2024年4月28日日曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その7・シェーンベルク『グレの歌』

小澤征爾さんのことを自分のヒーローだったと書きながら
そんなにたくさん CD を買って持っているわけではないことを
前にも書いた。
基本的には吉田秀和さんの『LP 300選』のレコード表に基づいて
CD を買って聴いていたので、当然小澤さんの演奏の前に
聴いておかなければいけない演奏がたくさんあるからだ。
その中で、シェーンベルクの『グレの歌』については、
「参考盤」とした上で、小澤さんのものが筆頭に、
続いてブーレーズのものの2つが挙がっている。
だからこの曲についてはまず小澤さんの演奏で聴こうと
そう思っていたのだった。

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にも拘わらず縁とは不思議なもので、
シェーンベルクの音楽についてはかつてブーレーズの演奏を
LP で持っていて、その後 CD で買い直す時に全集版で買ったので
期せずして『グレの歌』はブーレーズの演奏を先に聴くことになった。
これは1974年に BBC 響を指揮して録音されたもので、
確か「レコード芸術」の「歴史的名盤」に推薦されていたものだ。
まぁ、曲を聴くだけならそれでもよいのだが、
結局その後欲しかった小澤さんの CD も買うことになる。

何れにしても、『グレの歌』はシェーンベルクの、
まだ十二音技法を取り入れる前の、演奏に2時間もかかる歌曲で、
つまり歌詞があるので、交響曲や管弦楽曲のように
聞き流すわけにはいかないので、シェーンベルクの曲の中でも
聴くのは後回しにしていたのだ。

『グレの歌』についてはクラシックファンでも
マニアックな方でないとあまりご存じではないと思うので
簡単に説明をしておくと、「グレ」というのは最近流行の
「半グレ」とは何の関係もなくて(当たり前か w)
デンマークのコペンハーゲンから北に40キロのところにある、
森に囲まれ、湖に面した場所の名前で、ここにはお城があって、
14世紀の後半、ヴァルデマー4世という王様が治めていたのだが、
その王様に纏わる伝説をデンマークの作家が小説にしていて、
小説に登場する詩をドイツ語に訳したものに
シェーンベルクが作曲、管弦楽の伴奏を付けたのがこの曲だ。

歌に管弦楽の伴奏を付けただけと簡単に考えてはいけない。
その管弦楽は150人から成る大規模なもので、
これに5人の独唱者、3群の男声四部合唱、
更に混声八部合唱が加わるので400人規模の大編成で、
この曲が完成した1911年当時、史上最大の歌曲だったのだ。
そう、大人数を要するコンサートと言うと
マーラーの『交響曲第8番』、通称「千人の交響曲」があるが、
ほぼ同時期に作曲されたこの曲が800人位要するのを考えると
そのとてつもなさが感じられようというものだ。

全体は3部から成っていて、第1部は前奏曲に導かれて
ヴァルデマーが恋人トーヴェと互いへの愛を歌う歌が、
テナーとソプラノで交互に歌われ、ヴァルデマーの5番目の歌の後
管弦楽による間奏が入る。
実はここでトーヴェが嫉妬したヴァルデマーの王妃に
毒殺されたことが暗示されるのだ。
この間奏に続いてメゾ・ソプラノの「山鳩」が
トーヴェが死んだことを悲しむ歌を歌って第1部は終わる。

第2部は、トーヴェの命を奪ったことで神を恨み呪う
ヴァルデマーの歌が歌われ、これは5分くらいで終わる。

第3部は、第2部で神を呪ったことの罰として、
ヴァルデマーと彼に従うゾンビとなった騎士たちが
夜な夜なグレ湖を駆ける百鬼夜行を命ずる。
ヴァルデマー王の歌、男声合唱による百鬼夜行の歌の間に
これに怯える農夫や百鬼夜行に付き合わされる道化による
滑稽な歌が挟まる。
やがて夜が明け、ゾンビたちは墓に戻り
明るく昇って来る太陽を讃える大合唱で感動的に終わる。
小澤さんの CD のジャケットはムンクの「日の出」が使われていて
実にこの感動的なエンディングにぴったりだ。

さて、その小澤さんの演奏。
ブーレーズから5年後の1979年のこの録音は、
全体的にダイナミックで、ヴァーグナーの楽劇を聴いているよう。
実際、この曲は所作を伴わないオペラとも考えられるが、
カラヤンに勧められてオペラにも取り組んで来た
小澤さんならではの劇的な表現と言ったらいいだろうか。
まず、前奏曲はとても美しい。
こういう色彩的な表現は小澤さんの得意とするところ。
続く第1部の歌は全体にヴァルデマーのトーヴェに対する
逸る気持ちを表現しているような切迫感に溢れている。
そして情熱的に盛り上がったオケによる間奏は
やがて淋しげな響きに移り、山鳩の悲愴な歌へと繋がっていく。
第3部のおどろおどろしい感じの百鬼夜行、
滑稽な農夫や道化もそれらしくてよいが、
何と言っても最後の合唱が感動的。
このエンディングにはゾクっとさせられたものだ。

さて、ここでブーレーズ盤との比較をちょっとしっておこう。
というのもブーレーズはシェーンベルクの曲を一通り録音していて
というか、僕はシェーンベルクの曲はブーレーズで聴くことが
多いからだ。

ブーレーズの『グレの歌』は、ニューヨーク・フィルと録れた
『浄夜』などに比べるとずっとしなやかだ。
少なくとも第1部に関しては、である。
小澤さんの演奏の感想でヴァーグナーの楽劇のよう、と書いたが、
そう言えばこの録音のあと、1976年からブーレーズは
バイロイトに出演していて、ヴァーグナーの『指輪』などを
振っていたことを思い出した。
僕がまだ子供の頃だったが、ブーレーズがヴァーグナー?
と不思議に思いながら、当時は FM でバイロイトの録音を
流してくれていたのでそれを聴いていたのを思い出したのだ。

しかし、ここにはイヴォンヌ・ミントンとか
スティーヴ・ライヒとか、ブーレーズのシェーンベルク録音の
常連が参加していることで、シェーンベルクの音の変遷がわかって
実に興味深い。
第1部最後の「山鳩」はイヴォンヌ・ミントンが歌うが、
ここで既に僕には彼女が歌った『月に憑かれたピエロ』を
思い起こさせる。
第3部の新しい管弦楽の使い方もそう。
そして何より驚いたのは、最後の合唱前の「語り手」を
スティーヴ・ライヒが担当するが、
小澤盤ではこの「語り手」はレチタティーヴォのようなものと
軽くそう捉えていたが、
スティーヴ・ライヒは冒頭からはっきりと
シュプリッヒゲザンクで歌うので、
後のシェーンベルクの音楽の特徴をはっきりと示していて
この音楽の終わりがシェーンベルクの新しい音楽の始まりを
予告するものとなり、それが日の出と重なっていくという
実にシェーンベルクの音の変遷、歴史をそのまま辿るような
演奏になっているのである。

実際、この曲は1900年から1911年まで10年に渡って書かれていて、
その間には交響詩『ペレアスとメリザンド』があり、
『5つの管弦楽曲』があり、『架空庭園の書』があり、
そしてこのあと『月に憑かれたピエロ』が来るのである。
ブーレーズの演奏はそのことを、小澤さんよりは淡々とした表現で
示してくれているように思う。

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