2026年3月20日金曜日

【レビュー】 熊本マリさんの『ゴルトベルク変奏曲』~その2

音楽 CD というものは実際に聴く前に、お店で買ったあとすぐに
その楽しみは始まっている。
家に帰る電車に載ると早速パッケージを開けて
ライナーノーツなどをチェックするのである。
マリさんの『ゴルトベルク変奏曲』の場合は、
まず帯にこう書いてある。

「これはきわめて魅力的な、新鮮で華のあるバッハである
     ――磯山雅」

おー、磯山雅さんというのは有名なバッハ研究の大家である。
その大家をして「きわめて魅力的な、新鮮で華のあるバッハ」とは
一体どんな演奏なんだろう?
もうこの文章を読んだだけでワクワクしてしまうではないか。

そして、ライナーノーツの表紙を開いたところに
セカンドライフでマリさんが僕らに聞かせてくれた
グールドの言葉が書いてある。

「おなた以外、自分自身の才能と可能性を
 判断できるものはいない。自分自身を信じなさい。」

この言葉はマリさんが 1980 年、16歳の時に
カナダの友人のところに遊びに行った折に、
そうだ、カナダにはグレン・グールドがいる、
というので自分の滞在中にレッスンをしてほしいと
グールドに手紙を書いたのだそうだ。
ところが返事がないので、直接会いに行ったところ、
運良く会えたものの、グールドからは「今は話せないから
電話番号を教えて下さい、電話するから」と言われたとか。

実際、その日の夜にグールドの秘書の方から電話があって
上に書いたグールドからのメッセージを伝えられたのだそう。
結局レッスンはしてくれないわけで、当時はきっと
「なぁーんだ」とがっかりされたに違いない。
しかし、ライナーノーツには上の言葉に続けて
マリさんご本人の言葉が書かれている。

「今、考えると、私自身こうしてピアニストとしていられることも
 彼のこの言葉のおかげかもしれない。
 自然に感じたまま、二十八年間の自分とうもの全てを、
 音に表現できたと思う。」

うわー、もうこれは泣けるくらいワクワクしてくるではないか。
グールドは確か、自分はバッハ演奏の正統なるものを知らない、
といった内容のことを言ったはずだ。
バッハが書いたクラヴィーア曲の殆どには細かいテンポや
デュナーミクやアーティキュレーションの指定がない。
具体的にどのような音楽として曲を響かせるかは
演奏家次第であって、そう、演奏家によっては
全く別の曲ではないかと思えるほどのバリエーションがあるのだ。
実際、僕がバッハに取り憑かれたのも、一番最初に聴いた
『平均律クラヴィーア曲集』のいくつかの演奏に接して
全く驚いてしまったことがきっかけになっている。
殊にグールドが弾くものにはぶっ飛んでしまった。

グールドはバッハ演奏の無限の可能性を知っていて、
僕らは彼が遺したバッハの数々の名曲を楽しむことができるけれど
今僕らが CD で聴く以外のバリエーションもあったに違いない、
そう思わせるものがグールドにはある。
或いは、彼自身、どのように演奏するのが最もよいのか
常に探究を続けていたかもしれない。
そんな探究の成果の一つを僕らは彼の 1955 年と 1981 年の
2回に録音された『ゴルトベルク変奏曲』に垣間聴くのだ。

そんなグールドが、マリさんの演奏を聴いて
ここがいいとかあそこはこうした方がいいとか
批評するはずはそもそもないのだった。
「自分自身を信じなさい――自分もそうしてきたから」
ということなのだろうと想像する。

更にライナーノーツをめくるとトータルの演奏時間が出ている。
53分14秒――グールドの 1955 年録音より 15 分ほど長いけれど
全曲を2回繰り返しているわけでないことはわかる。
さぁ、どんな演奏なのだろう?

録音は 1993 年だからマリさん 28 歳。
グールドが『ゴルトベルク』でデビューしたのが 23 歳。
グールドが初の CBS のレコーディングでこの曲を選んだ時
プロデューサーからは猛反対されたようだ。
バッハ晩年のこの曲をそんなに若いピアニストが弾くのは。。。
ということではないだろうか。
そのグールドに遅れること5年、マリさんだってまだ20代、
やはり同様の反対があったのではないだろうか?
でも、グールドの言葉を受け取ってから 13 年、
きっとこの CD は満を持しての、グールドへの返事ではないか?
そんな風に思えてきてますますワクワク感が高まってくる。
さぁ、どんな演奏なのだろう?

そんな風に妄想しながら家に着くと早速聴く。
! 確かに、磯山さんの言う通り「新鮮で華のある演奏」
もうその言葉に尽きるように思われる。
何と言ってもピアノの響きが美しいのだ。
この音作りには、録音会場となっているリリア音楽ホールの残響が
多分に関係している。
ちょうど、リヒテルの『平均律クラヴィーア曲集』が
クレスハイム宮の残響によって独特な美しさを帯びているように。

最初のアリアのテンポは
グールドの 1995 年版より少し遅いくらいだが、
全体に明るい感じのする演奏。
そして私の注目する 11 小節目冒頭のアルペッジョは
やはりグールド同様上から入っていて素晴らしい。
ピアノのアルペッジョは普通下から上に向かって弾くもので
リヒターも下から上に向かって弾いているが、
グールド 1955 年の録音では上から下に向かって弾いているのだ。
ピアノで弾く時、この効果はとても新鮮な響きで素晴らしい。
マリさんもここでグールドのやり方を踏襲しているわけで、
それがやはり曲に華を添えているように感じられる。

