あっという間に9月も終わりそうな雰囲気ですね。
で、この時期になるとセカンドライフの恒例行事
Burn2 が間近に迫り、ソワソワしてくるヒロシです。
今年は、SLTで10月21日(土)〜29日(日)の日程で行われます。
テーマは、RLのバーニングマンと連動して「過激な儀式」。
「過激な」というのはバーニングマンやBurn2のキーワードで、
バーニングマンの10の理念のうち3つが、
・過激なまでに自ら参加し、人を誘い込むこと
・過激なまでに自己充足、独立して参加すること
・過激なまでに自分を表現すること
とあるのと関係しているようですね。
それでは、「過激な儀式」とはどんなテーマなんでしょうか?
バーニングマンの公式サイトでは次のように書かれています。
(ヒロシの拙い訳ですみません。原文はこちら。)
* * *
2017年のテーマ「過激な儀式」
「私達は、宗教的アイデンティティというものを、生まれながらに、親族や部族に属するものとして、あたかも髪の色や故郷といったもののように、そういうものとしては受け継がない人類の歴史始まって以来最初の種族に属するのです。そうでありながら、このことが持つ流動性、即ち、何を信じるべきか選択すべき局面が来たり、スピリチュアルなものに対して自分がどのような姿勢で臨むのかを組み立て、認識出来る時が来るということは、必ずしも精神的な生活が衰退していくことにつながるのでなく、寧ろ、精神的生活が豊かになり、新しく生まれ変わることにつながっているのです。」(クリスタ・ティペット)
宗教というものの教義、信条、或いは形而上学的観念を越えたところに、直接経験というものが存在します。この根源的な世界からこそ生きた信仰が生まれるのです。2017年、私達はバーニング・マンに参加する人たちにインタラクティブな祭典や儀式を生み出し、或いは像や寺院やイコンやビジョンを描くよう呼びかけたいのです。今回のテーマは、微妙で曖昧な立ち位置のものになるでしょう。即ち、畏敬の念と嘲り、信念と信仰、馬鹿げた下らないものと腰を抜かすほど崇高なものといったものの中間に位置するようなものです。この世の出来事、物、行為、人物を聖なるものにしたいという人間の強い欲求は常に変化するものです。この欲求はどんな人にもどんな物にも狙いを定め、居場所を定めるのです。私達の今年のアート・テーマは、この精神をブラック・ロックの砂漠に解き放とうというものなのです。
聖なるものを求めて
「遊びと儀式との間に形式的な違いは何もない。従って、聖地は遊び場と形式的に区別することはできない。競技場、カードテーブル、魔法円……これらは全て遊び場の形式と機能とを備えている。即ち、禁断の場所であり、他から隔絶され、制限の設けられた聖なる場所であり、そこでは特別なルールが支配している、といったものだ。すべては日常の世界の中に一時的に存在する世界でありながら、日常からかけ離れた行為を演ずることによって記録されるものなのである。」(ヨハン・ホイジンガ)
聖なるものというのは、時間と空間の遥か彼方、どこか深遠な他の場所から来るもののように思えます。それは、あたかも現実以上にリアルなもう一つ別な世界への窓が開け放たれたかのようなものです。あらゆる聖なるものが持つこの絶対的な唯一無二の性格はこの上なく強い感情を解放するのです。歓喜、畏敬、驚嘆、怖れ、そしてその最も超越した形である精神的昂揚といった感情です。聖なるものは私達に偉大なものの存在について、そして私たちの意識を遥かに超えた大いなる力との融合を語りかけるのです。あたかも、聖なるものが私達により偉大な存在へと近付く術を与えてくれているように感じられます。
今年のテーマは、ポストモダン後の私たちの世界にもう一度儀式というものを生み出そうとする試みです。この目的を達成するために、私達は一人一人の信仰の主張に拘らず、遊びというものを直接体験することに集中することにしました。信仰は「意味」を持たせ、定義し、限定するものです。信仰がある故に、真実が合理性を纏った価値のない日用品のようなものに低められてしまうのです。一方、遊びは、証明も保証もできないものの真実が見えるように私たちを自由にしてくれるのです。私たちの考えでは、こうした遊びこそ、信仰と空想の垣根を取り払ってしまうのです。心のままに、創造的な遊びをすることで、合理的思考に縛られた枠を越えた体験に自ずから身を委ねることができるのです。
