボランティアの応募締切は
今日! 5月12日(日)です!
連絡おせ〜よ、もっと早く言えよ、という声も聞こえて来そうですが、
逆に悩むヒマがなくていいですよね!^^;
ちょっとでも気になった方は、上のリンク先からこのあとすぐ、
申し込んでみて下さい!
(多分 SL 時間を考えると、日本時間の月曜日 16:00 まで大丈夫
 かと思います。。。)
皆さんと共に21歳の誕生日を盛り上げられればと思っていますので
どうぞよろしくお願いします!

2024年5月4日土曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その10・メシアン『アッシジの聖フランチェスコ』

前回に続いてメシアンである。
小澤征爾さんがメシアンからその作品の演奏を任されていたことは
前にも書いた通りだが、その最後の大仕事とも言えるのが、
メシアン唯一のオペラで、上演に4時間を要する大作
『アッシジの聖フランチェスコ』の初演だったと考えている。
これはパリ・オペラ座の委嘱で制作されたもので、
その初演は1983年11月28日にオペラ座で、
小澤さんがパリ・オペラ座管を指揮して行われた。
その時の録音がリリースされていて、これはとても貴重なものだ。

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僕にとってこの CD が貴重なのは、この曲については、
前にも書いた武満徹さんとの対談集『音楽』の中で語られていて、
この本が出てすぐ読んだ僕にとっては、
1941年作曲の『世の終わりのための四重奏曲』とも
1949年作曲の『トゥランガリーラ交響曲』とも異なり、
リアルタイムの、現在進行形のメシアンの新作だったからだ。
その、1979年頃に行われた対談のなかにこんな会話がある。

「武満 メシアン先生は目下大作にとりかかっているんだろう?
小澤 二年後にそのオペラを指揮しなきゃいけない。それがなんと楽譜で三千ページあるんだ。この間、ピアノ・スコアを見てきたけれど。今、オーケストレーションしてるらしい。
武満 あの人のは、もう少し短くなるといいけれどね……。『キリストの変容』もちょっと長過ぎるね。あの人は、あそこまでやらないと、どうしても満足できないんだよ。おれなんかは、一生かかっても三千ページは書けっこない(笑)。
小澤 この間もメシアン先生から念を押されて、やることになっている。一九八二年に。
武満 七管編成でしょ。
小澤 七管編成で、オンドマルトノというのが三台。
武満 そんな大編成で、歌って、聞こえるのかな。 
小澤 それが聞こえるんだって。ちゃんと計算できているみたいよ。すごいねェ。」

おお、おお、『トゥランガリーラ』でも使われた大好きな楽器
オンドマルトノが3台も使われるとは!
そして、七管編成なんて聞いたこともないんだけれども。
普通のオケの曲だと三管とか四管ですよ。
この何管というのは、木管楽器のフルートやクラリネットなどの
パートの本数を基準にして呼ばれるけれども、
木管の本数が決まるとそれに応じて金管の本数、弦の台数も決まり、
オケ全体でどのくらいの演奏家が必要になるかが決まるのだが、
実際、編成表を見るとフルートだけで、

・ピッコロ×3
・フルート×3
・アルトフルート×1

となっていて実際7本必要なのだ!
(普通はピッコロやアルトフルートは何人かいるフルートの1人が
 持ち替えで対応するものだが。。。)

そうやって8年をかけて出来上がったのは全3幕8場から成る
上演時間4時間にも及ぶオペラで、それだけに聴き終わった時の
感動はとても言い尽くせぬものがある。

そうそう上演されることのない巨大でレアなオペラなので
ここで簡単にどんな曲か説明をしておくと、
アッシジの聖人フランチェスコ
(日本では伝統的にフランシスコと呼び慣わされている)の生涯を
8つの情景で描くもので、
オペラや楽劇に付き物の序曲や前奏曲といったものはなく、
またアリアらしいものもない。
ただ、ヴァーグナーの楽劇のように登場人物それぞれに
ライトモチーフのような主題があり、
中でもフランチェスコや天使には複数の主題が割り当てられている。

更に、メシアンと言えば鳥の研究と
その鳴き声を音楽で表現することで有名だが、
この作品でも、それぞれの登場人物に特徴的な鳥が割り当てられ、
舞台を見ていなくてもその鳥のさえずりで例えば天使が現れたことが
わかるようになっているという仕掛けである。
これは、聖フランチェスコが鳥に説教をしたという伝説から
当然そのシーンがこのオペラには組み込まれているわけだけれども、
アッシジのあるウンブリア地方によくいる鳥から始まり、
世界中から34種の鳥が選ばれ、その囀りが音で表現される。
34の鳥の中には日本のホオアカ、フクロウ、ウグイス、
そしてホトトギスも選ばれ、登場する。

