2024年4月27日土曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その6・マーラー『交響曲第1番』

今日は小澤さんがボストン響を指揮した
マーラーの『交響曲第1番』について書いてみようと思う。
これは自分にとっては何とも衝撃的な演奏だったのだ。

マーラーの交響曲も小澤さんが得意とするレパートリーの一つだ。
日経新聞に連載された「私の履歴書」では、
ミュンシュに指揮を教えてもらうために
タングルウッドの音楽祭に参加した時に、
宿舎で同室のホセ・セレブリエールがマーラーのスコアを勉強してて
そこで初めてマーラーのスコアを見たと書いている。
村上春樹さんとの対談集『小澤征爾さんと、音楽について話をする』
の中でそのことについて、小澤さんは次のように語っている。

「それはもう、すごいショックだったですよ。そういう音楽が存在したことすら、自分がそれまで知らなかったということが、まずショックだった。ぼくらがタングルウッドでチャイコフスキーとかドビュッシーとか、そういう音楽をやってるあいだに、こんなに必死になってマーラーを勉強しているやつがいたんだと思うと、真っ青になって、あわててスコアを取り寄せないわけにはいかなかった。だからそのあと、僕も一番、二番、五番あたりを死に物ぐるいで読み込みましたよ」

このタングルウッドの音楽祭に参加したのが1960年7月のこと。
そして小澤さんは1961年の4月にバーンスタインに招かれて
ニューヨークフィルの副指揮者に着任する。
ちょうどバーンスタインがマーラーにのめり込んでいた時期で、
きっとバーンスタインは機会を捉えては小澤さんに
マーラーの魅力を熱く語ったのだろうと僕は想像する。

1960年というのはマーラーの生誕100年に当たる年で
バーンスタインは2月7日に CBS で放送された
Young People's Concert で "Who is Gustav Mahler" 
(グスタフ・マーラーの魅力)のタイトルでマーラーを取り上げ、
生誕100年を祝って、ニューヨーク・フィルでは毎週のように
マーラーの音楽を演奏していることを告げ、若い皆さんにも
この誕生パーティーに参加してほしいからと、
『交響曲第4番』と『大地の歌』の一部を演奏するのだ。
番組の録画が YouTube に上がってこれを見ると
バーンスタインがマーラーの音楽を紹介する様は
とても嬉しそう、幸せそうに見える。

バーンスタインは CBS へのマーラーの交響曲全集録音で有名だが、
正にその第一弾が『交響曲第4番』で、クレジットを見ると
1960年2月1日とあるから、正に CBS の番組放送の直前だ。
ソプラノも番組と同じリーリ・グリストが担当している。
そして第二弾が『交響曲第3番』で、これは1961年4月3日の録音、
ということは、正に小澤さんの副指揮者就任直後で、
実際その録音の現場にいてバーンスタインがマーラーを指揮するのを
目の当たりにしていたに違いない。

後に、1965年に小澤さんがトロントに行く時に
バーンスタインはニューヨークにいるべきだ、と大反対したらしい。
先の「私の履歴書」によると、

「僕には全然レパートリーが足りない。マーラーの交響曲全曲演奏もやってみたい。必死で頼んで、渋々OKしてもらえた。」

とあるから、もしかしてマーラーを全曲演る条件で
バーンスタインがそれなら、と OK したのではないかと思うと
フッと笑えてくる。
その位、小澤さんとバーンスタインとマーラーとは
結びついているのではないかと。w

余談だが、先の村上春樹さんとの対談集では、
小澤さんと同時期に副指揮者を務めていた2人の話が出て来るが、
その2人の副指揮者と共に小澤さんが
Young People's Concert に登場するのが 1962年4月14日の放送。
この時の映像で若き日の小澤さんの指揮振りを見ることができる。
全体にほっそりとした印象を受けるけれども、
その指揮振りはとても力強く、後の小澤さんの情熱的な指揮振りを
予感させるものになっている。

例によって前置きが長くなった。
その小澤さんがボストン響を振って1977年に録れた
マーラーの『交響曲第1番』である。

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このディスクを僕は最初知らなかった。
というか、以前長々と書いた通り、僕はマーラーの音楽は苦手で
ずっと敬遠していたのだが、アニメの『銀河英雄伝説』で
マーラーの交響曲が使われているのを聞いて、
なるほどマーラーの交響曲というのは実は楽劇ないし劇伴であった
との独自かつ勝手な解釈、納得の下に
マーラーの交響曲を聴き始めたのだった。
その時、『交響曲第1番』に関してはもう定盤中の定盤、
ブルーノ・ワルター指揮コロンビア響の演奏で聴いていた。

が、ある時手に取った『交響曲名曲名盤100』で
諸井誠さんがこの曲についてワルターのディスクについて触れた後、
こう書いていたのだ。

「ところで、これを聴く時に、小沢/ボストン so の場外ホーマ的大快演をぜひ一聴してほしい。録音も抜群。 小沢特有の澄明な抒情性を見事に抱えている。正にこれは青春の響きだ。オケ全員が心から小沢を大切にして弾いているのがビンビンわかるのも嬉しい。」

何ですと?
諸井さんはワルターがこの曲を「マーラーのウェルテルといいたい」
と評したことに触れつつ、青春を表現したものと解しておられるが、
その青春の響きが感じられるのが小澤さんの演奏だと言うのだ。

これを読んで僕は早速この小澤さんのディスクを手に入れた。
確かに、うん、素晴らしい。とても美しい響きで、
瑞々しい、という言葉はこういう音を表すためのものかと思える。
ワルターのは、何と言うか、「かくあるべし」というような
ある種の重みが感じられるのだが、
小澤さんの演奏で聴くと、そこに明るく軽い「舞い」が感じられ、
その響きは後年の『大地の歌』の第3楽章「青春について」を
思わせるのだ。
そう、『大地の歌』の萌芽が既に『第1』にあることを
小澤さんの演奏は気づかせてくれる。
始まりと終わり。それは正にニーチェ的な「永劫回帰」であり、
『大地の歌』の最後の歌詞、"Ewig(永遠)" に通ずる。

あと、小澤さんのこの演奏には、最終的にマーラーが削除した
「花の章」がちゃんと演奏されていることも嬉しい。
結果、ワルターの演奏とは全く異なる印象の曲に仕上がっていて、
実際、僕は小澤さんの演奏を聴いたあとで
もう一度ワルターの演奏を聴き直したくらいだ。

小澤さんは別に奇をてらっているわけではない。
寧ろ楽譜を丁寧に読んだらこうなった、というだけのことだろう。
ワルターはマーラーの弟子であって、マーラーの音楽についても
そして指揮法についても先生から教わった音楽を
僕等に届けてくれているのだと思う。
だからこそそこには「かくあるべし」的なものがあるのだが、
それとは異なる、楽譜そのものに込められた響きを
純粋に具体的な音にすることでそれとは異なる
新たな、新鮮な響きが生まれたというのはとても素晴らしいことだ。
この小澤さんの『第1番』に接して僕は、
もっとマーラーのいろんな演奏を聴いてみたいと感じた次第なのだ。

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