2024年10月18日金曜日

【Burn2】 いよいよ明日未明より今年の Burn2 が開幕!

 あっという間に10月も半分終わりましたよ。
そして今日は10月18日(金)!
そうです、アメリカの時間でこの日、2024年の Burn2 の開幕です!
アメリカとはほぼ半日時差がありますから、
実際には日本時間では明日の未明から朝にかけてですね!

241006a

まだあまり告知らしい告知がされていないので、
皆さんにはまず Welcome Area ともいうべき場所の SLURL を
お伝えしておくことにします。
まずはこの場所から西に向かってブラブラと見物して回ることを
お勧めしておきますね。

■Welcome Area

んで、じゃあ今回はどんな催しになるのか、ということで、
Curiouser & Curiouser と題された今年の趣意書を
自由に日本語にしてみましたのでご参考にしてみて下さい。
原文はこちらになります。

■2024 Art Theme: Curiouser & Curiouser

     *   *   *

「不可能なことを達成しようと思ったら、馬鹿げたことを成し遂げられなければならない」——ミゲル・デ・セルバンテス

2024年のバーニングマンのテーマは、答えのないパズルを称え、非合理で不条理なものを受け入れ、全く知らない人々をお茶に招待することにあります。というのも、私たちが最も深く学び、成長し、創造性を経験するのは、時を超えて何も知らない状態になっている瞬間、好奇心というものに完全に取り憑かれている瞬間のことだからです。偉大な発見の旅というのはどんなものでも疑問から始まるのです。好奇心がパチパチとひらめくあの瞬間がなければ、それはどんな行動も起こせるものではありません。不合理という空虚な世界を見つめる時こそ、私たちは驚異というものがどれだけ驚きに満ち、畏怖の対象がどれだけ畏れ多いかということを体験するのです。そしてこうした経験をするとそれはどうしても、より高度な疑問を投げかけることにつながっていくのです。即ち、私たち人間がロボットより優れた存在であらしめているのは結局何であるのか、と。

驚きというものが持つ魔法は、眠った状態にある私たちを驚かして目覚めさせ、正に生きている瞬間へと戻す力であると言えます。研究によると、平均的な人間は、平均的な一日の約半分の時間は自動操縦で動いていて、しかも同時に何か他のこと(例えば猫の動画のこととか)を考えているというのです。どんなに状態のよい日であっても、自分が信じていると思うことだけを信じ、引かれた線の内側に留まっていることが楽なのです。教育制度は、標準テストに出て来るあらゆる質問に対する答えを私たちの頭に詰め込みますのから、私たちは日々着実に、テストに出て来ないものを想像する能力を失っていくのです。そう、時には、ウサギの穴に落ちたり、応接室の鏡を通り抜けたりする必要が私たちにはあるのです。本当はいつもずっとそこにあった奇妙でへんてこな世界に出会うために。そう、それはオズの竜巻に乗ればすぐのところ、或いは妖精の国で3つの願いをかなえればすぐのところにあるのです。鳥居を潜って精霊の世界に入ったところ、或いはちょっとロケットを飛ばしてアンティクトン、即ち太陽の向こう側にある反地球、何もかもが地球と反対で不可能なことは何もないという世界にそれはあるのです。

「もしわしに自分の世界なるものがあってみろ、何もかもが意味をなさない馬鹿馬鹿しいものになるぞ。何一つそれがあるものではなくなるのだ。なぜなら、あらゆるものがそれ自身ではないものになるからだ。そして反対に、それが何ものかであるとしたら、それはそのものではなくなるのだ。そして、それがそうでないものにそれはなるわけだ。な、わかるだろ?」 ——帽子屋

今回のタイトルは勿論、ルイス・キャロルが生み出したキャラクター、アリスから来ています。彼女は、何もかもが逆転して混乱した、常識の法則に当てはまらない世界を探検しながらも、いつも驚くほどシャキッとしていて、機知というものを失わないでいるのです。そう、アリスが探検するのは、よくある魔術師やドラゴンが活躍する民話的なファンタジーの世界でも、死んでも魔法で再び命が復活するようなビデオゲームのような世界でもなく、もう真の底から奇妙な、時間の蝶番が外れ、原因と結果とがお互いにぐるぐると巡り合った挙げ句に、眩暈を覚えつつも笑いながら地面にぶっ倒れるような、そんな世界なのです。人は言うかもしれませんね。それって、お伽噺というよりは、バーニングマンのブラックロックシティに似ていない? って。