それぞれの情景の内容は次の通り。

第1景『十字架』
木琴を始めとする鍵盤打楽器によるヒバリの囀りで幕を開ける。
続いて修道士レオーネが『伝道の書』の「道にはおののきがある」
を下敷きに「私は恐ろしい」と歌う。
そこにズグロムシクイ(カピネラ)の囀りに導かれ
フランチェスコが登場、「完全なる歓び」について語る

第2景『賛歌』
フランチェスコと修道士たちが「太陽の讃歌」を歌い、お勤めをする。
最後にフランチェスコは重い皮膚病を患っているものを怖れており
その怖れを克服することを主に誓う。

第3景『重い皮膚病患者への接吻』
フランチェスコは重い皮膚病患者に会い、接吻する。
すると病は癒され、その喜びから踊り出す。
患者はそれまで人生に対して卑屈だったのがよりポジティブに
生きようとする。

第4景『旅する天使』
フランチェスコたちのいる修道院を旅姿の天使が訪れる。
キバラセンニョムシクイ(ジェリゴネ)の囀りが天使の登場を暗示。
天使は修道院にいる修道士たちに「予定説」に関する問いをする。
修道士エリアは問いに答えず天使を追い出し、
再び訪れた天使に修道士ベルナルドは答える。
天使が去ったあと、修道士たちは旅人が実は天使だったことを知る。
(因みに天使は5色の羽根を持っている。
 これはサンマルコ美術館にあるフラ・アンジェリコの
 『受胎告知』の絵にインスピレーションを得ているらしい。
 この絵のリンクはこちら。)

第5景『音楽を奏でる天使』
再び天使が修道院を訪れ、今度はフランチェスコの前に現れる。
天使はヴィオールを奏でるが、このヴィオールは
オンドマルトノの音で表現される。
天使の音楽を聞いているうちにフランチェスコは倒れる。
天使が去ったあと、倒れているフランチェスコを
修道士たちが抱え起こす。

第6景『鳥たちへの説教』
フランチェスコが鳥たちに説教をする。
説教は途中様々な鳥たちの鳴き声で中断される。
そして最後に様々な鳥たちの囀りが一斉に起こる
全曲の中でも最も素晴らしい聴き所となる。

第7景『聖痕』
夜中の山でフランチェスコが祈りを捧げている。
イエス=キリストの受けた苦しみを自分にも分けてほしいと願う。
合唱がイエスの声を表現し、その後5回のクラスターで
イエスの受けた5つの傷がフランチェスコにも表れたことを暗示。

第8景『死と新生』
フランチェスコは「太陽の讃歌」を歌いながら
あらゆるものへの別れを告げる。
フランチェスコが死ぬとヒバリが賑やかに歌い、
最後は感動的な合唱で幕を閉じる。

言葉で書くと難しいようだけれども、
実際に音楽を聴くと、『トゥランガリーラ』でもお馴染みの
メシアン独特のフレーズが登場したり、
鳥たちのざわめきやら、重大なことが起きる時のクラスター音など
音楽的には非常にわかりやすいものになっている。
いや、そのわかりやすさを実現しているのは
やはり何と言ってもメシアンの演奏に精通した小澤さんの棒だろう。

もう随分昔のことなので正確なことは覚えていないのだけれど、
この1983年のパリでの初演の時だったのか、
1986年の日本での部分初演の時のことだったのか、
そのリハーサルの模様が NHK のニュースで報道されたことがある。
その中で、メシアンが小澤さんに注文を付けるのだ、
今のところはそうじゃない、こういう風に演奏してほしい、と。
すると、何と小澤さんは作曲者本人に反論するのだ。
多分、いや、あなたのその意図を実現するには
こういう風に演奏した方がよいのだ、
実際の音にするのは自分の仕事だから自分に任せてほしい、
といったようなことだったように記憶している。

この場面を見て、凄い! と思ったものだ。
小澤さんが楽譜を読み込んで作曲者の意図を理解し、
それを具体的な音にする話は村上春樹さんとの対談に
何度も出て来るけれども、
ある意味作曲者本人ですら想像できていない音が
小澤さんには具体的に聞こえているということではないだろうか。
小澤さんは齋藤秀雄先生から教わったのは、
単に指揮法ではなかった、一番大事なのは、と
「私の履歴書」の中で語っている。

「先生が僕らに教え込んだのは音楽をやる気持ちそのものだ。作曲家の意図を一音一音の中からつかみだし、現実の音にする。そのために命だって賭ける。音楽家にとって最後、一番大事なことを生涯かけて教えたのだ。」

