2024年3月31日日曜日

【レビュー記事】 小澤征爾さんを聴く〜その2・サイトウ・キネンのブラームス『交響曲第1番』

正直ブラームスは苦手である。
大体出会いがよくなかった。
中学の時の卒業式かなにかの式典の時に
例のベートーヴェンの『第九』の「歓喜に寄す」に似た
あのメロディーが BGM として流れていたのだ。
それを聞いた僕は、「何このベートーヴェンのパチもんみたいな
なよなよしたメロディーは?
こんなの流すのだったら『第九』を流せばいいのに」っと思ったのだ。
それがブラームスの『交響曲第1番』の最終楽章だと知ったのは
それからずっと後のことのようだったように思う。

後に、吉田秀和さんの『LP 300 選』に従って、
交響曲の『第4番』と『第2番』を聴いたのだが
あまりピンと来なかったように思う。
『第4番』に至っては、多分これを聴く前にその第3楽章を
イエスのリック・ウェイクマンが『こわれもの』の中で演っている
そちらの方が印象に残っているほどだ。w
第一、ヴァーグナーより20歳も年下なのに、
つまり、世界的に影響を与えた楽劇『トリスタンとイゾルデ』を
聴いているはずなのに、寧ろベートーヴェンよりも古典的な
古い感じのする響きでではないか。
因みに、ブラームスが40年掛かって仕上げたという
『交響曲第1番』が完成、初演されたのは1976年で、
この年は、ヴァーグナーの『ニーベルンクの指輪』四部作の
最後の作品『神々の黄昏』が初演された年である。
彼より9歳年上のブルックナーがヴァーグナーの響きを取り入れて
ベートーヴェンの交響曲を更に拡大したのと対照的だ。

そう、僕は管弦楽法を勉強した時に、
例のリムスキー=コルサコフの教科書も読んだが、
その「まえがき」で彼はこう書いている。
(以下、英語版からのヒロシによる自由訳)

「古典派の作曲家、そして近代の作曲家でも、想像力とパワーを駆使してオーケストレーションを行う能力に欠けている作曲家は一人や二人ではありません。音の色に関する秘密は長いことこうした作曲家たちの創造力を越えたところにあったのです。それでは、こうした作曲家たちは管弦楽法を知らなかったということになるのでしょうか? いいえ、彼らの中の多くは、単に色彩的な表現をする作曲家たちよりは寧ろより多くの管弦楽法の知識を身に付けていました。或いは、ブラームスは管弦楽法を知らなかったのでしょうか? そんなことは勿論ありませんが、にも拘わらず、彼の作品のどこにも、鮮やかな色調や絵画的イマジネーションを呼び起こすような表現を見つけることはできません。実際、ブラームスの音楽的思考は音の色の面には向けられなかったのです。彼の心は色彩的表現を必要としなかったのです。」

そんなブラームスなのであるが、
少し前に「レコード芸術」か何かの記事に出ていたのだが、
最近は「交響曲」の読者による人気投票を行うと、
ダントツ1位となるのは、かつてはベートーヴェンの『第5番』
だったのが、今はブラームスの『第1番』なのだそうだ。
悲壮感漂う重たい出だしに始まりつつ、最後は光と希望を感じさせ
力強く終わるのが人気の秘密らしいが、
ベートーヴェンの『第5番』だってそうではないか。
ただ、僕にしてもこの曲で最も印象的なのは
その第1楽章のティンパニの4ツ打ちに支えられた出だしと
第4楽章のエンディングのところはカッコイイと思うのだ。
そんなこともあって、ここまで散々書いて来たが、
実はこの出だしを真似て2011年に「Return to the Earth」
という曲を発表している。w


さて、前置きが長くなったけれども、
小澤征爾さん率いるサイトウ・キネン・オーケストラが
1987年の最初のヨーロッパ遠征の時に演奏したのが
このブラームスの『第1番』なのであって、
その時の遠征の模様はコンサートの舞台裏を含めて
NHK で放送されたので記憶されている人も多いことと思う。
僕もこの番組で演奏風景を見てスゲーと思ったものである。
何とも分厚く、熱い響きを奏でる弦楽器群が凄い。
幸い、この番組を YouTube にアップしてくれている人がいるので
ご存じない方はご覧になられるとよいと思う。


