2009年9月5日土曜日

【翻訳記事】燃えて燃えて燃やしまくれ!〜バーニングライフ2009

以下はセカンドライフ公式ブログの記事の
Hiroshi Kumaki による翻訳です。
誤訳等を含めた全ての訳責は Hiroshi Kumaki にあります。
また、原文はここをご参照下さい。

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http://burninglife.secondlife.com/



2009年10月17日〜25日、バーニングライフのお祭りが、皆さんがすぐにアクセスできるところにある、埃っぽい吹きさらしの、何もない空間にやって来ます。そう、偽装用のゴーグルと防塵マスクを掘り出して、もうこれ以上ないというくらい突拍子もない格好をして、皆さんの最も身近にいる何万人もの友人たちとヴァーチャルな「キャンプ」をする時です。

「このバーニング何ちゃら、って一体何よ?」最近住民となったばかりの方々の多くはきっとこのよう疑問に思っていらっしゃるでしょうね。これからまずその説明をさせて戴いて、それから何故そんなことをやっているのかについて話し、そして、「で、一体いつから自分のキャンプや展示会場を作り始めることができるんだ?」といったベテランの皆さんが死ぬほど知りたがっている具体的な詳細について述べていきたいと思います。

バーニングライフは、セカンドライフという仮想世界におけるコミュニティとアートと炎の祭典です。最初のバーニングライフはまだセカンドライフが生まれたばかりの2003年に開催されましたが、これは現実の世界で行われているアートと炎とコミュニティの祭典、世界的に有名なバーニングマンに触発されて生まれたものでした。バーニングマンもセカンドライフもカリフォルニアのサンフランシスコから始まっていますが、実は、その誕生の地だけでなく、この二つにはもっと多くの共通点があるのです。

バーニングライフ小史
1999年、サンフランシスコに住む一人の空想好きの青年が、噂に聞いたバーニングマンの催しを見に行くことを決めました。テントと水と、生き延びて行くのに必要な一切合切を車に放り込むと、500キロ先のネバダの沙漠に向かって走り出しました。彼が辿り着いたのは遠くに見える山々に囲まれた、100平方キロに渡るひび割れた泥の、何の変哲もない大地でした。暑かった。死ぬほどに暑かった。勿論、太陽が沈むと状況は変わりました。今度はただただ寒いのです。このブラックロック沙漠は、遠い昔湖の底だったところで、地質学者たちはこれを「プラヤ」と呼んでます。あまりに厳しく、人を受け付けず、容赦のない土地、驚くほど何もない不毛なその土地は自分をキャンバスにして何か描いてほしいと「訴えかけて」いるようでした。そんな場所に不思議なキャンプ地が設営されたのです。最後の夜に燃やされる運命にある、人を象った高さ12メートルの木で出来た像を囲むようにして。この空想家がそこで見たものは、とてつもないほど多くの人々が、自分たちで街を作り、皆で一緒になって日常とは全く異なる現実を生み出していく姿でした。これが、彼がサンフランシスコで進めていたプロジェクトの方向に影響を与えることになりました。現実とは、創造性とは、アイデンティティとは、コミュニティとはーーこうしたものは一体何なのか、そのことで頭が一杯になったのです。これらの考えを彼は自らのプロジェクト「リンデンワールド」の基本構造に織り込んでいきました。これこそがセカンドライフとして皆さんも私も知っているものとなるのです。そして、この空想家こそが創立者フィリップ・リンデンその人なのです。

時は流れて2003年。今やその数も多くなったリンデン・ラボの従業員たちはバーニングマンの常連でした。が、2003年になると、セカンドライフの総仕上げであまりにも忙しく、とても現実のプラヤに行くことなどできるものではありませんでした。そこで、フェニックス・リンデンがバーニングマンの主催者にコンタクトし、現実の世界で行われているイベントのトリビュートをセカンドライフ内に建設する許可を求めたのです。無事許可が下りて、リンデン・ラボのスタッフたちは現実のそれと同じようなバーニングマンの像を造り、インワールドで燃やしたのです。もうこれも今となっては大昔の出来事のようですね。今年2009年はセカンドライフ内で行われるバーニングライフのイベントも7年目を向かえることになったのです。