そう、バーニングマンのイベントが素晴らしいと言える点の 1 つは、人をいとも簡単に、今何が起こっているのか、誰がそれをしているのか、その人は一体何故それをしているのか、全く手がかりのない状況に陥らせてくれるということです。そう、それでよいのです。実際、それこそがある種の魔法なのです。私たちはそのための準備というものをとても大切にしますし、実に皮肉と言えるほどのレベルの正確さで混乱を起こすおとを計画するのですが、それと同じくらいのレベルで、いつ何時起こるかわからない、「え? 何だこれ?」というような馬鹿げたものが飛び出す瞬間があり、正にそうした瞬間こそ、人は真剣に喜ぶという経験をし、もっと何かあるんじゃないかとこの場所に戻って来るようにさせるものなのです。

好奇心と驚きとは、単に感情が盛り上がるといった以上のもので、これによって神経可塑性(ニューロプラスティシティ)が高まるのです。神経可塑性というのは、成長と再編成を通じて脳が自らを変えていく能力のおとです。子どもがこの能力に長けていることはよく知られています。例えば、言語を学ぶ能力などがそれで、何十年もの長い間、大人は脳を再マッピングする能力を失うと考えられてきました。かつては柔軟だった思考器官が、硬直した神経経路に固まるためというのです。当然、今日の科学はこうした考えを馬鹿げたものと見なしていて、アートセラピーなどの施術を行うことで人間が物事を考える道筋をつなぎ直すことに役立つと認めています。同様に、ケタミンや MDMA(メチレンジオキシメタンフェタミン) といった神経可塑性を高める薬(ニューロプラストゲン)を治療に使用することで、PTSD などの根深い病理について脳をコーディングし直すのに役立つという展望を示してくれています。

バーニングマンの経験がニューロプラストゲンとして作用するという臨床研究はまだ行われていませんので、ここで敢えて主張するつもりはないのですが、しかし、人々が、砂漠で「変わる」経験をした、と語る時、彼らの脳では一体何が起こっているのでしょうか。研究によると、バーニングマンの参加者は、互いにつながっているという感覚が高まり、寛大さや親切さなどの社会的にポジティブな行動が増えるなど、一過性ではない、永続的な変化を経験していることが示されており、明らかに何かが起きているのです。興味深いことに、畏れというものの性質に関する研究では、畏れは、畏れに結びつく行動や知覚の変化を引き起こすだけでなく、時間の感覚を変え、私たちを今この瞬間に集中させることができると示されています。そして、私たちみんなが知っているように、「今、ここ」という感覚こそ、それ自体恐ろしいほどに素晴らしいものなのです。

「私たちが体験できることの中で最も美しいものは神秘です。それはすべての真の芸術、真の科学の源です。畏れや驚きの感覚に恍惚としていられなくなった人は、死んだも同然です。こうした人々は目を閉じて何も見えていないのです。」——アルバート・アインシュタイン

この作品が数え切れぬほど映画化され(悪夢のような 1933 年版を含めて)、テレビ番組になり、舞台化され、テーマパークの乗り物となり、さらにはオペラにまで仕立てられたおかげで、不思議の国に登場する風変わりでおかしなキャラクターたちはポップカルチャーの典型となっています。ここでわざわざうさぎの穴に落ち込んだりしなくても、ここで語られる物語の数々は、既によく使われるパターンとなっているのです。不思議の国の世界はその表面をメディアが制作する番組のためにこそぎ取られているかもしれませんが、番組にとして表現されたアニメーションのその裏には、豊かな神話の鉱脈がちゃんと残っているのです。つまり、主人公は地下世界を旅することになるわけですが、そこで主人公が何かを見出すには、正気を失っていなければならないのです。この事実こそが、アニメーションの絵がきれいだということよりも、何故アリスとその冒険とが私たちの集合意識にこれほどの永続的な影響を与えているということの真の理由かもしれません。ある勇敢な子供が、何も意味をなさない奇妙な世界に放り出され、その好奇心と勇気を使って、一体自分とはどのような存在なのかというパズルを解き明かしていくその姿にです。その設定がが不思議の国であろうと、オズであろうと、はたまた「逆さまの世界」であろうと、或いはチョコレート工場でファッジの川を漂っている時だろうと、グーニーズと一緒に地下トンネルで迷子になっている時であろうと、こうして真剣にパズルに向かっていること自体が旅であり、その旅の中で時を超えた物語の心を理解できるようになっていくものなのです。