小澤さんが指揮をする時のあの熱い感じは実はここから来ているのだ。
そして、作曲者のメシアン本人にあそこまできっぱりと
物申せるというのは確とした信念があるからだ。
『アッシジの聖フランチェスコ』の録音に聞くのは、
メシアンの音楽への理解と共感、
そして自分自身の信念と情熱の結晶と言えないだろうか。
だからこそ4時間に及ぶ音楽が説得力を持ち、
大きな感動をもたらすことができるのである。

     *   *   *

例によって既に十分長い文章になってしまったけれども、
自分の手許にある小澤さんの CD に纏わる話と
その感想について語るのは一旦これで終わりにする。
終わるに当たって、まだまだ聴いていない、
そして聴いて見たい小澤さんの CD もあることなので、
それについて触れておきたいと思う。
その前にまず、これから小澤さんの演奏を聴いてみたいと
思われる方の為に、日本版「ニューズウィーク」誌の
2024年3月5日号の小澤さんの特集記事にあった
「ニューヨークタイムズ」記者の名盤8選なるものを転載しておく。

・メシアン『アッシジの聖フランチェスコ』1983年パリ・オペラ座管
 (初演時のライブ録音)
・ベルリオーズ『幻想交響曲』2014年サイトウ・キネン
 (サイトウ・キネン・フェスティバル松本のライブ録音)
・フォーレ『管弦楽作品集』1986年ボストン響
・マーラー『交響曲第1番』1987年ボストン響
・デュテイユー『時間の影』1998年ボストン響
・ストラヴィンスキー『春の祭典』1968年シカゴ響
・チャイコフスキー『白鳥の湖』1978年ボストン響
・リスト『ピアノ協奏曲第1番・第2番/死の舞踏』
 1987年クリスチャン・ツィメルマン (pf), ボストン響

今回書いた『アッシジの聖フランチェスコ』を除いては
僕が持っているものとは全く被っていないね。w
というわけで、僕が気になっているディスクは次のものになる。
上のリストにも影響を受けているけれど、録音の古い順に、

・ストラヴィンスキー『春の祭典』1968年シカゴ響
・チャイコフスキー『ロメオとジュリエット』1973年サンフランシスコ響
・ベートーヴェン『交響曲第9番』1974年ニュー・フィルハーモニア管
・デ・ファリャ『三角帽子』1976年ボストン響
・デュテイユー『時間の影』1998年ボストン響
・ブラームス『交響曲第1番』2010年サイトウ・キネン
 (カーネギーホールでのライブ。村上春樹さんの激賞で。w)
・ラヴェル『子供と魔法』2013年サイトウ・キネン
 (サイトウ・キネン・フェスティバル松本でのライブ)

小澤さんが亡くなってから小澤さんの CD は、
中古でも手に入りにくくなっているけれども
そのうちどこかで見つけたら聴いてみようと思っている次第。

2024年5月3日金曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その9・メシアン『トゥランガリーラ交響曲』

僕がクラシック音楽の曲は吉田秀和さんの『LP 300選』に基づいて
聴いていったことはこれまでにも何度か書いたが、
実際にレコードや CD を買ったのはその本の前の方と後の方から、
つまりバッハ以前の古楽とドビュッシー以降の現代音楽からだ。
何と言ってもそこに出て来る作曲家の名前の殆どを知らないし、
名前は知っていても実際に作品を聴いたことがないものばかり。
特にベートーヴェン以降の、所謂「ロマン派」と呼ばれる曲の数々は
別にレコードなど買わなくても日常生活に溢れているので
もっと新しい響きを求めていたのだ。
そう、現代音楽が新しい響きであるのは勿論だが、
バロックより前の中世の音楽もまた新しい響きであったのだ。

社会人になったばかりの頃、僕は新宿西口の会社で働いていて、
帰りによく当時 NS ビルにあったレコード店に立ち寄っていた。
そこはこうした現代音楽や古楽のレコードが充実していたのだ。
その時買ったものの中に小澤征爾さんがトロント響を指揮した
メシアン『トゥランガリーラ交響曲』と
武満徹さんの『ノヴェンバー・ステップス』をカップリングした
2枚組の LP があった。

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この LP を見つけた時は、とてもお買い得な曲の組み合わせと
演奏者であるように思えて——勿論これは吉田さんの本の
レコード表にも載っているレコードなのだが——、
もう興奮のあまり衝動買いしたのを今でもはっきりと覚えている。

2枚組ということは、メシアンの曲が LP で3面、
残りの1面に武満さんの曲が入っているわけだが、
つまりメシアンの『トゥランガリーラ交響曲』の方は
全10楽章から成り、1時間を越える長大な曲なのだが、
マーラーの曲は長くて苦手と言っている僕も
この曲は大変面白く聴けたのだった。

