前回お見せした生成文法の図を生成 AI との関連で
勤務先の IT 部門のメンバーに示したのは昨年の6月頃のようだ。
結論として、英語のレベルを上げたかったら、
たくさん生の英語に、雑誌やテレビや映画を見て生の英語に
触れることなんだよ、と伝えたのだが、
「それではいつになることやら」とか
「コンピュータには勝てない」とか絶望的な反応があった。w
そうだろうと思って用意していたのが、
以前ナショナルジオグラフィックで見かけた記事から作った次の表。
その記事は2007年のものなので、現在の PC の容量は
約10倍になっていると考えてよいと思うけれども、
そして、AI になるともっと容量は大きいと思うけれども、
人間の脳のシナプス数が桁違いに大きいことに注目されたい。
AI を過大評価すべきではないし、
人間の能力というものをもっと信じるべきなのである。
我々大人が「いつのことになるやら」と思ってしまうことを
子供はあっという間に習得してしまうのだから。
* * *
ところで、前回示した生成文法の図は、
左側が日本語、右側が英語と、何れも言語を並べたのだが、
時枝誠記さんが言うように言語が音楽や絵画などの芸術と同じ
一つの表現であるに過ぎないとすれば、この図を拡大して
左側に言語、右側に音楽を持って来てもよいわけである。
実際、バーンスタインの『答えのない質問』の講義の6回目で
それに似た絵が出て来る。
更にバーンスタインは表現されたものとしての詩と音楽を
統合する絵まで出して来る。
そうなのである。
ウォルター・ペイターは「あらゆる芸術は音楽の状態に憧れる」
と書いたけれども、もっと言うと、
あらゆる芸術は統合され、相互に補完し合う状態に憧れるのだ。
それこそヴァーグナーが「楽劇」という形式で行おうとしたことだし、
日本の「歌舞伎」が実現していることなのだ。
* * *
こうしてバーンスタインは、言語学や哲学の立場から
音楽というものを捉え直しているように思われるのだが、
僕がやろうとしていることはその反対に、
音楽の側から哲学を捉え直してみようということなのである。
大変長い前置きになったけれども、
こうして昨年生成 AI の登場をきっかけに学び直した生成文法、
小澤征爾さんの逝去をきっかけに触れたアイヴスの音楽と
バーンスタインの一連の講義、
そして今年の SL21B をきっかけに読んだ
ワインバーグの『宇宙創成はじめの3分間』、
こうしたものが今年の Burn 2 のテーマを見て1つになったのだ。
そう、今年の Burn 2 のテーマは、『不思議の国のアリス』から
"Curioser and Curioser" となっていて、曰く、
「答えのないパズルを讃え、不合理と馬鹿馬鹿しさを大切にし、
知らない人や未知のものをお茶に招こう」というものなのだ。
この「答えのないパズル」が「答えのない質問」を想起させたことは
ここまで読んでくれた方ならすぐにわかるだろう。
今年、Burn 2 の終わるその日に、4枚目のアルバムを出す予定だが、
これまで SL で演奏してきた曲をリリースするのは
これが最後になると思う。
そのあとは、哲学的なテーマを音楽で表現してみたいと考えている。
今年の Burn 2 はその新しい活動のはじまりとなるだろう。
Hiroshi Kumaki の音楽の第2章のはじまりである。