「もし私が善良な妖精に影響力を与えることができるとしたら……世界中のすべての子供たちに、生涯にわたって消えることのない、驚きの感覚を贈ってほしいとお願いするでしょうね。」——レイチェル・カーソン

ここまで読んで頂いた皆さんには、今年のテーマが、ただ単にイモムシの着ぐるみを着て水タバコをプカプカだけのものではないことお分かりでしょう。(水タバコのキャンプを運営されている方がいらしたらゴメンナサイ)。そうではなくて、私が願っているのは、それぞれがインスピレーションを得て、お互いのために真に好奇心をそそられるようなアートや体験を生み出し、そう、そうしたものをそれぞれが持っている奇妙でへんてこなものの井戸から呼び出して、これまで想像したこともないようなありとあらゆるファンタジーの世界があることに気づくことなのです。そうした経験を通じてこそ私たちは次々に好奇心をそそられるようになるのです——そう、世界に対してもお互いに対しても。その時はじめて私たちは開かれた心や子供の頃抱いていた驚きの感覚と出会うことができるようになるのです。

お互いに驚きと喜びを与え合い、開かれた心で新しいものの見方をそして新しい生き方を身に付けようではありませんか。

     *   *   *

はい、というわけで今年は『不思議の国のアリス』から
インスピレーションを受けてのイベントになりそうです。
果たしてヒロシのライブもアリス絡みになるのかどうか、とか、
そうしたことも含めて明日以降にレポートしていきますので
どうぞお楽しみに!

2024年10月6日日曜日

【イベント】 10月18日(金)より今年の Burn2 スタート!〜ヒロシのライブは10月26日(土)22:00!

あーーーーっと言う間に10月になってしまいましたね。
今年も残すところあとわずか、という感じがしてきます。
そしてそう、10月の SL と言えば、年に一度のお祭り
Burn2 の開催月でもあります。
今年は10月18日(金)〜27日(日)までの1週間、
RL バーニングマンと同じ "Curiouser & Curiouser" のテーマで
行われます。

241006a

"Curiouser & Curiouser" というのはヘンな英語ですが、
これは『不思議の国のアリス』の物語の第二章冒頭で
起こっていることに驚いたアリスが口走った言葉で、
「ましましおかしなことになってるわ!」とでも訳しますか。
バーニングマン公式の趣意書によると

「答えのないパズルを讃え、不合理と馬鹿馬鹿しさを大切にし、
知らない人や未知のものをお茶に招こう」

というものだそうで、この趣意書は後日翻訳をお届けします。

さてその Burn2 での僕のライブですが、
いつもお伝えしている通り、2007年に初めて
当時 Burning Life と言っていたこのイベントを見た時、
そこのセンターキャンプで繰り広げられるいろいろなイベントや
パフォーマンスに魅了され、充実した日々を送ったことがあり、
センターキャンプは僕にとってのイベントの原点のような場所。
というわけで今年もそのセンターキャンプで1回だけ、
10月26日(土)22:00 からライブを行います。

この日は僕が初めて SL でライブを行った、
SL ミュージシャンデビューの10月27日の前日であり、
またその10月27日には4枚目のアルバム、
それも Burn2 と SLB をテーマにしたアルバムを
リリースする予定です。
なので、デビュー14周年記念はアルバム発売記念を絡めた
ライブになる予定です。
是非楽しみにしていて下さいね!