それは一つには、歌を含まない純粋な器楽曲であることと、
また、トロンボーンとチューバによる重々しい「彫像の主題」、
弦楽器とオンドマルトノによる官能的な「愛の主題」、
そしてピアノを含む打楽器群によるガムランのリズムなどが
繰り返し或いは変形され、或いは組み合わせられて登場するのが
古典的な交響曲の伝統の上に成り立っているからだと思う。

それに、そう、今書いたオンドマルトノの響きが何よりおもしろい。
「愛の主題」以外でも、いろんなところでピューピュー鳴るのだ。w
そして、実際、10もある楽章はそれぞれが特徴あり、個性的で
全く飽きさせないのだ。
第6楽章の「愛の眠りの園」はメシアンお得意の鳥の表現で、
ピアノが静かに夜鳴鶯のチチチという鳴き声を奏で続けるのもいい。

前に触れた『交響曲名曲名盤100』の中で諸井誠さんは
この曲について「豊麗な音洪水」と表現しているが言い得て妙で、
アートで言えば、次から次へと絶えず様々な色や光が
めくるめく空間の中に身を置いて幻惑されるような
そういう体験を音でする感じなのだ。
メシアンは音に色を感じる人なのでそれは当然のことなのだろうが、
色彩的で官能的表現を得意とする小澤さんの棒は
その魅力を十二分に引き出し、現出しており、
だからこそこの大曲を飽きさせずに最後まで聞き通させるのだ。

そういう小澤さんの演奏は、作曲者のメシアンご本人に
とても気に入られたようだ。
このトロント響との録音は1967年だが、それに先立つ1962年、
小澤さんは NHK 交響楽団を率いてこの曲の日本初演を行っている。
恐らくこの時のことだと想像するが、村上春樹さんとの対談の中で
小澤さんは次のように述べている。

「メシアンさんは僕のことを本当に気に入ってくれて、というか惚れ込まれちゃって、自分の音楽が全部君がやってくれとまで言われました。」

そして1978年から1979年にかけて行われた武満徹さんとの対談を
まとめた『音楽』の中で小澤さんは、

「N 響で僕がメシアンの『トゥーランガリラ交響曲』を初演指揮した。それ以来、おかげで、おれは苦労している(笑)。」

と言っているところを見ると、恐らくメシアンは自作の演奏を
折に触れて小澤さんに依頼するのだろうが、
それでは小澤さんに全て委ねるかというとそうではなく、
きっと作曲者本人としてここはこうしてほしい、
そこはそれじゃダメだ、といろいろ注文を付けたのだろう。
実際、『アッシジの聖フランチェスコ』の初演リハーサルの風景を
以前見たことがあるけれども、その時メシアンが小澤さんの演奏に
注文を付けていた。これについて詳しくはまたあとで。

ともかく、そうしてメシアンが信頼していた小澤さんの演奏である。
僕が LP を買った頃はこの小澤さんのものしかレコードはなかったが、
その後、プレヴィンやサロネン、ラトルなど
世界の指揮者が続々と録音してリリースするようになったので、
今となっては「古い演奏」なのかもしれないけれども、
僕には小澤さんのこの1枚聴けば十分なのである。

P.S.
LP 時代にメシアンの『トゥランガリーラ交響曲』と
武満徹さんの『ノヴェンバー・ステップス』とか
カップリングされたのは、ただ単にレコードというものの制約、
『トゥランガリーラ』が3面必要で1面余るので
4面に20分程度の曲を埋める必要があって武満さんの曲の録音を
使ったのではないかと邪推していたが、
今考えると、『トゥランガリーラ』は協奏曲的ではないものの、
オーケストラに独奏ピアノ、独奏オンドマルトノを伴う交響曲
ということになっている。
方や、『ノヴェンバー・ステップス』は、
オーケストラに独奏琵琶と独奏尺八を伴う管弦楽曲であるので、
実は同じタイプの曲だと言える。
『ノヴェンバー・ステップス』の初演が1967年11月のことだから、
寧ろこの曲を RCA に録音するに当たって、
それではメシアンの曲も一緒に、ということになったのかもですね。

2024年4月29日月曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その8・ストラヴィンスキー『火の鳥』

前回シェーンベルクの『グレの歌』について、
小澤征爾さん指揮のものとブーレーズ指揮のものとで
聴き比べのようなことをやったのでそのつづきのような感じで
今回は小澤さんが1972年にパリ管を率いて EMI に録音した
ストラヴィンスキーの『火の鳥』を取り上げる。