なので、サイトウ・キネンの CD となると
やはりブラームスの『第1番」は聴いておきたい。

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1990年の録音と言うから、最初のヨーロッパ遠征から3年後で
暑くて熱いストリングスは健在だが、テレビで観たものよりは
ずっと落ち着いた感じの響きではないかと思う。
まぁ、小澤さんが振ってる絵があるのとないので
こちらの聴き方が影響しているのかもしれないけれども。w

ブラームスの『第1番』の人気に火を付けたのは、
ミュンシュがパリ管を率いて1968年に録れたEMI 盤ではないか、
と僕は思っている。
何を隠そう、僕が『第1番』の CD を買ったのはこれが最初で、
その色彩的表現に驚いたものだ。
これがブラームス? と。
第4楽章なんかどんどんアッチェランドして
否応もなく盛り上がって感動するのだ。

ミュンシュの弟子でもある小澤さんの演奏は
もっとどっしりしていて別の行き方だけれども
そもそもウィーンのブラームス演奏がどういうものか
僕にはわからない。
ただ、上で紹介した NHK の番組ではウィーンとベルリンの
観客の感想に「解釈の違い」について触れている人たちがいるのが
興味深いと言える。

「解釈」とは何か?
これは、バーンスタインが Young People's Concerts の5回目
「What is Classical Music?」で触れているのが参考になる。
即ち、所謂「クラシック」とジャズやロック、ポップスの違いは
クラシックは楽譜通りに演奏することが期待されるということだ。
しかし楽譜通りと言っても、楽譜に全てが書いてあるわけではない。
僕等はベートーヴェンが指揮した『第九』がどんな響きだったか、
バッハが自ら演奏したオルガン曲がどんな響きだったか
録音が残っていない以上正確には知り得ないのである。
従って、楽譜には書いてない細かいテンポやデュナーミク、
各楽器のアーティキュレーション、楽器間の音量バランス、
こうしたものは全て演奏家に委ねられているのだ。
そう、楽譜という紙に書かれている情報を
具体的な音として現実のものにすること、それが「解釈」なのだ。

上に紹介した NHK の番組の中で、小澤さんと秋山さんが
コンマスの安芸晶子さんと弦の弓使いの確認をするシーンがある。
安芸さんがバイオリンを弾くと、小澤さんも秋山さんも
それを真似つつ、そうそう、そうだった、と相槌を打つのだ。
してみると、このディスクにも聞かれる
サイトウ・キネンのあの分厚い弦の響きというのは
小澤さんがそういう音作りをしているというよりも、
齋藤秀雄さんが示した弓使いの再現から来ているのではなかろうか。
そう、このオーケストラはあくまでも「サイトウ・キネン」
なのである。
齋藤秀雄さんは指揮法の先生として有名だけれども、
ご本人はチェロ奏者であったから
弦楽器の弓使いについては明確なヴィジョンがあったに違いない。

だからそう、それはウィーンの伝統とは異なるかもしれないが、
やはり素晴らしいブラームスなのだ。
2010年3月の「グラモフォン」の記事、
世界のオーケストラベスト20で、このオーケストラが
19位にランキングしているのはその演奏の素晴らしさが
世界的にも認められていることの証左に他ならない、

1987年に初めてこのオケのことを知った時に、
何故そのヨーロッパデビューがブラームスなのか
不思議に思ったことがある。
もしかすると『第1番』は小澤さんを含めた
サイトウ・キネンのメンバーにとって思い出のある曲なのか、とも
小澤さんが弟子入りしたいと感じたミュンシュの演奏を
初めて観た時に演奏していたのがブラームスだったからか、とも
僕は想像するのだが、何れにしても小澤さんにとっては
特別な曲だったのかもしれない。

[2024.04.14 追記]
「何故ヨーロッパデビューがブラームスなのか」について、
その後読んだ村上春樹さんとの対談集
『小澤征爾さんと、音楽について話をする』の中で
そのことが触れられていたので、ご参考までここに引用しておく。

「それはね、斎藤先生の味が出るのはやはりブラームスだって、僕らは思ったんです。……(中略)……みんなにも聞いて、それで決めたと思うんだけど……。斎藤先生の 考える『しゃべる弦楽器』には、ベートーヴェンよりもブラームスの方が向いているんじゃないかと。 エスプレシーヴォの強い、つまり表情豊かな弦楽器には、 ブラームスが向いているだろうということです。で、とにかくまずブラームスを全部やろうよということで始めたのが、ヨーロッパの旅行だったんです。」

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