■Hiroshi Kumaki Burn2 2024 ライブ
 ・日時:2024年10月26日(土)22:00〜23:00
 ・会場:Burn2 2024 センターキャンプ
    (SLURL は決定次第お知らせします)

2024年9月23日月曜日

近況報告〜音楽哲学の試み・結び

 前回お見せした生成文法の図を生成 AI との関連で
勤務先の IT 部門のメンバーに示したのは昨年の6月頃のようだ。
結論として、英語のレベルを上げたかったら、
たくさん生の英語に、雑誌やテレビや映画を見て生の英語に
触れることなんだよ、と伝えたのだが、
「それではいつになることやら」とか
「コンピュータには勝てない」とか絶望的な反応があった。w
そうだろうと思って用意していたのが、
以前ナショナルジオグラフィックで見かけた記事から作った次の表。

240923a

その記事は2007年のものなので、現在の PC の容量は
約10倍になっていると考えてよいと思うけれども、
そして、AI になるともっと容量は大きいと思うけれども、
人間の脳のシナプス数が桁違いに大きいことに注目されたい。
AI を過大評価すべきではないし、
人間の能力というものをもっと信じるべきなのである。
我々大人が「いつのことになるやら」と思ってしまうことを
子供はあっという間に習得してしまうのだから。

     *   *   *

ところで、前回示した生成文法の図は、
左側が日本語、右側が英語と、何れも言語を並べたのだが、
時枝誠記さんが言うように言語が音楽や絵画などの芸術と同じ
一つの表現であるに過ぎないとすれば、この図を拡大して
左側に言語、右側に音楽を持って来てもよいわけである。
実際、バーンスタインの『答えのない質問』の講義の6回目で
それに似た絵が出て来る。
更にバーンスタインは表現されたものとしての詩と音楽を
統合する絵まで出して来る。
そうなのである。
ウォルター・ペイターは「あらゆる芸術は音楽の状態に憧れる」
と書いたけれども、もっと言うと、
あらゆる芸術は統合され、相互に補完し合う状態に憧れるのだ。
それこそヴァーグナーが「楽劇」という形式で行おうとしたことだし、
日本の「歌舞伎」が実現していることなのだ。

     *   *   *

こうしてバーンスタインは、言語学や哲学の立場から
音楽というものを捉え直しているように思われるのだが、
僕がやろうとしていることはその反対に、
音楽の側から哲学を捉え直してみようということなのである。
大変長い前置きになったけれども、
こうして昨年生成 AI の登場をきっかけに学び直した生成文法、
小澤征爾さんの逝去をきっかけに触れたアイヴスの音楽と
バーンスタインの一連の講義、
そして今年の SL21B をきっかけに読んだ
ワインバーグの『宇宙創成はじめの3分間』、
こうしたものが今年の Burn 2 のテーマを見て1つになったのだ。
そう、今年の Burn 2 のテーマは、『不思議の国のアリス』から
"Curioser and Curioser" となっていて、曰く、
「答えのないパズルを讃え、不合理と馬鹿馬鹿しさを大切にし、
知らない人や未知のものをお茶に招こう」というものなのだ。
この「答えのないパズル」が「答えのない質問」を想起させたことは
ここまで読んでくれた方ならすぐにわかるだろう。

今年、Burn 2 の終わるその日に、4枚目のアルバムを出す予定だが、
これまで SL で演奏してきた曲をリリースするのは
これが最後になると思う。
そのあとは、哲学的なテーマを音楽で表現してみたいと考えている。
今年の Burn 2 はその新しい活動のはじまりとなるだろう。
Hiroshi Kumaki の音楽の第2章のはじまりである。

2024年9月17日火曜日

近況報告〜音楽哲学の試み・その4

 う〜ん、どこから話そう。
生成文法のことである。

「文法」と言えば皆さんがイメージするのは
高校の時に学んだ「英文法」や、中学校の時の「国文法」であろう。
これらの文法の体系は元はと言えば言語学から来ているが、
その言語学は古代ギリシャのホメロスの叙事詩などを
解読するために生まれたものだと言っていい。
ホメロスの叙事詩を解読するために書かれている文のルールが
一つ一つ検討され、そこで所謂「品詞」のような
単語のカテゴリー分けや活用表などが作られたのだ。
これが後にローマ帝国の時代にラテン語にも応用され、
更にヨーロッパ語の文法体系の規範となっていくのである。