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実は僕はこのディスクのことは全く知らなかったのだ。
大体、ストラヴィンスキーはブーレーズかアンセルメで聴いていて、
たまに初演者ピエール・モントゥーの録音を聴いたりするくらいで
それで十分なのだ。
特にブーレーズの『春の祭典』は、あの複雑なリズムの曲を
理解するのにどれだけ役立ったことか。
アンセルメの『ペトルーシュカ』は、弦楽器がこんなにも
色彩豊かな音を出すのだと驚かされたものだ。

それが今年小澤さんが亡くなったあと、
中古屋さんでこのディスクを見かけて、調べてみたら、
何と、『火の鳥』の全曲演奏の録音としては最も初期のもので
——1959年にドラティがロンドン響と、
1961年に作曲者自身がコロンビア響と録音しているのが
最初期の録音らしい——、小澤さんがこれを録れた当時は
この曲の全曲演奏というのは珍しいものだったらしい。

まぁ、本来バレエという舞台があっての音楽で、
例えばチャイコフスキーの三大バレエなどはどれも2時間あるので
踊りのない、演奏会やレコード向けには組曲や抜粋盤で十分、
という見方はあるのだろうが、
ストラヴィンスキーの三大バレエは何れもそう長時間ではないので
今考えると全曲盤がなかったのが不思議なくらいだ。
小澤さん自身、この EMI 録音の3年前の1969年、
まだ着任前のボストン響を率いて組曲を RCA に録音している。
前に触れた門馬直美さんの『管弦楽・協奏曲名曲名盤100』では
全曲盤はブーレーズのものについて触れつつ、
何故か小澤さんのは組曲の方についてしか触れられていない。

今回いろいろ調べて見たら、この『火の鳥』の全曲演奏、
実は日本での初演を行ったのも小澤さんだったようで、
1971年に日本フィルを指揮して行われたらしい。
とすると、小澤さんはいつかはこの曲の全曲演奏を、と考えていて
その流れの中で1972年の EMI 盤の録音につながっていったように
想像されるのである。

さて、そんなこんなで今回手に入れた
その 1972年の EMI 盤の感想だが、やっぱり、何と言っても
ダイナミックで迫力のある演奏、の一言に尽きる。
ブーレーズも、門場さんが「迫力満点」と評されている通り
僕等がストラヴィンスキーの音楽に求めるものがそこにあるのだが、
小澤さんのはもっとデュナーミクの変化が豊かで、
加えてパリ管の響きがそれに明るい色彩感を与えていて素晴らしい。
1973年のレコード・アカデミー賞を受賞したのも当然という感じの
名演と言える。

そして、この小澤さんのディスクが火付け役になったのか、
僕がいつも聴いているブーレーズが CBS に録音するのが1975年、
そのあとコリン・デイヴィスが1978年に、
ドホナーニが1979年にと、世界の指揮者が我も我もと
次々に録音、リリースするのである。
そう、小澤さんも1983年に手兵ボストン響と同じ EMI に、
ブーレーズも1992年にシカゴ響とグラモフォンに再録音している。
そう言えば、僕が大いに影響を受けた冨田勲さんが
『火の鳥』をリリースしたのは1975年でブーレーズより早い。
こちらは組曲ではあるけれども、もしかして小澤さんのディスクに
触発されたのでは? と勝手な想像をしてみたりする。w

小澤さんはストラヴィンスキーとも交流のあった人なので
ストラヴィンスキーの曲の録音にも熱心だったようなのだが、
自分の場合はそこのチェックが全く抜けていた。
実際小澤さんのストラヴィンスキーの世評はよいようで、
1968年にシカゴ響と RCA に録れた『春の祭典』は
日本版「ニューズウィーク」誌でも取り上げられていたし、
村上春樹さんとの対談の中でも出て来るので、
是非そのうち聴いてみたいと思っている。
何と言っても『春の祭典』は、
僕に管弦楽の素晴らしさを教えてくれた教科書のような音楽だし、
それを小澤さんが指揮しているというのだから。

いやぁ、その「ニューズウィーク」誌の特集記事やら
村上さんとの対談を読んでいると、まだ聴いてないもの
聴いてみたいものがどんどん出来るので困ったものだ。w
そうではあるのだけれど、それをやっているとキリがないので、
この「小澤征爾さんを聴く」のシリーズもあと2回、
何れもメシアンの録音について触れて終わることにする。
次回は『トゥランガリーラ交響曲』について書くつもり。

2024年4月28日日曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その7・シェーンベルク『グレの歌』

小澤征爾さんのことを自分のヒーローだったと書きながら
そんなにたくさん CD を買って持っているわけではないことを
前にも書いた。
基本的には吉田秀和さんの『LP 300選』のレコード表に基づいて
CD を買って聴いていたので、当然小澤さんの演奏の前に
聴いておかなければいけない演奏がたくさんあるからだ。
その中で、シェーンベルクの『グレの歌』については、
「参考盤」とした上で、小澤さんのものが筆頭に、
続いてブーレーズのものの2つが挙がっている。
だからこの曲についてはまず小澤さんの演奏で聴こうと
そう思っていたのだった。