(尚、グールドは 1981 年録音の方では、
 最後のアリア・ダ・カーポのアルペッジョは下から上に
 向かって弾いていて、冒頭の曲と弾き方を変えているのが
 自分には実に興味深い。)

さて、その冒頭のアリアをマリさんは丁寧に
A パートも B パートも2回ずつ、楽譜通りに演奏する。
恰も、これが原曲ですよ、この曲がどう変化していくか
楽しみにしててね、と聴く人にたっぷりと味合わせてくれている
そんな感じのするアリアなのだ。

そして2曲目からは変幻自在である。
全体にはグールドの 1955 年版同様 A パートも B パートも
繰り返しなしの1回ずつでどんどん次の変奏に移っていくのだが、

a) 第3、第4,第6、第24変奏は A, B ともに2回ずつ
b) 第9、第10、第18、第19、第21、第22、
  そして最後の第30変奏は A が2回、B が1回
c) 第16変奏は A が1回、B が2回

となっていて、繰り返す時のパターンとしては
A を2回弾いて B を1回弾く、というものが多い。
これはやはり全体として、A にはテーマの感じがあって
2回演奏することでそのテーマを十分楽しみつつ
B は展開しながら落ち着く感じがあるので、
敢えて繰り返さずに終わるのがよいように僕にも感じられる。
グールドも 1981 年の録音では第3、第4、第6、第9、第10、
第12、第15、第18、第21、第22、第24、第27、第30の
13の変奏でこの方式を取っている。
このグールドの繰り返しと重複があったりなかったりするのは
やはりマリさん独自の解釈に基づくということなのだろう。

その意味では、第16変奏だけが A を1回、B を2回という
反対のパターンになっていることだ。
これはグールドの演奏にもない。
実はこの第16変奏には "Overture", 即ち「序曲」と見出しがあって
フランス風の付点の付いた荘厳な始まり方をするのである。
フランス風の序曲と言えば、お馴染み「G 線上のアリア」を含む
通称『管弦楽組曲』を思い出して頂ければよいけれども、
バッハの序曲は大体荘厳または雄大にゆっくりと始まり、
テーマを演奏したあと、中間部はテンポが速くなって
細かく刻む音符たちがどんどん展開していって
最後にまたテーマに戻ってきて終わる、というのが典型である。
この第16変奏の A パートは正にその荘厳なテーマに当たり、
B パートは展開部に当たるので、この曲に限っては、
A パートを楽譜通りに2回繰り返すのはイマイチである。
僕個人としては、A - B - B - A' のような形で
B を2回演奏したあと A のテーマに戻ってきてほしいところだが、
前回書いたように A の最後は D のキーに転調してしまっているので
『管弦楽組曲』で得られるような満足感をもって終止できない。
G のキーで終わるには A の8小節目冒頭あたりで
和音を叩いて終わらないといけないけれど、
バッハはそのようには書いていない。
A を1回、B を2回というのはマリさんなりの帰結なのだろうと
僕は勝手に想像する。

こうして表題通り様々な変奏が展開されて最後の
アリア・ダ・カーポが来る。
冒頭のアリアで A も B も2回ずつ繰り返したマリさんだが、
この最後のアリアではどちらも繰り返さない。
その代わり、というわけでもないのだろうが、
テンポを極めて遅くとっている。
グールド 1981 年の、もう殆どメロディとして
成り立たなるくらい遅い、あの演奏ほど遅くはないけれど、
1955 年のグールドより、1970 年のリヒターより
ずっとゆっくりとしたテンポで弾かれるのである。
これは、このアリアを慈しみ、別れを惜しんでいるような
そんな情感に溢れたしっとりとした演奏である。
家を出て長い旅をして、再び家に帰ってきてふーっと一息ついて
覚える安堵感、それに似たものを、この演奏を聴き終わった時
僕らは覚え、とても幸せな気持ちになるのである。
そう、そんな幸せな感じに満ちているというのが
この演奏の素晴らしさだと思う。
磯山さんが「きわめて魅力的な、新鮮で華のあるバッハ」と
呼んだのはそういうことなのだろうと納得する。

こうして僕は、セカンドライフで初めてお会いした時から
聴いてみたいと思っていたマリさんのバッハを
聴くことができたわけで、次にはやはり、マリさんと言えば、
幼い頃からスペインにいらした方で、
マドリード音楽院で学ばれた方でもあり、
スペインの作曲家フェデリコ・モンポウの
ピアノ曲全曲録音を世界初で完成された方なので、
そのモンポウを聴いてみたいし、
一連のスペインものを聴いてみたい。
モンポウを聴いてみたいし、一連のスペインものを聴いてみたい。

ところで、スペインと言えば、「変奏曲」という形式は、
実はスペインで発達したものなのである。
スペインでは変奏曲のことを「ディフェレンシアス」と呼んでいて
中でも有名なのは 16 世紀のスペインの作曲家
アントニオ・デ・カベソンが書いた
「『騎士の歌』によるディフェレンシアス」という
5曲から成るオルガン用の変奏曲であろう。
このディフェレンシアスが東に伝わって
「変奏曲」という形式に発展していくのである。
してみれば、マリさんが最初に録音するバッハに
『ゴルトベルク』を選んだのは、単にグールド絡みではなく、
このスペインの伝統を受け継いでいるからかも?
と勝手な妄想を楽しむ僕なのであった。

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