『放射能と理性 なぜ「100ミリシーベルト」なのか』ウェード・アリソン著(徳間書店)
これは、全日本国民に読んで頂きたい本である。
放射能や原子力に関する基本書と言え、
この本を読まずに原発廃止を訴えることも
原発推進を唱えることもあり得ないと言ってよい。
結論から言えば、この著者はこう提言する。
放射線の被曝安全基準を、
単回急性被曝なら100ミリシーベルト、
複数回慢性被曝なら100ミリシーベルト/月、
生涯線量の場合は5000ミリシーベルトにせよと。
これは、現在の国の基準である
1ミリシーベルト/年に比べると
遥かに大きな値であり、驚く方も多かろうが、
それでも放射線治療で健康な細胞が浴びる線量の
200分の1程度であると言う。
何故この数字での提言を行うのか、
オックスフォード大学の物理学教授である著者は
懇切丁寧に放射能の性質や
原子力エネルギーの利用について説明する。
その過程で私たちは核兵器と原発では
そこで起こっている現象が全く異なること
従って原発施設の核兵器開発施設への転用は
あり得ないこと
(できなくはないが通常ではない処理が必要で
その動きは目立つため、だからこそ
IAEAがチェックできるのだ)などが
淡々とした文体で語られる。
中でも日本人である僕にとって
目から鱗だったのは、広島・長崎の原爆で
亡くなった人の死因が殆どは爆発による
熱線に由来するものであって、
放射線によるものではないということだ。
僕らは日本人であればこそ、
原爆の悲惨さを知っている。
そこでどうしても原子力・放射能というと
その悲惨さを思い起こさずにはいられないのだ。
しかし、同様に、
チェルノブイリでも、初期に事故の対応に当たり
大量に被曝した人たちを除いて
放射線の影響で亡くなった人は殆どなく、
寧ろ、チェルノブイリから避難した人々の
死因の多くは避難によるストレスであったという。
先頃発表された統計では、
やはり福島から避難した方々の
56%が避難によるストレスで亡くなったと
報じられた。
これはとんでもないことではないだろうか?
厳しい安全基準を課すことによって、
私たちは死ななくてもよい人たちを
死なせてしまったのではないか?
放射能に対して私たちが不安を抱くのは
結局のところそれが匂いもなく、色もなく、
痛みすら感じさせない、
得体の知れないものであり、
今ここにあるから逃げなければ! と
五感で感じて回避できないからである。
だから何らかの指標を求めるのであるが、
事故が福島で起こったからと
福島の線量を計ることばかりに集中する。
一方で、現在の福島より自然線量のが高い
農産物の生産地も日本にはあるものの
そういう場所のことは全く気にしないというのが
この国の国民のいい加減なところである。
放射線の人体の影響として最も知られているのが
がんの発生なのだそうだが、
ここ数十年にわたる研究で、
放射線によるがんの発生率は
たばこによる発生率の100分の1なのだそうだ。
とすれば、放射線の子供への影響に過敏になる
お父さんやお母さんは
その前に禁煙する必要があるとも言えるだろう。
そしてもう一つ、衝撃的な事実は、
同じ電力の電気を発電する場合、
火力発電所は原子力発電所に比べ
100万倍規模の廃棄物=地球温暖化ガスを
発生させるということだ。
原発の廃炉には100年かかるというが、
火力発電所が発生させた地球温暖化ガスが
その影響がなくなるほどになるまで
やはり100年かかるという。
しかも、核廃棄物は容器に格納して
保管することが可能だが、
温暖化ガスはこのようなコントロールが利かず、
それがオゾン層を破壊して
宇宙からの放射線を招き入れたりする。。。。
僕は今のところ原発推進派でも
原発反対派でもない。
しかし、もはや電気のない生活は考えられず、
将来にわたるこの国のエネルギー政策は
日本国民なら誰でも考えないといけない課題だ。
その考える基礎として、この本を薦めたいと
思う次第なのです。
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3 年前
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