やがて、研究が進むにつれ、サンスクリットなどのインドの言葉と
ヨーロッパ諸語は起源が同じであることが明らかにされる。
インド=ヨーロッパ語族と呼ばれるようになるそれである。
起源が同じであるとわかると話は早い。
古代ゲルマン語のこの単語はプロヴァンス語のこれに当たる、
というようなことがわかると、あと、それぞれの言語のルールが
わかると、ほぼ機械的に置き換えによる翻訳が可能なのである。

そして、日本でもまた、文字というものは中国から入って来た
漢字を使うようになり、中国語と日本語は語順が違うので
返り点を打ったり、中国語にはない「てにをは」を補うことで
中国語を日本語として読むことが可能になったのである。
これもまた、機械的な置き換えによる翻訳と言えるだろう。

これらヨーロッパでも日本でも、何れの場合でも、
表現されている「文」の置き換えができれば、
その内容を理解できるという考えの下に
言語学乃至は国語学は現在に至っていると言っていい。

しかし、日本語には有名な「僕はうなぎだ」という文例がある。
これは勿論、友だちと定食屋に行ってメニューを決める時の発言で、
「僕はうなぎにする、うなぎに決めた」という意味で、
別に特殊でもなんでもない普通の表現である。
が、これを従来の文から文への置換を行うと
英語では "I am an eel." というアヤシイ内容になってしまう。

時枝誠記(ときえだもとき)さんという国語学者がいて、
この方は学位論文で「言語過程説」というのを打ち立てた。
即ち、発話というのは音楽や絵画や小説や詩と同じように
その人の表現の一形態に過ぎないのであって、
音楽や絵画や文学がその背景にその作曲家や画家や作家の
表現したいものというのがあるのと同様、
言語による発話にもその背景に表現したい何かがあるのだ、
従って発話(文)そのものの意味というのは絶対ではない、
といったことを訴えたのだ。
その学位論文が出たのが1925年。

そして、1955年にノーム・チョムスキーという人が
「生成文法」の元になる考え方を示す。
何故、子供は文法を勉強せずに正しい言葉づかいを覚えるのか?
それは、どのような言語であれ、その言語に触れる経験を重ねる中、
ほぼ自動的にその言語のルール、文法を整理構築する能力を
人間は生まれながらにして持っているのだ、という考えであり、
チョムスキーはこの能力を「普遍文法」と名付けた。

この普遍文法について僕なりに理解しているところを
下の図に整理してみた。

240917a

最近、AI 翻訳になって何故翻訳の精度が上がったか。
つまり、以前の機械翻訳に「この本は読んだ」と入れると
"This book read." という訳が返って来ていたが、
今はちゃんと"I read this book." と訳してくれる。
これは、AI がそれぞれの言語の膨大なデータベースに基づいて
より精密なルールでこの文の意味はきっとこうだと
普遍文法的な処理をしているからだろうと僕は見ている。
(言い方を変えると、AI の真似をして
 たくさんその言葉を経験すれば語学の上達は早いのだ。^^)

この生成文法が前提にしているのも、時枝さんと同じく、
話者の頭の中にあるイメージ、内容である。
これを日本語のルールを通せば「僕はうなぎだ」になるし、
英語のルールを通せば "I'll take an eel bowl." となるのだが、
頭の中のイメージを抜きにして「僕はうなぎだ」を
文のレベルで訳してしまうと "I am an eel." になってしまうのだ。
(こう考えると、例えば日本語を英語に訳す時、
 いきなりその文を英語で置き換えようとするのでなく、
 話者の頭の中のイメージに一回変換するとよいのだ。)

時枝さんは言語は音楽や絵画、文学と同じ表現としたのだが、
バーンスタインはこの逆に音楽も言語と同じ表現形式としたのだ。
「答えのない質問」の講義が言語学の用語である
音韻論、統語論、意味論で始まるのはある意味必然なのである。

