前回書いた通り、アイヴスの「答えのない質問」は哲学的である。
ところで、この「答えのない質問」という日本語訳であるが、
他に「答えられない質問」という訳もある。
英語のタイトルは "The Unanswered Question" であるが、
この英語の含みは「まだ答えられていない質問」であり、
しかもそこに定冠詞 "the" が付いているので正確には
「まだ答えられていないあの質問」、そう、
何度も繰り返されたあの質問という意味なのである。
それが人間の存在に関わる質問、
哲学では問うてはいけないとされるあの質問のことなのだ。
しかし、バーンスタインは、これを音楽に関する質問と考える。
このアイヴスの「答えのない質問」が発表されたのは1908年だが、
同じ年、海を渡ったオーストリアのウィーンで
シェーンベルクが十二音技法のきっかけとなる無調の
「弦楽四重奏曲第2番嬰ヘ短調作品10」を発表する。
そして翌1909年の「3つのピアノ曲作品11」で
完全に十二音技法の世界を確立していくのである。
そう。僕等は無調というといつもシェーンベルクの
十二音技法を思い出すのだ。
ヴァーグナーが調整が壊れるギリギリまで半音階を突き詰めた
楽劇『トリスタンとイゾルデ』の音楽、
それを耳にしたドビュッシーは「ヴァーグナーの先」を目指して
調性感に乏しい、ふわふわと浮遊するような音楽を書いたのだった。
しかし、そのドビュッシーですら、そしてストラヴィンスキーですら
まだ調性の枠の中で音楽を書いているのである。
壊れかかった調性音楽、その先はどこに向かうのか?
シェーンベルクの答えは十二音技法だったが、
アイヴスは三和音を奏で続ける、ロマン派的な美しい弦と
調性感のないトランペットや木管楽器群で
「音楽はこれからどこへ向かうのか」を問うたと
バーンスタインは見るのである。
そしてその答えを探す旅がバーンスタインがハーバードで行った
全6回のノートン講義「答えのない質問」なのである。
この講義の内容は次の通りだ。
Lecture I. Musical Phonology「音楽に於ける音韻論」
Lecture II. Musical Syntax「音楽に於ける統語論」
Lecture III. Musical Semantics「音楽に於ける意味論」
Lecture IV. The Delights and Dangers of Ambiguity「曖昧さの持つ楽しさと危険性」
Lecture V. The Twentieth Century Crisis「20世紀の危機」
Lecture VI. The Poetry of Earth「大地の詩(うた)」
最初の3回のタイトルをご覧頂ければわかるように、
音韻論、統語論、意味論というのは言語学の用語だ。
そう、バーンスタインは音楽を語るのに言語学の用語を用いて
言語学との対比、類推で語るのだ。
これがおもしろい。
何と言っても、第2回の統語論ではチョムスキーの生成文法が
飛び出して来たのには参った。
というのも、僕はちょうど昨年から盛り上がって来た
生成 AI に関連して、チョムスキーの生成文法を学び直しているからだ。
何故生成 AI が出て来てから機械翻訳の質が格段に上がったか、
それは結局のところ、生成 AI は生成文法の考え方に
基づいているからだと僕は考えるのだが、
この話をしだすとまた長くなるので今日はこの辺で。
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