バーニングマンが与えてくれたもの
現実の世界で行われるバーニングマンは実に驚くべきものがあります。最も近い供給の拠点からでも150キロ以上離れた場所に、5万人からなる巨大な街が、そこに参加している人たちだけで現実に生み出されるのです。更にそこには道路もあり、道路標識もあり、連邦航空局(FAA)に認可された空港もあり、電力供給網もあり、病院もあり、大きな市民プラザもあり、信号もあり、行進もあり、宗教儀式もあり、 イベントもあるのです。夢のような素晴らしいファッションがあるかと思えば、馬鹿馬鹿しいお笑いがあり、はたまたあまりにむき出しの表現で文字通りヤバイ芸術作品があったりするのです。「観客お断り」というのがこのイベントで代々受け継がれてきたもので、実際、このような生き残りを賭けたキャンプ地の環境で、受動的にただものを見て楽しむなんてことは到底できることではありません。やらなければいけないのは、ここで生き延びるのに必要なもの全てを持って来ること。だって、ブラックロック・シティには何も売ってるものなんてないし、お金のやり取りも禁止されているのですから。水、テント、食料ーーそれから浴槽、自分でデザインした3階建てのアヒルの形をしたナイトクラブ、眼を見張るようなスパンコールのついたドレス、それから簡易式の着火器具ーーこうしたものを全て自分で持って来る必要があります。で、実際、みんなそうしてるのです。プラヤにはたくさんのキャンプがタイヤを16個もつけた大型トレーラで押し寄せ、何百人ものキャンプ仲間が自分たちのビジョンを早く形にしたいとうずうずしているといった感じです。

しかし、なのです。こうしたこと全てはその場限りのものなのです。週の終わりには、アートワークの殆どは燃やされ、どんな小さなものでも、ここに持ち込まれたものは全て持ち帰らなければならないのです。服についていたキラキラとしたラメのひとかけらすら残してはいけないのです。何の跡形もなく、そこに街があったという形跡を残してはいけないのです。やがて冬の雨が降り始め、人々が残した足跡さえ消えてしまうのです。そう、また次の年がやって来るまでは……。

なぜバーニングライフをやるのか?
これはバーニングマンをやるのと同じ理由です。学び、成長すること。そして創造的に学び成長することを大切にするコミュニティを形成することです。これが永続的でなく、その場限りのものであるということが、そこで起こっていることに自発的に行動し、関わっていくという経験にとっては不可欠ですし、全て自分で美しいものを創り出すということは、ユーザーがコンテンツを創るのだというセカンドライフが起こした反乱と完全に合致するものです。フィリップ・リンデンがものづくりの道具をセカンドライフの住民に手渡した時、彼は現実のバーニングマンを活気付けているのと同じレベルの広場を設置したのです。一人一人が作り上げていくイベントです。特別な人なんて誰もいません。そして、一人一人がスターなのです。

さあ、というわけで、是非参加して下さい。まだセカンドライフのことよくわからないからとか、そんなことは全然問題ではないのです。自分がものづくりが得意でないという人も、これは他の人たちから学ぶよい機会にになります。セカンドライフにあんまり知り合いいないしーーそういう人もきっといろんな人と知り合えるチャンスです。そして、セカンドライフではもうベテランで、古きよき創造性に満ちたカオスを好まれる方であれば、そこに引っ込んでないでここに出てきて下さいね。バーニングライフ2009こそは、私たち一人一人が関わって行くものなのです。

参加して下さい! バーニングライフの公式ホームページにこの度掲載されたボランティアスタッフ募集のページに目を通すことから始めてもいいでしょう。
http://burninglife.secondlife.com

また、素晴らしく才能溢れる集団であるバーニングライフ・チームにも、皆さんにしかできない仕事がまだいくつか残っています。
http://burninglife.secondlife.com/volunteer/staff09

次のブログでは、もっと詳しく、今回はどんな企画になるのか、どうやって皆さんが参加できるのかについてお伝えしたいと思います。

                       2009年9月2日
                       ダスティ・リンデン

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