2024年9月14日土曜日

近況報告〜音楽哲学の試み・その3

 前回書いた通り、アイヴスの「答えのない質問」は哲学的である。
ところで、この「答えのない質問」という日本語訳であるが、
他に「答えられない質問」という訳もある。
英語のタイトルは "The Unanswered Question" であるが、
この英語の含みは「まだ答えられていない質問」であり、
しかもそこに定冠詞 "the" が付いているので正確には
「まだ答えられていないあの質問」、そう、
何度も繰り返されたあの質問という意味なのである。
それが人間の存在に関わる質問、
哲学では問うてはいけないとされるあの質問のことなのだ。

しかし、バーンスタインは、これを音楽に関する質問と考える。
このアイヴスの「答えのない質問」が発表されたのは1908年だが、
同じ年、海を渡ったオーストリアのウィーンで
シェーンベルクが十二音技法のきっかけとなる無調の
「弦楽四重奏曲第2番嬰ヘ短調作品10」を発表する。
そして翌1909年の「3つのピアノ曲作品11」で
完全に十二音技法の世界を確立していくのである。

そう。僕等は無調というといつもシェーンベルクの
十二音技法を思い出すのだ。
ヴァーグナーが調整が壊れるギリギリまで半音階を突き詰めた
楽劇『トリスタンとイゾルデ』の音楽、
それを耳にしたドビュッシーは「ヴァーグナーの先」を目指して
調性感に乏しい、ふわふわと浮遊するような音楽を書いたのだった。
しかし、そのドビュッシーですら、そしてストラヴィンスキーですら
まだ調性の枠の中で音楽を書いているのである。
壊れかかった調性音楽、その先はどこに向かうのか?
シェーンベルクの答えは十二音技法だったが、
アイヴスは三和音を奏で続ける、ロマン派的な美しい弦と
調性感のないトランペットや木管楽器群で
「音楽はこれからどこへ向かうのか」を問うたと
バーンスタインは見るのである。

そしてその答えを探す旅がバーンスタインがハーバードで行った
全6回のノートン講義「答えのない質問」なのである。


この講義の内容は次の通りだ。

Lecture I. Musical Phonology「音楽に於ける音韻論」
Lecture II. Musical Syntax「音楽に於ける統語論」
Lecture III. Musical Semantics「音楽に於ける意味論」
Lecture IV. The Delights and Dangers of Ambiguity「曖昧さの持つ楽しさと危険性」
Lecture V. The Twentieth Century Crisis「20世紀の危機」
Lecture VI. The Poetry of Earth「大地の詩(うた)」

最初の3回のタイトルをご覧頂ければわかるように、
音韻論、統語論、意味論というのは言語学の用語だ。
そう、バーンスタインは音楽を語るのに言語学の用語を用いて
言語学との対比、類推で語るのだ。
これがおもしろい。
何と言っても、第2回の統語論ではチョムスキーの生成文法が
飛び出して来たのには参った。
というのも、僕はちょうど昨年から盛り上がって来た
生成 AI に関連して、チョムスキーの生成文法を学び直しているからだ。
何故生成 AI が出て来てから機械翻訳の質が格段に上がったか、
それは結局のところ、生成 AI は生成文法の考え方に
基づいているからだと僕は考えるのだが、
この話をしだすとまた長くなるので今日はこの辺で。

2024年9月9日月曜日

近況報告〜音楽哲学の試み・その2

 バーンスタインの「答えのない質問」の講演を思い出したのも、
やはり小澤征爾さんと関係がある。

小澤さんの CD について書いている時に、
僕は吉田秀和さんの『LP 300選』を元に聴いていることに触れ、
その本の中で吉田さんが薦めている小澤さんのディスクを
書き並べたのだが、その時1つ書き漏らしたものがあることに
あとで気づいたのです。
それは、吉田さんが「追記」として、
アメリカの音楽家で挙げておかなければならなかったと書いている
チャールズ・アイヴスのディスクなのです。
これに気づいてこの本で挙げられている
ティルソン・トーマスが『イングランドの3つの物語』を
小澤さんが『交響曲第4番』を指揮しているディスクを買って
それを聴きながら、何か忘れている感じがずっとあったのです。
アイヴス、、、アイヴス、、、何かもっと有名な、
気になる曲があったような。。。

