先日、3月21日のヨコハマ・キネン・オーケストラのコンサートでは
交響曲に挑戦する、と書きましたけれども、
実は交響曲というのは僕が最も好きな音楽の表現形態の一つです。
声を伴わない、器楽曲の究極の形態と言われていて、
その表現には、幼い頃ベートーヴェンと出会って以来
ずっと魅せられてきました。
一体、何がそんなに魅力なんでしょうね。
日本語で「交響曲」と言っていますが、
これは英語またはその他のヨーロッパ語の「symphony」を訳したもの。
日本語でも「シンフォニー」とそのまま言うことがありますが、
もとの意味は「共に(syn-)」「響く(phone)」ということ。
「共に」というのが何と何がか、というと、
これはつまり木管楽器、金管楽器、弦楽器のことを指しています。
器楽曲の形態としては、ピアノやバイオリンの独奏から始まって
複数の楽器を合わせていく合奏がありますが、
その合奏も、同じ系統の楽器によるものが多いですね。
弦楽四重奏や五重奏、それから木管五重奏、
日本語で「ブラスバンド」と言いますが、
本来の「brass band」は文字通り「金管バンド」です。
こうした、演奏方法も音色も異なる楽器群が
共にそれぞれの個性を生かしながら全体として豊かな響きを得る、
それが「シンフォニー」の発想なのです。
そこで、これら3つの楽器群のバランスがちゃんと考えられていて
木管で使用する楽器の数を基準に金管楽器の種類や数も決まり
2つの管楽器群とバランスをとるように弦楽器の数も
決まってくるのです。
どらかの楽器群が突出するのではない、
このバランスをどう表現するかが作曲家の腕の見せ所、というわけです。
交響曲をよく聴いていると(そして勿論楽譜をよく見ていると)、
異なる楽器群が同じフレーズを、あたかも会話をしているかのように
行き来していることがあります。
そう、ある時は相手が話すのを待って聞いているようで
ある時は相槌を打ち、ある時は自らが滔々と話し、
そして、最後のコーダでは、皆が一つになって響き合う。。。
ね、これって、人間の営みそのもののようではないですか。
そこには声は介在せず、所謂言語は存在しないのだけれど、
音そのものが私たちの生きている状態を表現しているようで
それが言語以前の感覚として、ダイレクトに、
私たちの心を振るわし、感動させるのです。
そう、僕が感じているこうした内なる経験を
会場にいらした皆さんと共にできれば。。。
3月21日は是非楽しみにしていて下さいね。w
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