平原の寺院
「長年このイベントに参加している人がこう書いている。『バーニングマンは儀式だ。ただ、神学的なコンテキストが取り除かれた儀式だ。教義の制約を受けなければ、儀式は直接体験に溢れた、豊かな器となり得る。」(リー・ギルモア『心の炎』)
ブラック・ロック・シティを訪れる参加者たちを挨拶で迎える砂塵の天使になりませんかという楽しいお誘いに始まり、このイベントの終わりを告げるテンプル・バーンまで、バーニング・マンは数々の儀式に溢れています。これらの儀式は魂の要求を物語っているのです。即ち、どこかある場所、ある時間、お互いに、そして自分たちより偉大な何かに属していたいという欲求です。たとえそれが永久には続かない、ほんの一瞬のことであったとしても。あらゆる時代を通じて、この感情を呼び覚ますために寺院というものが造られてきました。
私達の公共事業部(DPW)の作業員たちがブラック・ロックの砂漠を訪れると、まず最初に行うのはバーニングマンの正確な位置を確認することです。というのも、正にこの場所から街全体の測量が始まるからです。続いて金メッキを施された金属の杭が地面に打ち込まれます。この行為は何十年も繰り返し行われているうちに今や一つの儀式となりました。作業員一人一人がハンマーを手に取り、一回打ち込むごとに何グラムかのエネルギーが注ぎ込まれ、他のみんなの仕事と一つになっていくのです。ある意味、彼らの行為こそバーニングマンを造っているのだと言えます。
今年、私達は「黄金の犬釘」を記念する寺院を建設します。円を取り巻く円の中心にバーニングマンが聳えます。私達はこの空間を「へそ」の印を付けようと思います。これは私達の世界の臍を表す彫刻で、拠点であり、たまり場となるところです。バーニングマンの脊髄を貫いて、この軸はまっすぐ上に伸び、寺院の上遥か高いところに「黄金の犬釘」として姿を現すのです。参加する皆さんには、この寺院と寺院の壁を覆う高価な品々に貢献して頂ければと思っています。これらの捧げ物は私達の文化とブラック・ロック・シティが皆さんにとってどれだけ価値のあるものであるかを示す皆さんからの贈り物であると理解して頂ければと思います。
いつものことではありますが、私たちの今年のテーマに拘わらず、バーニングマンではいかなる人のいかなる芸術作品をも歓迎します。もしプラヤで炎の芸術を企画していたり、何か作品を展示したいとお考えでしたら、詳しくは「プラヤ・アートのガイドライン」をご覧下さい。
テーマ企画:ラリー・ハーヴィー
本文:ラリー・ハーヴィー
* * *
長く難しい文章ですが、僕自身は「遊び」という日本語が
元は「神を楽しませる」という意味であったことを思い出しました。
神を楽しませる目的であった音楽が今や娯楽となっています。
同じように英語の「play」も歴史的なコンテクストでは
「聖典劇」「典礼劇」でしたが、今や普通のお芝居から遊び、
という意味に変わってきていますね。
徹底的に遊ぶということが、その昂揚感が、
聖なる物を再び見出すきっかけになれば、という趣旨のようです。
さて、今年のミュージシャンやDJのエントリーは
何とセルフエントリー方式、つまり、自分でカレンダーの空いている
好きな時間にエントリーするという早い者勝ち方式です。@@
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1fVvAOEsZMpxe6SqvgsSqZ_MMfeWxWirnUPOoSi0btbU/edit#gid=1613006266
というわけで、ヒロシも早速エントリーしてますよ。
JSTで10/27(金)23:00と20/29(日)13:00の2回です。
そう! 10/27は僕のSLミュージシャンデビューの日なので
デビュー10周年記念は Burn2 のセンターキャンプで祝います。
是非みなさん遊びに来てね!
今年のBurn2の公式HPはこちらです。
是非チェックしてみて下さい。
http://www.burn2.org
最後に、日本のSLミュージシャン & DJ の皆さんに業務連絡。
10/27の僕の時間の前後、まだ空いているようですので、
よろしかったら是非数時間ぶち抜きで日本人の時間にしませんか?