そして思い出したのがアイヴス1908年の作品
「答えのない質問」だったのです。
実は、この曲は僕にはずっと謎の曲でした。
というのは、この曲に初めて出会ったのはオーケストラでなく、
冨田勲さんのアルバム『宇宙幻想』にシンセアレンジで
入っているのを聴いたのが初めてだったのです。

240909a

このアルバムには「ツァラトゥストラかく語りき」やら
「アランフエス協奏曲」やら、はたまた「パシフィック231」やら
僕好みの曲がいろいろ入っているのですが、
その中でこのアイヴスの曲だけが聞いたことがなかった。
正直、印象は薄いんだけれど、何とも不思議な響きの曲、
そんな風に思っていたのです。
この曲を突然思い出し、そしてバーンスタインの講演のタイトルを
思い出して、バーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルの CD と
この曲の楽譜を手に入れたわけなんですが、
その楽譜にアイヴス自身はこんな解説を書いているではないですか。

「常に弱音器を付けて演奏される弦の響きは
 『何も知らず、何も見ず、何も聞こえない』ドルイドを表現」
「トランペットは存在についての長年の質問を繰り返す」

何と哲学的なモチーフなのでしょう!
「何も知らず、何も見ず、何も聞こえない」って
ガリアのドルイド僧よりは、日本の三猿を思い出させますよね。
前にも書いた通り、バーンスタインがこのアイヴスの曲のタイトルで
講演を行ったことは知っていたので、
そうであれば、どんな講演を行ったのか、
無性に知りたくなったわけなのです。
同時に、この曲に僕自身で取り組んでみたくなったのです。

     *   *   *

はい、というわけで、アイヴスの「答えのない質問」は、
今度の Burn2 で演奏する予定にしています。
今日のところはこの辺で。^^;

2024年9月8日日曜日

近況報告〜音楽哲学の試み・その1

 ヒロシです。大変ご無沙汰しています。
6月の終わりに SL21B に参加して以来、
7月の初めにこの日記を少し書いただけで、
8月は全く音沙汰ない状態が続いていましたね。
SL にも殆どインしていませんでしたので、
この間僕が何をしていたかについて、
ちょっと長くなるかもしれないけれど、書いてみることにします。

     *   *   *

高校生や大学生の頃、「音楽哲学」なるものについて
友人たちと語り合っていました。
「音楽の哲学」、即ち、「音楽の原理」のことではありません。
音楽という行為そのものが哲学的な問題、
「私たちはどこから来たのか」「自分は何故今ここにいるのか」
「私たちはこの先どこへ向かうのか」、そして究極の質問である
「存在とは何か」を考え、追求することにつながるというものです。
「哲学」と「音楽」という、最も趣味的で
最もお金にならないようなものの組み合わせが僕の中では
解き明かさなければならないものとして心の中にあったのでした。
社会人になってお金にならないものはつまらないもののように言う
周りの影響もあって、こうしたことは長い間忘れていました。
それを思い出させてくれたのが何と、
今年の SL21B だったというわけです。

今年の SL21B のテーマは "Elements" でしたので
自分のライブでは西洋の四大元素ではなく、中国の五行をテーマに
「五行組曲」というシンセサイザーの即興演奏による組曲を
皆さんには披露したわけですが、「元素」を扱うに当たって
やはりその元素が生まれたそもそもの初めである
「宇宙のはじまり」を表現しなければと思い、
冒頭に "Big Bang: First Three Minutes" という曲を置いたのです。
そう、宇宙が3分間でできたのなら、それは音楽にするには
ちょうどよい長さではないか、と。

私たちの住む宇宙が3分間でできたというのは
スティーヴン・ワインバーグが 1977 年に出版した
『宇宙創成はじめの三分間』で一般の人たちに広まりました。
僕もこの本のことは知っていて、昔立ち読みしたことはありますが、
ちゃんとは読んでなかった。
読むべき本のリストには入れていたものの、そのままになってて、
SL21B を機に、今はちくま文庫から出ているので、
仕事の行き帰りに電車の中でちょこちょこ読み始めたら
これがとても面白い!