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にも拘わらず縁とは不思議なもので、
シェーンベルクの音楽についてはかつてブーレーズの演奏を
LP で持っていて、その後 CD で買い直す時に全集版で買ったので
期せずして『グレの歌』はブーレーズの演奏を先に聴くことになった。
これは1974年に BBC 響を指揮して録音されたもので、
確か「レコード芸術」の「歴史的名盤」に推薦されていたものだ。
まぁ、曲を聴くだけならそれでもよいのだが、
結局その後欲しかった小澤さんの CD も買うことになる。

何れにしても、『グレの歌』はシェーンベルクの、
まだ十二音技法を取り入れる前の、演奏に2時間もかかる歌曲で、
つまり歌詞があるので、交響曲や管弦楽曲のように
聞き流すわけにはいかないので、シェーンベルクの曲の中でも
聴くのは後回しにしていたのだ。

『グレの歌』についてはクラシックファンでも
マニアックな方でないとあまりご存じではないと思うので
簡単に説明をしておくと、「グレ」というのは最近流行の
「半グレ」とは何の関係もなくて(当たり前か w)
デンマークのコペンハーゲンから北に40キロのところにある、
森に囲まれ、湖に面した場所の名前で、ここにはお城があって、
14世紀の後半、ヴァルデマー4世という王様が治めていたのだが、
その王様に纏わる伝説をデンマークの作家が小説にしていて、
小説に登場する詩をドイツ語に訳したものに
シェーンベルクが作曲、管弦楽の伴奏を付けたのがこの曲だ。

歌に管弦楽の伴奏を付けただけと簡単に考えてはいけない。
その管弦楽は150人から成る大規模なもので、
これに5人の独唱者、3群の男声四部合唱、
更に混声八部合唱が加わるので400人規模の大編成で、
この曲が完成した1911年当時、史上最大の歌曲だったのだ。
そう、大人数を要するコンサートと言うと
マーラーの『交響曲第8番』、通称「千人の交響曲」があるが、
ほぼ同時期に作曲されたこの曲が800人位要するのを考えると
そのとてつもなさが感じられようというものだ。

全体は3部から成っていて、第1部は前奏曲に導かれて
ヴァルデマーが恋人トーヴェと互いへの愛を歌う歌が、
テナーとソプラノで交互に歌われ、ヴァルデマーの5番目の歌の後
管弦楽による間奏が入る。
実はここでトーヴェが嫉妬したヴァルデマーの王妃に
毒殺されたことが暗示されるのだ。
この間奏に続いてメゾ・ソプラノの「山鳩」が
トーヴェが死んだことを悲しむ歌を歌って第1部は終わる。

第2部は、トーヴェの命を奪ったことで神を恨み呪う
ヴァルデマーの歌が歌われ、これは5分くらいで終わる。

第3部は、第2部で神を呪ったことの罰として、
ヴァルデマーと彼に従うゾンビとなった騎士たちが
夜な夜なグレ湖を駆ける百鬼夜行を命ずる。
ヴァルデマー王の歌、男声合唱による百鬼夜行の歌の間に
これに怯える農夫や百鬼夜行に付き合わされる道化による
滑稽な歌が挟まる。
やがて夜が明け、ゾンビたちは墓に戻り
明るく昇って来る太陽を讃える大合唱で感動的に終わる。
小澤さんの CD のジャケットはムンクの「日の出」が使われていて
実にこの感動的なエンディングにぴったりだ。

さて、その小澤さんの演奏。
ブーレーズから5年後の1979年のこの録音は、
全体的にダイナミックで、ヴァーグナーの楽劇を聴いているよう。
実際、この曲は所作を伴わないオペラとも考えられるが、
カラヤンに勧められてオペラにも取り組んで来た
小澤さんならではの劇的な表現と言ったらいいだろうか。
まず、前奏曲はとても美しい。
こういう色彩的な表現は小澤さんの得意とするところ。
続く第1部の歌は全体にヴァルデマーのトーヴェに対する
逸る気持ちを表現しているような切迫感に溢れている。
そして情熱的に盛り上がったオケによる間奏は
やがて淋しげな響きに移り、山鳩の悲愴な歌へと繋がっていく。
第3部のおどろおどろしい感じの百鬼夜行、
滑稽な農夫や道化もそれらしくてよいが、
何と言っても最後の合唱が感動的。
このエンディングにはゾクっとさせられたものだ。