個別にお声かけさせて戴くかもですので、
その時はよろしくお願いします。^^
で、この時期になるとセカンドライフの恒例行事
Burn2 が間近に迫り、ソワソワしてくるヒロシです。
今年は、SLTで10月21日(土)〜29日(日)の日程で行われます。
テーマは、RLのバーニングマンと連動して「過激な儀式」。
「過激な」というのはバーニングマンやBurn2のキーワードで、
バーニングマンの10の理念のうち3つが、
・過激なまでに自ら参加し、人を誘い込むこと
・過激なまでに自己充足、独立して参加すること
・過激なまでに自分を表現すること
とあるのと関係しているようですね。
それでは、「過激な儀式」とはどんなテーマなんでしょうか?
バーニングマンの公式サイトでは次のように書かれています。
(ヒロシの拙い訳ですみません。原文はこちら。)
* * *
2017年のテーマ「過激な儀式」
「私達は、宗教的アイデンティティというものを、生まれながらに、親族や部族に属するものとして、あたかも髪の色や故郷といったもののように、そういうものとしては受け継がない人類の歴史始まって以来最初の種族に属するのです。そうでありながら、このことが持つ流動性、即ち、何を信じるべきか選択すべき局面が来たり、スピリチュアルなものに対して自分がどのような姿勢で臨むのかを組み立て、認識出来る時が来るということは、必ずしも精神的な生活が衰退していくことにつながるのでなく、寧ろ、精神的生活が豊かになり、新しく生まれ変わることにつながっているのです。」(クリスタ・ティペット)
宗教というものの教義、信条、或いは形而上学的観念を越えたところに、直接経験というものが存在します。この根源的な世界からこそ生きた信仰が生まれるのです。2017年、私達はバーニング・マンに参加する人たちにインタラクティブな祭典や儀式を生み出し、或いは像や寺院やイコンやビジョンを描くよう呼びかけたいのです。今回のテーマは、微妙で曖昧な立ち位置のものになるでしょう。即ち、畏敬の念と嘲り、信念と信仰、馬鹿げた下らないものと腰を抜かすほど崇高なものといったものの中間に位置するようなものです。この世の出来事、物、行為、人物を聖なるものにしたいという人間の強い欲求は常に変化するものです。この欲求はどんな人にもどんな物にも狙いを定め、居場所を定めるのです。私達の今年のアート・テーマは、この精神をブラック・ロックの砂漠に解き放とうというものなのです。
聖なるものを求めて
「遊びと儀式との間に形式的な違いは何もない。従って、聖地は遊び場と形式的に区別することはできない。競技場、カードテーブル、魔法円……これらは全て遊び場の形式と機能とを備えている。即ち、禁断の場所であり、他から隔絶され、制限の設けられた聖なる場所であり、そこでは特別なルールが支配している、といったものだ。すべては日常の世界の中に一時的に存在する世界でありながら、日常からかけ離れた行為を演ずることによって記録されるものなのである。」(ヨハン・ホイジンガ)
聖なるものというのは、時間と空間の遥か彼方、どこか深遠な他の場所から来るもののように思えます。それは、あたかも現実以上にリアルなもう一つ別な世界への窓が開け放たれたかのようなものです。あらゆる聖なるものが持つこの絶対的な唯一無二の性格はこの上なく強い感情を解放するのです。歓喜、畏敬、驚嘆、怖れ、そしてその最も超越した形である精神的昂揚といった感情です。聖なるものは私達に偉大なものの存在について、そして私たちの意識を遥かに超えた大いなる力との融合を語りかけるのです。あたかも、聖なるものが私達により偉大な存在へと近付く術を与えてくれているように感じられます。
今年のテーマは、ポストモダン後の私たちの世界にもう一度儀式というものを生み出そうとする試みです。この目的を達成するために、私達は一人一人の信仰の主張に拘らず、遊びというものを直接体験することに集中することにしました。信仰は「意味」を持たせ、定義し、限定するものです。信仰がある故に、真実が合理性を纏った価値のない日用品のようなものに低められてしまうのです。一方、遊びは、証明も保証もできないものの真実が見えるように私たちを自由にしてくれるのです。私たちの考えでは、こうした遊びこそ、信仰と空想の垣根を取り払ってしまうのです。心のままに、創造的な遊びをすることで、合理的思考に縛られた枠を越えた体験に自ずから身を委ねることができるのです。