240908a

大学生の頃から思っているのですが、
アメリカの優れた科学者というのは皆文章がうまい。
ワインバーグのこの本も、難しい話が展開されているにも拘わらず、
各章の最後はクリフハンガーめいて気になる終わり方をするので、
え、え、それでどうなるの? と次の章も続けて読んでしまい、
あっと言う間に読み終えてしまう、という仕掛けになっています。
今更ですが、この本は目から鱗というか、そうだったのかぁ! と、
日本でニュートリノの実験が行われていたり、
その第一人者の小柴昌俊さんや素粒子物理学の南部陽一郎さんが
ノーベル賞を受賞したのが何故なのか、漸くわかってきた次第です。
このお二人にはそれぞれ
『ニュートリノ天体物理学入門 知られざる宇宙の姿を透視する』、
『クォーク 第2版―素粒子物理はどこまで進んできたか』という
何れも講談社のブルーバックスから出ている名著があって、
これも読みかけになっていたのを、ワインバーグの本を読んでから
一気に読み通すことができたのです。
更にはこれらの本で学んだことを確かめようと、
お台場にある科学みらい館に足を運んで一人興奮する始末。w

240908b

無限に広がる大宇宙のはじまりを解き明かすには
目には見えない量子レベルで起こっていることを知る必要がある、
これはとても興味深いことです。
しかも、現代の物理学では、
宇宙が始まった最初の100分の1秒前以前のことはわからない。
とすればその前は何があったのか、何もなかったのか、
或いはまた別の宇宙があったのか?
哲学でも問うてはならないとされる「存在とは何か?」の問いは
ここで物理学という、一見哲学から最も遠い学問のテーマとも
重なっていくのです。
そんなことを考えながら僕はあのビッグバンの曲に
取り組んでいたのでした。

     *   *   *

話は変わって、今年の2月に小澤征爾さんが亡くなりましたが、
その時に書いた日記で、小澤さんが指揮と語りを担当した
「ピーターと狼」や「青少年のための管弦楽入門」を録れた
CD について紹介しました。
その際僕は「あの気さくな語り口で、とても親しみがあっていい」
と書きましたが、そう書きながら僕が思い出していたのが
同じ指揮者のレナード・バーンスタインだったのです。
バーンスタインは1958年から1972年にかけて
Young People's Concerts という子供たちが
クラシック音楽の演奏会に親しめるような企画を行っていて
それが CBS のテレビで放送され、それが DVD にもなってますが、
そこでのバーンスタインの語り口がまた素晴らしいのです。
ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」は英語の原題を
The Young Person's Guide to the Orchestra というのですが、
小澤さんのあの語り口と、この曲の原題とが
バーンスタインの Young People's Concerts への連想に
つながったのだと思います。

CBS で放送されたバーンスタインの Young People's Concerts は
全部で53回あって、DVD を揃えるのはとても大変です。
一部は観たことがあるのですが、一度全部観てみたいと思って
調べてみたら、何とちゃんと YouTube に上がっているのですね。


それでちょこちょこ暇を見つけては、というよりは、
半分は仕事感覚で全53回観ましたよ。
第1回の「音楽って何?」から始まり、
第33回の「オーケストラの響き」とか、
僕等が半分当たり前に思っているようなことを
簡単な言葉で改めて整理してくれているのはとても勉強になります。
更に動画だけでなく、各回のスクリプトも公開されていますので、
興味のある方はどうぞ。


で、こういう長いシリーズを観終わると、
終わったことが淋しく、残念なものに思えて
続きはないかと期待したり、探したくなるもの。
それで思い出したのが同じバーンスタインが 1973 年に
ハーバード大学で行った6回の講義「答えのない質問」。
分厚い本になっているのは知っていて、大学の図書館で
パラパラめくってはいたけれども、やはりちゃんと読んでなくて、
あれもビデオになってないかと思って探したら
はい、やはりありましたよ。
そしてこれが超絶面白くて、今書いている「音楽哲学」を
呼び覚ますことになるのですが。。。

     *   *   *

長くなりましたので今日はこの辺で。
こうして本や動画を立て続けに読んだり観たりして
どっぷりその世界にハマって SL はおろそかになっていた
というわけなのです。^^;