さて、ここでブーレーズ盤との比較をちょっとしっておこう。
というのもブーレーズはシェーンベルクの曲を一通り録音していて
というか、僕はシェーンベルクの曲はブーレーズで聴くことが
多いからだ。

ブーレーズの『グレの歌』は、ニューヨーク・フィルと録れた
『浄夜』などに比べるとずっとしなやかだ。
少なくとも第1部に関しては、である。
小澤さんの演奏の感想でヴァーグナーの楽劇のよう、と書いたが、
そう言えばこの録音のあと、1976年からブーレーズは
バイロイトに出演していて、ヴァーグナーの『指輪』などを
振っていたことを思い出した。
僕がまだ子供の頃だったが、ブーレーズがヴァーグナー?
と不思議に思いながら、当時は FM でバイロイトの録音を
流してくれていたのでそれを聴いていたのを思い出したのだ。

しかし、ここにはイヴォンヌ・ミントンとか
スティーヴ・ライヒとか、ブーレーズのシェーンベルク録音の
常連が参加していることで、シェーンベルクの音の変遷がわかって
実に興味深い。
第1部最後の「山鳩」はイヴォンヌ・ミントンが歌うが、
ここで既に僕には彼女が歌った『月に憑かれたピエロ』を
思い起こさせる。
第3部の新しい管弦楽の使い方もそう。
そして何より驚いたのは、最後の合唱前の「語り手」を
スティーヴ・ライヒが担当するが、
小澤盤ではこの「語り手」はレチタティーヴォのようなものと
軽くそう捉えていたが、
スティーヴ・ライヒは冒頭からはっきりと
シュプリッヒゲザンクで歌うので、
後のシェーンベルクの音楽の特徴をはっきりと示していて
この音楽の終わりがシェーンベルクの新しい音楽の始まりを
予告するものとなり、それが日の出と重なっていくという
実にシェーンベルクの音の変遷、歴史をそのまま辿るような
演奏になっているのである。

実際、この曲は1900年から1911年まで10年に渡って書かれていて、
その間には交響詩『ペレアスとメリザンド』があり、
『5つの管弦楽曲』があり、『架空庭園の書』があり、
そしてこのあと『月に憑かれたピエロ』が来るのである。
ブーレーズの演奏はそのことを、小澤さんよりは淡々とした表現で
示してくれているように思う。

2024年4月27日土曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その6・マーラー『交響曲第1番』

今日は小澤さんがボストン響を指揮した
マーラーの『交響曲第1番』について書いてみようと思う。
これは自分にとっては何とも衝撃的な演奏だったのだ。

マーラーの交響曲も小澤さんが得意とするレパートリーの一つだ。
日経新聞に連載された「私の履歴書」では、
ミュンシュに指揮を教えてもらうために
タングルウッドの音楽祭に参加した時に、
宿舎で同室のホセ・セレブリエールがマーラーのスコアを勉強してて
そこで初めてマーラーのスコアを見たと書いている。
村上春樹さんとの対談集『小澤征爾さんと、音楽について話をする』
の中でそのことについて、小澤さんは次のように語っている。

「それはもう、すごいショックだったですよ。そういう音楽が存在したことすら、自分がそれまで知らなかったということが、まずショックだった。ぼくらがタングルウッドでチャイコフスキーとかドビュッシーとか、そういう音楽をやってるあいだに、こんなに必死になってマーラーを勉強しているやつがいたんだと思うと、真っ青になって、あわててスコアを取り寄せないわけにはいかなかった。だからそのあと、僕も一番、二番、五番あたりを死に物ぐるいで読み込みましたよ」

このタングルウッドの音楽祭に参加したのが1960年7月のこと。
そして小澤さんは1961年の4月にバーンスタインに招かれて
ニューヨークフィルの副指揮者に着任する。
ちょうどバーンスタインがマーラーにのめり込んでいた時期で、
きっとバーンスタインは機会を捉えては小澤さんに
マーラーの魅力を熱く語ったのだろうと僕は想像する。

1960年というのはマーラーの生誕100年に当たる年で
バーンスタインは2月7日に CBS で放送された
Young People's Concert で "Who is Gustav Mahler" 
(グスタフ・マーラーの魅力)のタイトルでマーラーを取り上げ、
生誕100年を祝って、ニューヨーク・フィルでは毎週のように
マーラーの音楽を演奏していることを告げ、若い皆さんにも
この誕生パーティーに参加してほしいからと、
『交響曲第4番』と『大地の歌』の一部を演奏するのだ。
番組の録画が YouTube に上がってこれを見ると
バーンスタインがマーラーの音楽を紹介する様は
とても嬉しそう、幸せそうに見える。

