2026年3月18日水曜日

【レビュー】 熊本マリさんの『ゴルトベルク変奏曲』~その1

少し前、バッハの曲の CD を聴きたくなって
CD ショップを訪れたのだけれど、
お目当ての CD は見つからなくて、「やっぱりないかぁ」と
諦めて帰ろうとしたその時、目に飛び込んで来たタイトル――
『J.S. バッハ:ゴルトベルク変奏曲/熊本マリ』
うぉぉぉ! 熊本マリさんの『ゴルトベルク』ではないか!

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熊本マリさんと出会ったのはリアルではなく、
2022年にセカンドライフ内で行われたイベント
「セカフェス5」の中でのことだった。
マリさんは――以下、マリさんと呼ばせて戴く。
馴れ馴れしいようで失礼な感じもするけれど、
熊本さんと呼ぶのもどうも違和感があって。。。
自分が熊木だからかもしれないが――
勿論生でピアノを弾いてくれたのだけれど、
僕個人としては、マリさんが話してくれた
グレン・グールドとの出会いと、「バッハを弾いてもらえば
その人がどんなピアニストかわかります」と仰っていたのが
とても印象的で、以来、マリさんのバッハを聴いてみたいと
常々思いながら機会を逃してしまっていたのだ。
昨年10月の夜会にお邪魔した時も CD をいろいろ売ってたけれど、
あれこれ迷ううちに結局買いそびれてしまっていた。

それが、バッハの CD を買いに来た自分の目の前に今、
マリさんが弾いた『ゴルトベルク』の CD が置いてあるのだ。
本当は別の CD を買いに来たはずだけど、お目当てのそれはなくて
マリさんの CD があるということは、
今日はこの CD を買うためにここに来たのだ、
これはもう買うしかないではないか、と殆ど衝動買い。
家に帰って早速聴いたらとても素晴らしい演奏で――。

と、ここで詳しい感想を書く前に、
バッハの『ゴルトベルク変奏曲』がどういう曲であるのかを
あまりクラシックを聴かないであろう友人たちのために
できるだけ簡単に書いておこうと思う。
いや、この曲については書きたいことがたくさんあり過ぎて
なかなか本題に入れそうにない気が既にしているのだけれど。。。

『ゴルトベルク変奏曲』というのは、J・S・バッハが
1741年に出版した『クラヴィーア練習曲集第4巻』で、
バッハ自身が付けた曲名は
『2段鍵盤付蔵ヴィチェンバロのためのアリアと種々の変奏』
という長たらしいもので、
これが『ゴルトベルク変奏曲』と通称されるのは、
バッハが音楽の手ほどきをしたという
ヨハン・ゴットリープ・ゴルトベルクが、不眠症に悩む
ヘルマン・カール・フォン・カイザーリンク伯爵が眠れるように
この曲を演奏した、という逸話が伝わっているためだ。

曲の内容としては、冒頭にバッハが 1725年頃、
若き妻アンナ・マグダレーナのために書いた 32 小節の
明るくて愛らしいアリアを元にして、
そこから 30 の変奏が展開され、最後にまた
「アリア・ダ・カーポ」として、最初のアリアが戻って来る、
そんな構成になっている。

30 の変奏はその殆どが冒頭のアリアと同じ 32 小節で
――中にはより短い 16 小節のものもある――、
アリアと変奏曲を合わせた全体の曲数が 32 というのも
何となくバッハらしい数学的・神秘的宇宙観を感じさせる。
そして、これら 32 曲は何れも前半と後半に分かれていて、
つまり、 A - B という形をしていて、
いわゆる「二部形式」というものなのだが、
前半部分の最後の小節、後半部分の先頭と最後に
リピート記号があるので、A - A - B - B という形で
演奏することが期待されているものなのである。

が、ここでこのバッハの二部形式は実にトリッキーである、
ということを少し述べておきたい。
冒頭のアリアの A は――そして後に続く変奏曲の殆どが――
G のキー(ト長調)で始まるのだが、ここがバッハのすごいとこで
A が終わろうとする時、何とドミナント(属調)である
D のキー(ニ長調)に転調しているのだ。
元のキーのトニック(主調)に対してドミナントというのは
一番遠いところで響いている音なので緊張感が高まり、
トニックに戻りたいという気持ちにさせるものである。
実は、音楽のエンディングでジャジャーンと感動的に終わるのは
ドミナントで高められた緊張が、トニックに戻ることによって
とても大きなカタルシスが得られるからなのだ。

だから、本当はドミナントで終わってしまうと
ある種の不安感が残ってしまうのだが、
バッハのすごいところは G で始まった曲が
メロディが展開していくうちにどこかで D に転調していて
A の終わりは G のドミナントである D なのだけれども
D に転調しているので、D はドミナントでなく
トニックになってしまっていて、ある種の終わった感がある。
しかし、僕らの耳には G で始まった記憶があるものだから、
何か、どこか落ち着かない感じが残る。

そこでリピートである。
A の部分の冒頭は G なので、リピートすると
そうそう、この曲は G の曲だったよね、
と実に新鮮な感じの安心感が戻って来る。
しかし、A の部分はまた D に転調して不思議な感じで終わるのだ。
それが B の部分に入ると、あたかも D のキーの曲のふりをして
曲は再開するのだけれども、やはりメロディが展開していくなかで
いつしか G のキーに転調していて、
B の部分の最後はめでたく G のキーに帰って来て
そのエンディングに我々は非常な満足感を覚えるのである。
ところが、である。
ここで B の部分をリピートすると、再び不安な D に戻る。
そしてまたいろいろ展開して最後は G に戻ってまた満足する。

何故今ここで曲の形式とか転調の話をくどくどしているか、
それは、『ゴルトベルク』に収められた 32 曲全てに付いた
このリピート記号をどのように演奏するか、
律儀に全て A - A - B - B と繰り返して演奏するか
それともリピートをすっ飛ばして A - B と演奏するか、
或いは、A または B の部分の何れかだけを繰り返して、
A - A - B 或いは A - B - B のように演奏するかによって
曲全体の印象が全く変わってしまうからなのだ。

僕が『ゴルトベルク』を一番よく聴くのは
1955 年にグレン・グールドがピアノで録れたものと、
1970 年にカール・リヒターがチェンバロで録れたもので、
グールドは全曲1回ずつしか弾かずに約 38 分、
リヒターは最後のアリア・ダ・カーポ以外は全て2回ずつ弾いて
1時間19分となっている。
グールドのは当時「カイザーリンク伯はこの曲で眠ったが
グールドの演奏で我々は目を覚ます」と言われたほど
全体に速い印象を与えるけれども、
繰り返したとするとリヒターの演奏時間とほぼ同じになるわけで、
特段速いというわけではない。
にも拘わらず二人の演奏が与える曲の印象はとても異なっている。
(グールドについて言えば、更に 1981 年に録れたものは
 1955 年に弾いたものとは全く別の曲と言っていい。)

前置きが長くなってしまったけれども、
『ゴルトベルク変奏曲』にはこのような諸々があるわけで、
新しい人の演奏を聴く時は常に、どんなテンポで
どんな風に繰り返して、或いは繰り返さないで
演奏するのだろう? と興味津々なわけである。
そこでマリさんの演奏は――。

長くなり過ぎたので、本題はまたの機会に。。。m(_ _)m

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