2007年8月15日水曜日

メタバース、SF、そして人間の想像力

セカンドライフが盛んに話題に上るようになるのと同時に急速に広まってきている言葉があります。「メタバース」です。やたらと、これからはメタバースだメタバースだ、と言われるようになってきたのはいいのですが、そもそもメタバースとはどういう意味なのか。仮想現実の3D空間という意味で用いられているようですが、もともとどういう英語なのか。更に、セカンドライフの関連で「メタバーズ(Metabirds)」という会社もあるので、話はますますややこしくなります。

「メタバース(Metaverse)」はもともとニール・スティーブンスンが1992年に発表したSF『スノウ・クラッシュ』で導入した概念、言葉で、セカンドライフがそうであるように、アバターを通じて仮想空間の中で他のアバターと面と向かって会話し、社会的、経済的生活を、あたかも現実生活と同じように、更には現実生活で生ずる様々な制約から離れて活動できるような仮想空間のことを言うようですね。現実世界の「ユニバース(universe)」に対して「メタな」つまり、コンピュータ世界に転換された「宇宙」という意味で「metaverse」となったのでしょう。お恥ずかしながら、私自身このSFは読んでいないのですが、ここで提唱されたメタバースの概念の殆どが実現しているのがセカンドライフと言えそうで、それがセカンドライフと共にこの言葉が普及し始めた理由でもあるのでしょう。(原作はハヤカワSF文庫から出ていましたが、残念ながら現在は品切れのようです。)

しかし、それにしても、1968年のフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』、その約10年後にこれを映画化した「ブレードランナー」、1982年のディズニー映画「トロン」、1984年のウィリアム・ギブスンによる『ニューロマンサー』、そして1992年のニール・スティーブンスンの『スノウ・クラッシュ』と、ほぼ10年単位で発表されてきた影響力のあるSF作品が描いてきた世界が、とうとう現実のものとなってきたというのは感慨深いものがあるのと同時に、近年ヒットした映画「マトリックス」なんかが急に色褪せて見えてしまう。今ここに挙げたような作品群の方が余程予言的に思えます。(正直言うと、『ニューロマンサー』は以前、最初に読んだ時はよくわからなかったのだ。今読み返すと「グリッド」とか「マトリックス」とか、重要な概念は全てここから出ている。)

インターネットが普及して、人類はSFの世界に追い付いた、もうSFなんてつまらないと思ったけれども、とんでもない。人間の想像力というのは常に先に先に新しいものを生み出していくものなのですね。そしてその想像の世界を実現していこうとするのもまた人間。人間の想像力って素晴らしいですね。

そんなわけで、久し振りにSFをみたくなった Hiroshi Kumaki であります。




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