バーンスタインは CBS へのマーラーの交響曲全集録音で有名だが、
正にその第一弾が『交響曲第4番』で、クレジットを見ると
1960年2月1日とあるから、正に CBS の番組放送の直前だ。
ソプラノも番組と同じリーリ・グリストが担当している。
そして第二弾が『交響曲第3番』で、これは1961年4月3日の録音、
ということは、正に小澤さんの副指揮者就任直後で、
実際その録音の現場にいてバーンスタインがマーラーを指揮するのを
目の当たりにしていたに違いない。

後に、1965年に小澤さんがトロントに行く時に
バーンスタインはニューヨークにいるべきだ、と大反対したらしい。
先の「私の履歴書」によると、

「僕には全然レパートリーが足りない。マーラーの交響曲全曲演奏もやってみたい。必死で頼んで、渋々OKしてもらえた。」

とあるから、もしかしてマーラーを全曲演る条件で
バーンスタインがそれなら、と OK したのではないかと思うと
フッと笑えてくる。
その位、小澤さんとバーンスタインとマーラーとは
結びついているのではないかと。w

余談だが、先の村上春樹さんとの対談集では、
小澤さんと同時期に副指揮者を務めていた2人の話が出て来るが、
その2人の副指揮者と共に小澤さんが
Young People's Concert に登場するのが 1962年4月14日の放送。
この時の映像で若き日の小澤さんの指揮振りを見ることができる。
全体にほっそりとした印象を受けるけれども、
その指揮振りはとても力強く、後の小澤さんの情熱的な指揮振りを
予感させるものになっている。

例によって前置きが長くなった。
その小澤さんがボストン響を振って1977年に録れた
マーラーの『交響曲第1番』である。

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このディスクを僕は最初知らなかった。
というか、以前長々と書いた通り、僕はマーラーの音楽は苦手で
ずっと敬遠していたのだが、アニメの『銀河英雄伝説』で
マーラーの交響曲が使われているのを聞いて、
なるほどマーラーの交響曲というのは実は楽劇ないし劇伴であった
との独自かつ勝手な解釈、納得の下に
マーラーの交響曲を聴き始めたのだった。
その時、『交響曲第1番』に関してはもう定盤中の定盤、
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア響の演奏で聴いていた。

が、ある時手に取った『交響曲名曲名盤100』で
諸井誠さんがこの曲についてワルターのディスクについて触れた後、
こう書いていたのだ。

「ところで、これを聴く時に、小沢/ボストン so の場外ホーマ的大快演をぜひ一聴してほしい。録音も抜群。 小沢特有の澄明な抒情性を見事に抱えている。正にこれは青春の響きだ。オケ全員が心から小沢を大切にして弾いているのがビンビンわかるのも嬉しい。」

何ですと?
諸井さんはワルターがこの曲を「マーラーのウェルテルといいたい」
と評したことに触れつつ、青春を表現したものと解しておられるが、
その青春の響きが感じられるのが小澤さんの演奏だと言うのだ。

これを読んで僕は早速この小澤さんのディスクを手に入れた。
確かに、うん、素晴らしい。とても美しい響きで、
瑞々しい、という言葉はこういう音を表すためのものかと思える。
ワルターのは、何と言うか、「かくあるべし」というような
ある種の重みが感じられるのだが、
小澤さんの演奏で聴くと、そこに明るく軽い「舞い」が感じられ、
その響きは後年の『大地の歌』の第3楽章「青春について」を
思わせるのだ。
そう、『大地の歌』の萌芽が既に『第1』にあることを
小澤さんの演奏は気づかせてくれる。
始まりと終わり。それは正にニーチェ的な「永劫回帰」であり、
『大地の歌』の最後の歌詞、"Ewig(永遠)" に通ずる。

あと、小澤さんのこの演奏には、最終的にマーラーが削除した
「花の章」がちゃんと演奏されていることも嬉しい。
結果、ワルターの演奏とは全く異なる印象の曲に仕上がっていて、
実際、僕は小澤さんの演奏を聴いたあとで
もう一度ワルターの演奏を聴き直したくらいだ。

小澤さんは別に奇をてらっているわけではない。
寧ろ楽譜を丁寧に読んだらこうなった、というだけのことだろう。
ワルターはマーラーの弟子であって、マーラーの音楽についても
そして指揮法についても先生から教わった音楽を
僕等に届けてくれているのだと思う。
だからこそそこには「かくあるべし」的なものがあるのだが、
それとは異なる、楽譜そのものに込められた響きを
純粋に具体的な音にすることでそれとは異なる
新たな、新鮮な響きが生まれたというのはとても素晴らしいことだ。
この小澤さんの『第1番』に接して僕は、
もっとマーラーのいろんな演奏を聴いてみたいと感じた次第なのだ。