2018年12月1日土曜日

【RL】SF 三昧

僕が SF 好きのことはこの日記を読んでいる人はご存じのことと思う。
折に触れて MC の中で SF の話をするし、
「流れよわが涙、と警官は言った」や「ファウンデーション」
なんてタイトルの曲もあるし、
「セカンドライフのテーマ(Rez Yourself)」にしたところで、
どことなく映画の「トロン」や小説の「スノウ・クラッシュ」、
或いは「ニューロマンサー」に触発されているところがあろう。
そんな僕であるが、去年から今年にかけては
動画サイトで魅力的な作品が次々の配信されていて
まぁ、配信が開始される度に見ている感じです。
ざっと上げて見るとこんな感じでしょうか。

Amazon プライム・オリジナル
高い城の男(フィリップ・K・ディック原作)
フィリップ・K・ディックのエレクトリック・ドリーム

HBO(Amazon プライムで配信)
ウェスト・ワールド(マイケル・クライトン原作)

Hulu
ハンドメイズ・テイル〜侍女の物語(マーガレット・アトウッド原作)

「高い城の男」、「ウェスト・ワールド」、「ハンドメイズ・テイル」
それぞれシーズン2まで配信されていますが、
何れも原作のその先に行っているようでおもしろい。
それもそのはずか、と思うのが
「高い城の男」はリドリー・スコット、
「ウェスト・ワールド」はJ・J・エイブラムズという
何れも SF 映画の巨匠と言える監督が制作に携わっているし、
「ウェスト・ワールド」に至っては、
脚本がジョナサン・ノーラン&リサ・ジョイという
これまた壮大なスケールの SF 映画に携わった
(「メメント」、「ダークナイト」、「インターステラ—」)
人たちが担当してるわけだし、
「ハンドメイズ・テイル」も原作者マーガレット・アトウッドが
やはり制作陣に名前を連ねている。
要するに何れも質の高いドラマに仕上がっていると言える。
そして、何れも、今だからこそ私たちに何かを問いかけ、
考えさせる作品であると言えるのだ。

というのは、例えば「ウェストワールド」、
元は1973年に公開された映画で、その中では、
ユル・ブリンナーが演じる何故だか異常を来して
人間を襲うようになったロボットがどこまでも執拗に追いかけて来る
一種のパニック映画、ホラー映画だった感がある。
(子供の時に見たが、あの不気味な感じは忘れられない。)
それが、新しいテレビシリーズでは、
生命科学技術で本当に人間そっくりの「ホスト」たちが
夢を見、自分でもものを考え、記憶も有するようになる。
生命科学技術が発達した今だからこそ
生命とは、人間とは、機械とは、そして生きるとは何かを
問いかける作品になっていて、先日の Burn2 のテーマにも通じる。
その意味では今年の Burn2 のテーマは僕にとっては
とてもタイムリーだったと言える。

また、「ハンドメイズ・テイル」については、
1990年に「侍女の物語」として公開された時には
よくあるディストピア SF の一つとしてしか見ていなかった。
音楽担当が坂本龍一だということで興味はあったのだが
結局は見ずに終わってしまったものだ。
それが、今このタイミング、LGBT ということが盛んに言われる今、
女として生きるとは、男として生きるとは、
そして自由とは何かといったことをより身近に問いかけて来る。
シーズン2の初めの方でゲイの男性教員が自殺し、
子供を抱えた女性同士の夫婦が自由を求めて出国しようとした折に
片方が妻とは認められずに取り残されるというエピソードが描かれる。
こういうことは今も世界のどこかで起こっているのではないか、
そんな風に考えさせられるドラマである。

ここまで何度か「考えさせる」という言葉を使ったが、
SF というのは単に「Science Fiction(空想科学小説)」ではない。
「Speculative Fiction(思弁的小説)」とするのが
現代流の解釈であろう。
だからこそ、僕にとっては SF 映画の最高傑作は
「2001年宇宙の旅」なのであり、あのような体験をさせられる
映画や小説を求めているのだ。
それは、人間とは何か、私たちはどこから来て
どこへ行こうとしているのか、
そしてその人類の歴史の中で、何故自分は今ここにいるのか、
そんな究極の問いにまつわるものだとも言える。

実はこのことと多くの SF の名作が 1950年代に書かれていることと
何か関係があるだろうと僕は考えている。
1950年代と言えば、第二次世界大戦が終わった直後の時期で、
1949年に巨大な共産主義国家が登場し、
1950年には早くも朝鮮戦争が始まり、
そして1954年にはビキニ環礁での水爆実験が行われ、
1957年にはソ連が ICBM を完成させ、人工衛星スプートニクの
打ち上げに成功させ、アメリカを恐怖に陥れている。
そんな時代背景に書かれたのが次のような名作たちだ。

ロバート・A・ハインライン
未来史シリーズ 1939年〜1962年
人形つかい 1951年
夏への扉 1957年
メトセラの子ら 1958年
宇宙の戦士 1959年(ガンダムの元になったと言われる)

アーサー・C・クラーク
前哨 1951年(「2001年宇宙の旅」の原案と言われる)
幼年期の終り 1953年
都市と星 1956年
海底牧場 1957年

アイザック・アシモフ
われはロボット 1950年
ファウンデーション 1951年
ファウンデーションと帝国 1952年
第二ファウンデーション 1953年
鋼鉄都市 1954年

そして、フィリップ・K・ディックの有名な
「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」、
「高い城の男」や「パーマー・エルドリッチの三つの聖痕」のような
長編の名作は何れも1960年代の作品だが、
今回「エレクトリック・ドリーム」に収録されたものを含めた
短編の名作はやはり1950年代に多作されている。

地図にない町 1953年
ペイチェック 1953年(映画化作品)
吊されたよそ者 1953年
ゴールデン・マン 1954年(映画化名「NEXT -ネクスト-」)
アジャストメント 1954年(映画化作品)
CM地獄 1954年
父さんもどき 1954年
展示品 1954年
自動工場 1955年
フード・メーカー 1955年
フォスター、おまえはもう死んでいるぞ 1955年
マイノリティ・リポート 1956年(映画化作品)

そして、時を同じくして、カウンセリングの古典的著作である
ロロ・メイの『失われし自己をもとめて』が1953年に出版されている。
この本は次のような衝撃的な出だしではじまる。
「不安の時代に生きていて幸いなことの一つは、
 自分自身についての認識を強いられることである。」
最近では(というよりもう随分前から)、最も人気のある SF 作家は
ハインラインでもアシモフでもA・C・クラークでもなく
(この3人は僕の子供の頃のベストだったように思う)
フィリップ・K・ディックなのだそうである。
彼の描く不条理な世界に魅せられる人が多いことや
Speculative Fiction としての SF ドラマが
これだけ立て続けに作られているのは
現代もまた不安の時代なのだろうと感じさせられる。
ただ親や学校や社会が用意したレールに漫然と乗るのでなく
「自分とは何か、自由とは何か」を自ら考え、
自らつかみ取らなければならない時代なのだろうと。

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