平原の寺院
「長年このイベントに参加している人がこう書いている。『バーニングマンは儀式だ。ただ、神学的なコンテキストが取り除かれた儀式だ。教義の制約を受けなければ、儀式は直接体験に溢れた、豊かな器となり得る。」(リー・ギルモア『心の炎』)
ブラック・ロック・シティを訪れる参加者たちを挨拶で迎える砂塵の天使になりませんかという楽しいお誘いに始まり、このイベントの終わりを告げるテンプル・バーンまで、バーニング・マンは数々の儀式に溢れています。これらの儀式は魂の要求を物語っているのです。即ち、どこかある場所、ある時間、お互いに、そして自分たちより偉大な何かに属していたいという欲求です。たとえそれが永久には続かない、ほんの一瞬のことであったとしても。あらゆる時代を通じて、この感情を呼び覚ますために寺院というものが造られてきました。
私達の公共事業部(DPW)の作業員たちがブラック・ロックの砂漠を訪れると、まず最初に行うのはバーニングマンの正確な位置を確認することです。というのも、正にこの場所から街全体の測量が始まるからです。続いて金メッキを施された金属の杭が地面に打ち込まれます。この行為は何十年も繰り返し行われているうちに今や一つの儀式となりました。作業員一人一人がハンマーを手に取り、一回打ち込むごとに何グラムかのエネルギーが注ぎ込まれ、他のみんなの仕事と一つになっていくのです。ある意味、彼らの行為こそバーニングマンを造っているのだと言えます。
今年、私達は「黄金の犬釘」を記念する寺院を建設します。円を取り巻く円の中心にバーニングマンが聳えます。私達はこの空間を「へそ」の印を付けようと思います。これは私達の世界の臍を表す彫刻で、拠点であり、たまり場となるところです。バーニングマンの脊髄を貫いて、この軸はまっすぐ上に伸び、寺院の上遥か高いところに「黄金の犬釘」として姿を現すのです。参加する皆さんには、この寺院と寺院の壁を覆う高価な品々に貢献して頂ければと思っています。これらの捧げ物は私達の文化とブラック・ロック・シティが皆さんにとってどれだけ価値のあるものであるかを示す皆さんからの贈り物であると理解して頂ければと思います。
いつものことではありますが、私たちの今年のテーマに拘わらず、バーニングマンではいかなる人のいかなる芸術作品をも歓迎します。もしプラヤで炎の芸術を企画していたり、何か作品を展示したいとお考えでしたら、詳しくは「プラヤ・アートのガイドライン」をご覧下さい。
テーマ企画:ラリー・ハーヴィー
本文:ラリー・ハーヴィー
* * *
長く難しい文章ですが、僕自身は「遊び」という日本語が
元は「神を楽しませる」という意味であったことを思い出しました。
神を楽しませる目的であった音楽が今や娯楽となっています。
同じように英語の「play」も歴史的なコンテクストでは
「聖典劇」「典礼劇」でしたが、今や普通のお芝居から遊び、
という意味に変わってきていますね。
徹底的に遊ぶということが、その昂揚感が、
聖なる物を再び見出すきっかけになれば、という趣旨のようです。
さて、今年のミュージシャンやDJのエントリーは
何とセルフエントリー方式、つまり、自分でカレンダーの空いている
好きな時間にエントリーするという早い者勝ち方式です。@@
https://docs.google.com/spreadsheets/d/1fVvAOEsZMpxe6SqvgsSqZ_MMfeWxWirnUPOoSi0btbU/edit#gid=1613006266
というわけで、ヒロシも早速エントリーしてますよ。
JSTで10/27(金)23:00と20/29(日)13:00の2回です。
そう! 10/27は僕のSLミュージシャンデビューの日なので
デビュー10周年記念は Burn2 のセンターキャンプで祝います。
是非みなさん遊びに来てね!
今年のBurn2の公式HPはこちらです。
是非チェックしてみて下さい。
http://www.burn2.org
最後に、日本のSLミュージシャン & DJ の皆さんに業務連絡。
10/27の僕の時間の前後、まだ空いているようですので、
よろしかったら是非数時間ぶち抜きで日本人の時間にしませんか?
個別にお声かけさせて戴くかもですので、
その時はよろしくお願いします。^^
No response to “【イベント】今年のBurn2は10/21〜10/29に開催!”
Leave a Reply