今週のはじめに公開した僕のデビュー13周年記念ライブの動画
「終わりなき旅」ですが、
嬉しいことに再生回数が 50 回を越えました!
50 回なんてショボイ数字ですが、僕のチャンネルの
登録者数は今のところ 40 人で、100 人に満たないので、
この方々が全員観て頂いてやっと 40 回、
しかも、このような有名でもないミュージシャンのライブ映像を
1時間も観てくれる人なんてとっても限られているわけですよ。
なので、再生回数 52 という数字にも
平均視聴時間 14:58 という数字にも
売れないミュージシャン・ヒロシとしては
ありがとーーーぉ!;; と
涙が出る程嬉しいことなのであります。^^;
ところで、さて、このライブには、
僕がスペイン語とドイツ語でナレーションしている部分があります。
スペイン語は3曲目の「おお、月よ」で聞こえますが、
これはスペインの詩人フェデリコ・ガルシア・ロルカの
『血の婚礼』という戯曲から、第3幕のはじめの方で、
老婆が月を見上げながら語るシーンから。
英語の字幕を付けてありますが、ここはこんなことを言ってます。
追っ手が迫ったのに 月が隠れた。
でも二人は ここから動くまい。
川と木々のささめきとが相まって
おどろしい叫喚(さけび)をかき消すだろう。
ここで起こるんだ 今すぐに。
あたしは もう待ちくたびれた。
棺(ひつぎ)のふたは開けられ 白いシーツが
寝室の床で 待ちうけている
喉びこを切られた 重い体を。
小鳥よ目ざめるな そして風よ
二人の死の呻(うめ)きをスカートに包み
暗き梢(こずえ)をふき渡れ さもなくば
呻きをぬかるみに埋めるのだ
月よ、おお月よ!
(牛島信明訳)
そして、ドイツ語は4曲目と8曲目、
何れも「あこがれの矢」と題された曲で聞こえるのですが、
これはフリードリッヒ・ニーチェの
『ツァラトゥストラかく語りき』からの引用なのです。

以前どこかでも書いたことがあると思いますが、
僕は映画『2001年宇宙の旅』の原作は
アーサー・C・クラークの同名の小説ではなくて、
実はニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』だと思ってます。
というのも、僕は子供の頃、映画を観たすぐあとに
アーサー・C・クラークの小説を読んだのですが、
子供ながらに何となく後付けというかこじつけというか、
そういうものを感じたのです。
それが、大人になって、ニーチェのこの有名な本を手にした時、
これって『2001年』じゃん! と感じて
あまりに面白くて一気に読み終えてしまったくらいです。
『ツァラトゥストラ』の中で繰り返し「弓」と「矢」が出て来ます。
ここで思い出して下さい。
『2001年』に出て来る宇宙船ディスカバリー号は
「矢」の形をしていませんでしたか?
そして、その船の船長は「ボウマン」=「弓の人」という
名前ではなかったでしょうか?
そしてニーチェの本の中で繰り返される
「人間は克服されなければならない或物なのだ」という表現は
あの不思議な石板に触れてサルがヒトに、
そしてヒトであるボウマンが更に別な何かに進化したことを
思い出させはしないでしょうか?
そんなわけで太陽系の果てへ、そして更には銀河の果てへと
向かって宇宙船が飛んでいく様子を
僕は「あこがれの矢」というタイトルの元に表現したのです。
パート1とパート2それぞれで読まれているドイツ語は
こんな感じの内容です。(氷上英廣訳)
(パート1)
わたしはあなたがたに超人を教えよう。人間は克服されなければならない或物なのだ。
人間は、動物と超人とのあいだに張りわたされた一本の綱なのだ、――深淵のうえにかかる綱なのだ。
渡るのも危険であり、途中にあるのも危険であり、ふりかえるのも危険であり、身震いして足をとめるのも危険である。
人間における偉大なところ、それはかれが橋であって、自己目的ではないということだ。人間において愛さるべきところ、それは、かれが移りゆきであり、没落であるということである。
わたしが愛するのは、没落する者として以外には生きるすべを知らない者たちである。かれらは、かなたへ移りゆく者たちであるからだ。
わたしが愛するのは大いなる軽蔑者たちである。なぜならかれらは大いなる尊敬者でもあり、かなたの岸へのあこがれの矢であるからだ。
わたしが愛するのは、おのれの没落し、犠牲となる理由を、星空のかなたに求めることをしないで、いつか大地が超人のものとなるように大地に身を捧げる人たちである。
(パート2)
わたしはあなたがたに超人を教えよう。人間は克服されなければならない或物なのだ。
――わたし自身とわたしの最も深く隠れた意志を、すこしもためらわず迎えるように。――おのれの矢をはげしく恋い慕う弓となり、おのれの星をはげしく恋い慕う矢となるように。――
――その星は、おのれの正午をいまはためらわず迎える星。燃えかがやき、射ぬかれた星、 壊する太陽の矢に亡ぼされて恍惚となる星。
――さらに太陽そのもの、そして勝利をおさめつつ、ためらわず破壊する、きびしく仮借ない太陽の意志!
僕はかつてニーチェのこうした表現に興奮したものです。
そしてその興奮がそのままライブで演奏した音楽になった、
というわけなのです。
そんな哲学的内容も秘めた僕のライブ映像、
もしまだご覧になっていらっしゃらないようでしたら、
是非観てみて下さい。
そして、「高評価」ボタンを押して下さったり、
チャンネル登録して頂いたりする、ヒロシは大変喜びます。w
どうぞよろしくお願いします。






No response to “ヒロシの動画から~ニーチェについて”
Leave a Reply